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□世界の名前
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「ごめんなさいね、今日はお客様が多くて」
指名してから三十分待たされた。銀時と長谷川の席にやってきた妙は、それまで銀時の隣にいた花子と入れ違いに座った。
花子は妙と目配せをしたあと、銀時に会釈する。次は指名してくださいね、と笑顔で去った。いわば社交辞令のようなものだ。銀時の指名は妙以外にないと、店の誰もが知っている。
長谷川の相手をしているおりょうとも視線を交わし、妙は銀時の酒を新しく作る。これでもかというくらいに濃いウィスキーを作った。
差し出されたグラスの色を見て、男が眉をひそめる気配がする。銀時の懐事情を知っている妙だが、それとこれとは話が別だ。嫌なら来なければいいのだ、といささか冷たいことを考える。
「随分人気じゃねェか」
低い声に棘があった。おや、と妙は顔を上げた。なにやら機嫌が悪いようだ。
銀時が目を細めてこちらを見ていた。上半身をどかりとソファに預け、足を組む姿が仰々しい。妙は可笑しくなった。
「銀さんが帰るまでここにいますから、許してくださいな」
艶やかな黒曜で見上げると、銀時は蒼眼を瞬いた。意外にも、おう、とも、ん、とも取れない呟きが返ってくる。
妙はうつむいて微笑んだ。――まさか、やきもちではあるまい。
昨日の、と銀時は言った。
「晩飯食わないなら連絡しろって、新八に怒られた」
え、と妙は身体ごと男に向き直る。
「一緒だって言わなかったんですか?」
「おまえと同伴なんて言ったら、あいつらついてくんじゃん。絶対ヤダ」
子供のような口調に、妙はまた可笑しくなる。しかしそれ以上に驚いた。
「昨日のあれ、同伴なんですか?」
「違うの?一緒に飯食って、ここ入ったろ」
「違いますよ。ファミレスのカレーフェアで同伴なんて、認めません」
今度は銀時が目を見張る。
「そうなの?」
「そうです。同伴で何を食べたかなんて、キャバ嬢のステータスでもあるんだから」
うわ面倒くせェ、と危うく口にしそうになる。かろうじて、ぐっと堪えた。言えばウィスキーボトルで殴られるかもしれない。
銀時は座り直した。じゃあ、と妙の耳元に顔を寄せる。
「昨日のあれはなに」
肩と腕が触れたが、妙は身じろぎひとつしない。じっと男の蒼眼を見返した。
「新ちゃんには、そういう癖がついちゃってるんです。私たちはいつも、誰とどこに行くか報告し合ってたから」
凛とした眼差しに吸い込まれそうだ。銀時はつい見惚れた。
「二人きりの家族だし、お互いのスケジュールくらい把握しておかなくちゃって。私が決めたんです」
妙は、はにかむように微笑んだ。
「あの子はそれが当たり前になってるんだわ」
…だから銀さんにも、という声は囁きに近かった。伏せられた睫毛はマスカラのせいだろう、深い碧色に見える。銀時はそっと息を吐いた。
はぐらかされたのだろうか。妙は仕事柄、そういうことが上手い。
「……なつかれてんのかね」
「食事の心配をするってことは、身体の心配をするってことですよ。確かに、作ったものを食べてもらえない寂しさはあるかもしれないけど」
なるほど、と男は得心する。姉の破壊的な料理を食べてきた新八ならではの心情かもしれない。
「でもおまえも黙ってたんだろ、昨日のこと」
「私が仕事の日は、同伴やアフターもあるって新ちゃんはわかってますから。わざわざ言わなくても」
まるでいつもそうしているかのような口調に、銀時はムッとした。
不愉快だと感じる自分に苛ついた。彼女の一挙一動に振り回されている気がする。情けなさと腹立たしさが、複雑に男の中で渦巻いた。
不満をぶつけるように、濃いウィスキーを煽った。喉を通り胸まで達すると、流れたアルコールが男の身体を熱くする。
同伴はともかく、アフターはダメだろ。
口にするつもりはなかったが、声に出ていたらしい。妙が不思議そうに銀時を見つめた。しまったと思うが、もう遅い。小さく舌打ちをして、それから男は開き直った。
「楽しいわけ、そんなに遊んで」
志村邸が脳裏をかすめる。二人で過ごす柔らかな時間を想い、子供たちと食卓を囲む賑やかな時間を想った。
ふいに裏切られた気分になる。身勝手な感情だと、わかってはいるが。
「仕事ですよ?」
きょとんとして発した妙の声は、心底不思議そうだった。
「仕事ですから、営業みたいなものです」
…わかってるっつーの。銀時は唇を尖らせ、身を縮めた。
その仕草が拗ねているように見えたのだろうか、妙はふふ、と笑って男の髪に触れた。撫でられ、銀時はびくりとして首をすくめる。
優しい指の動きに、銀時は戸惑った。偶然に触れることあっても、こんな意図的な接触は今までしたことがない。衆人環視の中で、ましてやここは彼女の職場だ。
妙の反対側には長谷川とおりょうがいる。二人の視線を痛いほど感じたが、銀時はまともに見れなかった。
「あの、おねーさん…」
銀髪が揺れる。妙は遠慮なく男の髪を撫でまわした。
「銀さんって猫っ毛なんですね」
意外だわ、と瞳を瞬く妙を見ていて、銀時はようやく気がついた。彼女は酔っている。
銀時は苦笑した。妙の細い手首を掴み、強引に自分の頭上から引き剥がす。
「なァ、俺が帰るまでいるっつったよな」
「…はい?」
「送るから、アフター付き合え」
すると妙は、驚くほど素早く反応を返した。満面の笑みを浮かべている。
「嫌です、銀さんとはアフターも同伴もしません」
酔っているはずなのに、やけに強い意志が窺えた。
「銀さんには営業しません」
…それは、と銀時は考える。それはつまり、俺との時間は仕事じゃねェ、っつーことか?
銀時の口角は自然に上がった。思わず自嘲する。
「男ってのは、単純だなァ」
「女も単純ですよ」
呟き、妙は薄く笑った。
「家まで送ってくださいね。何だか一人で帰れそうにないわ…」
まるで誘惑の言葉だ。
男は単純で、卑怯な生き物だ。銀時は酔った彼女の言質を取った気でいる。
「それぐらい、いつでも」
彼女の薄桃色の耳元で囁いた。いつも傍にいれば、それだけで他の男への牽制になる。銀時には確かな思惑があった。
「大事な従業員の姉上ですから」
へらりと笑って顔を覗き込めば、妙の白い頬が見える。酔っても顔に表れないのが彼女の強みなのか、弱みなのか。
妙はじとりと男を見上げた。
「やっぱりムカつくわ、その顔」
相変わらず締まりがない口元ね、と頬をふくらませる。妙はへらへらと緩む男の頬を、引っ張ってやりたい衝動を抑えられなかった。
伸びてきた細い指を、銀時は甘んじて受け入れた。




20121011 miyako
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