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□Need I say more?
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馬鹿なことを考えた、と銀八は眉根を寄せた。自虐的になっている自覚はあったが、そうでもしなければ苦しさで壊れそうだった。
自分はこんなにも繊細な人間だっただろうか。大切なものができると、人は強くなる。だがそれが絶対に手に入らないものならば、人は弱くなるのかもしれない。
国語科準備室の薄汚れた天井に、紫煙を吐き出した。身体に馴染む古びた椅子に身を預ける。ギィィ、と耳慣れた金属の音がした。自分の領域に戻り、ようやく一息ついた。
考えてみれば、今まで付き合った女に自分からプレゼントを渡したことはなかった。大抵は記念日を忘れ、いつもねだられて贈るものばかりだった。誰かのために選んだプレゼントすら初めてだった。
銀八は机の上のよれた包装を横目で見た。手のひらに収まる小さな袋は、もはや役目をなくした。深い碧色の包みから視線を外し、銀八はまた紫煙を吐いた。
慣れないことをするから、失敗する。色気を出して先走った結果がこれだ。銀八は自嘲する。これでよかったのかもしれない。優秀な委員長を頼りにするだらしがない担任に、また明日から戻ればいい。
銀八はおもむろに椅子を回転させた。西側の窓の下を見下ろす。
秋の陽は日ごとに短くなっている。校庭には夜間照明が灯り、練習する野球部員たちの姿が影になりつつあった。ここから体育館裏は見えない。
あれから一時間は経っている。今頃はカラオケにいるだろう。それとも――、
嫌な考えが頭をよぎり、銀八は舌打ちをした。何があっても、先の約束を破るような女じゃない。
未練を絶ち切るように立ち上がった。帰ろうと思った。いつまでもここにいて、体育館を見つめていても仕方がない。自分の女々しさに嫌気が増すだけだ。
くわえ煙草のまま白衣を脱いだ。代わりに薄いダウンジャケットを羽織る。朝晩の冷え込みは厳しく、原付バイクでは一層寒い。
キーケースを確認したとき、携帯がないことに気がついた。机の上にあった。愛書や書類が描く山陵に埋もれている。
濃碧色の袋が目に止まった。置いて帰るわけにはいかないと、携帯と一緒に乱暴にダウンジャケットのポケットに突っ込んだ。
部屋を出ようとして、扉の向こうの影に気がついた。影は間違いなくこの部屋の前にいるというのに、一向に入ってくる気配がない。銀八は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「なに?」
言いながら、扉を開けた。
頬を上気させた妙が目の前にいた。


走ってきたので、妙の息は上がっている。急に開いた扉に驚いて、胸に抱えたうさぎ柄の手提げ袋を落としそうになった。慌てて握りしめる。
白色のダウンジャケットを着た銀八が、目を丸くして見下ろしていた。妙は緊張した。心の準備をしてから、扉をノックしようと思っていたのに。
「どしたの」
軽い口調とは裏腹に、銀八の顔は厳しい。妙は逃げ出したくなった。銀八はまだ不機嫌なのだろうか。
HRのあと、廊下で銀八に呼び止められた。言うつもりはなかったのに、急いでいたのでつい本当のことを言ってしまった。待ち合わせをしていると言っただけなのに、銀八は真意を突いてきた。
おそらくそうであろうと、妙も思っていた。今朝、下駄箱に入っていた『放課後に体育館裏で待っている』と書かれたメッセージ。そこには知らない男子の名前が書かれていた。今日は自分の誕生日だ。目的が何か、恋愛にうとい妙にもわかった。
知らない相手だが、無視することはできない性分だ。放課後はみんなと遊ぶ約束をしている。さっと行ってさっと帰ろうと思った。
銀八に呼び止められたのは、計算外だった。この男にだけは知られたくなかった。
自分の交友関係など、銀八には興味がないだろう。知られたくないという想いは、自分の一方的な感情に寄るものだった。勘違いをして欲しくはなかった。たとえ男の関心が自分には向いていないとしても。
だが知られてしまった。何がいけなかったのだろうか、なぜか銀八は不機嫌になった。怒っているようにも見え、妙は混乱した。
早くその場から逃げ出したくて、去っていく銀八の背中も見ずに階段を駆け降りた。
体育館裏で知らない男子の告白を受けている間も、妙は銀八のことを考えていた。そして気づく。冷静になってみれば、銀八はいつものように何か用事を頼みにきたに違いない。それはたぶん、重要なものだったのだろう。素っ気なく断る妙に、だから不機嫌になった。
考えてみれば理不尽なことだが、ありえることだ。男は妙を頼りにしている。頼られているという実感がある。頼りにされている分、期待に応えたいと努力してきた。銀八にはそれが当たり前になり、断られることなど思いもしなかったのだろう。
理由がわかると、妙は可笑しくなった。本当に駄目な教師だ。
プレゼントを渡そうとする男子に、妙は謝罪した。あなたと付き合うつもりはないし、よく知らない人からものをもらうわけにはいかない、とはっきりと言った。
それから妙は足早に教室へ戻った。神楽や九兵衛たちと共に、新八と近藤たちも待っていた。
新八は、ご馳走作って待ってますから、早く帰ってきてくださいね、と言った。悪いが新八くん、そういうわけにはいかない、と九兵衛が厳しい顔で言い、続いて神楽が姉御にご馳走するのは私たちアル、とにっかりと笑う。
今にも暴れそうな新八を、妙は笑って制した。なだめて廊下に促す。新ちゃんのエビフライが一番好きよ、と微笑むと、新八は照れたように笑う。またあとでね、と手を振って弟を見送った。
教室に戻ろうとすると、廊下の先にりょうの姿を見つけた。りょうは笑顔でやってくる。今日の女子会には、りょうも参加する。
二人で3Zに入ると、妙さァァァん!と飛び付いてくる近藤が目前に迫っていた。妙は動じず、的確に拳を繰り出す。顔面にヒットした。
倒れ込む近藤の手から大きな赤いリボンがついた箱がこぼれ落ちた。妙へのプレゼントだと一目でわかる。
起き上がろうとするしぶといゴリラを踏みつけていると、ホラ部活に遅れっぞ近藤さん、と土方が近藤の身体を引っ張り上げた。沖田が近藤の荷物を持っている。
連行されるゴリラを見送り、妙は落ちている箱を拾い上げた。貰えるものは貰っておく。物に罪はなく、うざいゴリラだが近藤は知らない人間ではない。
赤いリボンを見ていると、かつて自分が渡せなかった贈り物とかぶった。ふいに胸が疼く。


今日は十八歳の誕生日だ。
高校生活最後の誕生日を、一緒に過ごしたい男はまだ校内にいるはずだ。
妙は急に諦めきれなくなった。
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