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□世界の名前
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新八が万事屋にきて以来、銀時の生活は変わった。
一人のときは仕事がない日は昼まで寝ていても問題がなく、呑み歩いて朝帰りをしても誰も小言を言わない。
何日も掃除をせず洗濯物を溜め、部屋の空気の入れ換えすらしない。布団は万年床で、酔って倒れるように眠ることもある。風呂は朝に入ればいい。明るい時間に入る風呂は贅沢なものだった。
食事を抜くこともあった。厳密に言えば、腹が減れば食べる。酒を呑むときは食べない。呑まないときは外食をせず、自炊した。料理の腕には自信があった。一人暮らしが長いと、自然に何でもできるようになる。
銀時は一通り器用にこなした。掃除をしないのは一人なので汚れない、洗濯をしないのは毎日の洗濯水と洗剤がもったいないという屁理屈からだ。ただ面倒くさいだけだった。
しかし新しい従業員がやってきて、その生活は崩れた。
新八は必ず午前中にやってきて、寝ている銀時を叩き起こす。さっき帰ってきて寝たばかりだと呂律が回らない口で訴えても、自業自得だと鼻であしらわれる。やれ洗濯をする、やれ布団を干すだのと言って、問答無用に男の体を薄っぺらい布団から引き剥がした。
家政夫雇った覚えねーんだけど、と文句を言えば、依頼があれば普通に働きますよ、と嫌味を込めて返される。ぐうの音もなかった。まったく、口が達者な姉弟だ。
妙の仕事がある日は、新八はたまに夕食を共にした。神楽が一緒に住むようになってからは、ほぼ毎日になった。週五日、三人で夕食を食べる。妙は週休二日なのだと、このときに知った。
妙の休日、新八は銀時と神楽を自宅に招くことがあった。依頼のない日が続き、現金が底をつきかけると二人を夕食に誘う。
万事屋の収入と支出は、生活費を預かっている新八が一番心得ている。銀時は日用品などの買い物を面倒くさがり、いつしか新八にまとまった金を預けるようになった。ジャンプ代と呑み代、パチンコ代は確保していたが、収入がないとさすがに遊ぶ金もない。新八にねだるわけにもいかず、銀時の足は次第に志村邸に向かうようになった。
夕食を志村邸で食べるようになってから、銀時は気がついていた。
この家にはうまい菓子がある。
妙が客からもらうものらしい。中には地方の土産もあり、珍しい菓子がある。初めは、団子一本買えないほど懐が寂しくなってから、恐る恐る向かった。甲斐性なしと罵られる覚悟だった。
遠慮がちに上がる男を、妙は呆れた眼差しで見つめる。それから笑った。たくさんもらうので、姉弟二人では食べきれないという。
ほっとして、銀時も笑う。安堵して、つい調子に乗った。
これは双方の利害が一致した取引だと胸を張り、口角を上げる。すると妙は満面の笑みを浮かべた。その笑顔が眩しいほどに可愛かった。
油断した。
白い腕が素早く伸びてきて、対等みたいな言い方すんじゃねェ、と強く頬を引っ張られた。銀時は目を見張る。生まれて初めて、口が裂けるかもしれない恐怖を味わった。
土下座する勢いで謝罪すると、妙は渋々といった体で指を放した。真顔で、銀さんのにやけた顔見るとイラッとするわ、と可愛らしく首を傾げた。背筋が凍る思いがした。
それでも帰るときは玄関まで見送り、これは神楽ちゃんに、と手土産も持たせてくれる。夜叉なのか女神なのかわからない。
しかし、うまい菓子は魅力的だった。味をしめ、銀時は足繁く通うようになる。
客からのものがなくても、妙はいつも菓子を用意してくれた。万事屋が忙しくて行けない日が続くと、新八に持たせた。餌付けのようだと、銀時は自嘲する。
初めに望んだのは自分だった。
志村邸は居心地がいい。それは妙と過ごす時間が心地いいのだと、銀時は月日と共に自然に悟った。
悟ってしまえば、目的は変わる。うまい菓子はついでになった。
大きな依頼の報酬が入ると、銀時は神楽を伴って志村邸へと向かう。世話になりっぱなしだからと食材を購入し、料理の腕を振るう。(銀時たちにとっては)贅沢な肉を、妙の手によって無駄にされたくないという思いもあった。
もうずっと、一人で食事をしていない。そう気づいたのは、新八に今日の夕食はいるのかと問われたときだった。神楽と同居を始めて、間もなくの頃だった。
銀時は気に留めたことがなかった。だが、万事屋の食事当番は交代制だ。自分の番のときに気に留めなかったのは、新八と神楽が揃って留守にすることがなかったせいだ。
長谷川に呼び出され、夕方、玄関でブーツを履いているときだった。後ろから新八に呼び止められた。どこ行くんですか、と問う声は訝しげだった。
ちょっと呑んでくるわ、と振り返ると、割烹着に身を包んだ新八に睨まれた。
「昨日もでしたよね。もう、ご飯いらないなら言ってくれなきゃ」
銀時は鼻をすすった。部屋の奥からは、焼き魚の匂いがしている。
銀さんのも作っちゃったよ、とぶつぶつ言いながら、新八は台所へ姿を消す。
銀時は立ち尽くした。大袈裟ではなく、目から鱗が落ちたようだった。誰かと生活するとはこういうことなのだと、日常的に実感した出来事だった。
銀時はずっと一人だった。少なくとも、万事屋を始めてからは。誰に迷惑をかけることもなく、気ままに生きてきた。
帰る場所はここにあった。場所とは、土地や家だけでなく、人そのものなのかもしれないと思うようになった。
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