main
□B-bird
1ページ/2ページ
誕生日だからといって、私は告白などしない。
女の子が告白をするなら、バレンタインか好きな人の誕生日だと相場が決まっている。けれど、春に恋をした私はそんなもの待てなかった。バレンタインは冬で、彼の誕生日は秋だ。
日常的に想いを伝えた。あの人はまだ応えてはくれないけれど、私の気持ちは知っているはずだ。だから、あの人の誕生日に告白はしない。想いを込めて贈り物をするだけ。
朝一番にプレゼントを渡したくて、あやめは学校の駐輪場で待ち伏せをした。彼は毎日、愛車の原付バイクでやってくる。
職員用の駐輪場に生徒の姿はない。あやめは目立たぬよう、草影にしゃがんだ。いつもみたいに突然現れて彼を喜ばそう。
始業時間ギリギリに彼はやってきた。あやめの表情が明るくなる。折を見て飛び出そうとしたあやめは、はっとし、咄嗟に腰を落とした。眼を細めて赤縁眼鏡を持ち上げる。
男の愛車の後ろに女子生徒が乗っている。彼女がヘルメットを取ると、艶やかなポニーテールが揺れた。周囲を気にするそぶりで彼女はバイクから降りる。あやめは一層身を屈めた。
「もう、捕まったらどうするんですか」
頬をふくらませ、彼女は男を睨むように見上げている。男は口角を上げた。にやり、と弧を描く唇は、あやめの胸を締め付けた。
「裏道通れば大丈夫って言ったろ?」
あやめはセーラー服の上から胸を掴んだ。
やめて。そんなふうに笑わないで。
見たくはないのに眼を反らせない。反らせば負けてしまう気がした。これくらいのことでは揺らがない。私の恋心は本物なんだと、大声で訴えたかった。
「二度としないでくださいね。こんなの、拉致じゃないですか」
彼女は本気で怒っているようだ。けれど男は悪びれない。反省の色も見えない。
「いーじゃん、俺今日誕生日だから」
へらりと笑う蒼眼を彼女は怪訝な眼差しで見つめている。眉をひそめ、ヘルメットを男に押し付けた。
「意味わかりません」
憮然とした面持ちで吐き捨て、彼女はくるりと踵を返した。ああもう遅刻しちゃう、と足早に去る後ろ姿を男は微動だにせず見送っている。あやめは男の背中をじっと見た。
やがて男はバイクを駐輪する。急ぐそぶりもなく、ゆるりと駐輪場を後にした。あやめは瞳を伏せた。
男は緩やかに微笑んでいた。背中を見ているだけでわかる。彼をいつも見ているあやめには嫌でもわかる。あやめはプレゼントの箱を握り締めた。蒼色のリボンを見つめ、唇を噛む。
私は誰よりもあなたを知っている。あなたが隠している、その心さえも。
本鈴の鐘が鳴り、授業が始まった。あやめはまだ草影に座っていた。じっとしていると、砂利を踏む足音がした。それは校舎裏からやってくる。あやめは身構えた。授業をサボっているところを見られては厄介だ。
全蔵だった。指先にチャラチャラと音がするものを持っている。鍵だ。ほっとした反面、一番会いたくない人間でもある。眼が合い、あやめは表情を隠そうと眼鏡を上げた。
「なにサボってんのよ」
こんなときは先制攻撃に限る。
「おまえに言われたかねーよ」
それはそうだ。正論だからこそ、あやめはムッとした。他の誰に言われても平気なことが、全蔵に言われると腹が立つことがある。身内の小言が鬱陶しいのと同じだ。
「私はちょっと、バッテリー切れで」
あやめは息を吐いた。
「じっとしてれば充電できるの」
「あっそ」
大して興味がないように、全蔵はあやめの前を通りすぎる。駐輪場に停まっている、とある自転車の前で足を止めた。鍵を差し込む。全蔵は自転車通勤ではない。あやめは首を傾げた。
「それ誰の?」
「月詠せんせー」
そういえば見覚えがある。自転車は淡いレモン色だった。
「どこ行くの」
「コンビニ」
あやめは立ち上がった。
「ご飯買いに行くの?」
この時間、購買部には何もない。食堂もまだ開いていない。全蔵はたまに朝食を食べ損ね、授業の合間に買い出しに行くことがあった。あやめは全蔵の行動パターンを熟知している。
あやめは胸に抱えたプレゼントの箱を全蔵に差し出した。
「食べる?」
全蔵は振り向き、二十センチ方形の白い箱をじっと見た。
「……なにそれ」
「納豆ケーキ」
「いらん」
即答され、またムッとする。あからさまにふくれる頬を見て、全蔵は肩を落とした。
「おまえな、他の男に作ったもん俺に毒味させんの、もうやめろ」
毒味、と言われて胸が疼いた。そんなの嘘だ、とうつむく。全蔵のために作った過去だってある。全蔵が知らないだけだ。
あやめはプレゼントの箱を自転車のサドルに置いて蒼色のリボンをほどいた。あの人の瞳と似た色を探し、想いを込めて結んだ。ほどくときは何て簡単なんだろう、と諦めに似た気持ちになる。
全蔵があやめの手を掴んだ。ほどいたリボンごと、柔らかい手のひらを包む。あやめは驚いて顔を上げた。全蔵は冷静だった。
「受け取ってもらえなかったのか」
今日があの男の誕生日だと知っている。あやめが週末ずっとケーキ作りの練習をしていたことも。その独特の香りは隣の服部邸にまで届いていた。
「断られたのか?」
全蔵の瞳は見えない。それでも、あやめは知っていた。全蔵の声が教えてくれる。物心がついたころから知っている、こんなときの全蔵には逆らえない。あやめは眼を反らした。
「まだ渡してない」
呟くと、大袈裟に息を吐く気配がした。
「諦めんのか?」
胸がずきりとい痛んだ。
「諦めんな」
私だって、諦めたくはない。わかっている、彼には想い人がいる。けれど、片想いだ。私と同じように。
「充電、したんだろ?」
握る手にわずかに力がこもる。あやめは泣きたくなった。まったくできていなかった充電は、今初めて通電を開始した気がした。心が震えた。
小さく、こくりと頷いた。
ケーキの箱をあやめの腕におさめると、全蔵は自転車に跨がる。振り返ることもなかった。男は自分の役目を承知している。
あっさりと去る全蔵の背中をあやめは黙って見送った。大丈夫、と強く祈る。私の恋心は本物だ。何度だって、想いを込めて結ぶことができる。
全蔵の姿が見えなくなるまで、紺瑠璃の眼を凝らして見つめた。なぜだか、銀八の背中と重なった。