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□琥珀の揺りかご
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※T-SSの全さち(3Z)の五年後



あやめの志望校が銀魂高校だと聞いたのは、夏休みが半分も過ぎたころだった。あやめ本人からではなく、彼女の母親からだった。
家の前でばったり会い、あやめの話になった。あやめの母は全蔵に会うといつも娘の話をする。かつて、あやめの初恋は全蔵だと妙なことを言い出したのもこの人だった。
全蔵くん、家庭教師してくれない?あの子全然勉強しなくて。
心配げに頼まれれば、容易に嫌とは言えない。幼なじみであるあやめの面倒を子供のころから見てきた全蔵だが、全蔵自身、あやめの両親には世話になっている。親同士の仲がよく、両親が留守のときは猿飛家で食事を相伴に与ることも少なくなかった。もう一組の両親のような人たちだ。
全蔵は、あいつがいいなら、と頷いた。
思春期の幼なじみは、全蔵に対して最近とみに反抗的だった。


窓から訪ねることはなくなっていた。
少女から女性になりつつある彼女は、突然の来訪者を嫌がる。数年前、着替え中に窓を開けたことがあり、こっぴどく罵られたことがあった。
当時あやめはまだ十二歳で、すでに教職についていた全蔵にとってはまだまだ子供扱いだったが、目撃した半裸のあやめは胸が膨らんでいた。
ごめん、と謝るしかなかった。
それ以来、窓から出入りはしていない。以前は真似したがったあやめも、ぴたりと興味を示さなくなった。それは全蔵に対する興味が失われるのと平行していた。
十五歳になったあやめには、他に好きな男がいる。


あやめの母親と食卓を囲んでいると、ただいまー、と玄関が開く音がした。
全蔵はリビングの壁時計を見る。ギリギリ十九時前だ。門限を守るところは、根が真面目なあやめらしい。
リビングの扉を開け、あやめは固まった。母と談笑している全蔵を見留め、あからさまに訝しげな面持ちになる。
「…何でいるの?」
「メシ食いに」
見りゃわかんだろ、と茶碗を持ち上げる。
「あやめも食べる?」
腰を浮かしかけた母親に、あやめはかぶりを振った。
「いい。食べてきた」
「ジャンクフードばっかり食べちゃ駄目よ?」
「うん、気をつける」
母に対しては素直に応え、それからあやめはちらりと全蔵を見た。全蔵は母が漬けたぬか漬けにせっせと箸を伸ばしている。
あやめはリビングを出た。
鞄を階段の下に置き、洗面所へ向かう。手を洗い、うがいをする。子供のころからの習慣だ。
共働きだった両親は、幼いあやめを隣の服部家に預けた。服部家というよりも、全蔵にという方が正しい。
帰宅時の手洗いとうがいにしても、いつも傍で見ていることができない両親の代わりに、あやめに習慣付けたのは全蔵だ。全蔵はあやめの両親からの頼みごとを断ったことがなく、また従順だった。猿飛家の教えを曲げることなくあやめに伝えた。
鏡の中の自分を見つめ、あやめは息を吐いた。化粧が濃い。紅い唇を手の甲で拭った。全蔵に見られたのだと思うと、後悔しかなかった。
早くシャワーを浴びたかった。汗だけではない、全身をまとう汚れを落としてしまいたかった。
廊下に出る。階段の前に行くと、違和感に気づいた。階段の灯りがついている。あやめはつけていない。鞄を置いただけだ。
見上げると、湾曲した階段の踊り場に全蔵がいた。腕を組み、あやめを見下ろしている。明らかに待ち伏せをされている。二階の自室に上がる前にあやめが洗面所に向かうことを、男は熟知しているのだ。
これだから全蔵は嫌いだ。
あやめは唇を引き結び、鞄を手に取った。構わず階段を上がり、全蔵の前を通り過ぎる。無視をしていると、やはり全蔵は放っておいてはくれなかった。急に左腕を掴まれる。
ぎくりとして足を止めた。あらわになった肌に直接触れられている。あやめの胸は高鳴った。男の手はひんやりとしていた。
「なに?」
不機嫌を装い睨みつけるが、全蔵は意に介さなかった。男は、あやめの姿を見たときから不愉快だった。
掴んでいる手とは反対の手で、むき出しの肩に指先を伸ばす。キャミソールの細い紐を、中指ですくった。
「何これ」
「な、なにが?」
「露出多すぎ。スカート短すぎ。化粧も濃い」
一瞬にして、あやめの全身の熱が沸騰した。
下段にいる全蔵は、あやめの躰をじとりと見回す。前髪に隠れて見えないはずの視線が、あやめの肌を焦がした。男の眼の流れに合わせ、結い上げた髪の先から真っ赤なペディキュアの爪先まで、情熱が駆け巡った。
「ろくな男じゃないな」
怒りを含んだ全蔵の声色に、眼を見開く。
「何が?」
「おまえにこんな格好させるなんて、ろくな男じゃない」
「やめてよ」
反射で応えていた。応えながら、肩に触れそうな全蔵の指が気になって仕方がなかった。
「私が好きでしてるんだから。先輩は悪くない」
「似合ってねーじゃん。上品さの欠片もない。おまえのことわかってる男なら、」
「好きなんだもの!」
張り上げた声の大きさに、自分が一番驚いた。あやめは咄嗟に階下を見た。全蔵も視線を追う。母が出てくる気配はなかった。
安堵して、囁く。
「……部屋にきて」
「…あァ」
長い指がゆっくりと肩から離れていく。触れないように、そっと離れていく。同時に、掴まれていた左腕も離された。
冷たい手に握られていたというのに、そこだけが焼けるように熱かった。
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