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□Need I say more?
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言いたいことは山ほどあったが、咄嗟に言葉がなかった。銀八はじっと妙を見つめた。
彼女は走ってきたのか、少し息が荒い。紅潮した頬とわずかに開いた唇が艶っぽい。見つめているうちに、じわじわと想いが募ってくる。折れてしまったはずの心は、再び強い意志を持ち始めた。
目の前の彼女自身が、銀八を奮い立たせてくれた。
「…カラオケ、行ったんじゃなかったのか」
「先に、行ってもらってて」
彼女は胸に抱えた手提げ袋を握りしめている。辞書や体操着などをその袋に入れていることを、銀八は知っている。教科書が入った鞄とは別に、妙はいつもそれを持ち歩いていた。うさぎ柄が彼女のお気に入りのようだった。
銀八はポケットの中の小さな包みに触れた。袋はよれてしまっているが、中身は無事なはずだ。
高鳴る鼓動を抑えるように、銀八は鋭く息を吸った。神など信じたことはないが、目に見えない不思議な力が働いて彼女を連れてきてくれたのだと思った。これは贈り物だ。
銀八は薄く笑った。自分は初めから、聖職者になど向いていない。
「志村、手ェ出せ」
ポケットからそれを取り出す。濃碧色の袋を妙の前に差し出した。
戸惑う彼女の手首を掴み、優しく引き寄せる。あっ、と思ったときには、妙の身体は男の胸に飛び込んでいた。妙の心臓が跳ねた。
銀八は空いた手で彼女の肩を抱き、国語科準備室に促した。扉を閉め、ゆるりと離れる。掴んだ手首は離さなかった。
手のひらを上に向かせ、小さな袋をそっと置いた。妙はそれをまじまじと見つめた。
「誕生日プレゼント」
銀八が言うと、妙は男と包みを交互に見つめた。瞳を瞬き、絶句する。
「………え?」
銀八は眉を下げて苦笑した。
「そんなに意外かよ」
「だって……」
妙の眼は泳いでいる。やがてふいに定まり、ふっと男を見上げた。
「日頃の迷惑料?」
「俺ァそんなに迷惑かけてんのかよ」
不本意だったが、ここで言い争うつもりはない。
「いいから開けろ」
「…………」
妙はおそるおそる包みを開けた。誕生日プレゼントだと男は言うが、リボンや装飾は何もない。小さな袋にテープが止めてあるだけだった。妙はテープを剥がした。
袋は軽い。逆さにして、中のものを手のひらに滑らせた。
嘘だ、と妙は目を見張る。信じられないものが手の中にある。
「安もんだけど」
銀八の声など耳に入らないようだった。安ものだとか、そういう問題じゃない。
小さな石がキラリと光った気がした。妙は白金の指輪をそっと掲げた。石はどう見てもダイヤモンドに見える。
「せ、んせい」
妙は息をのんだ。
これは、いったい、どういう、
見上げれば、深い蒼眼と目が合う。眼鏡の奥の瞳は優しい色をしていた。
「まァ、そういうわけだから」
どういうわけだか、ちゃんと言って。
「予約というか、結婚を前提にというか」
それは婚約って言うのよ。
妙はうつむき、指輪を握りしめた。思わず拳が震える。
「………、しん……ない……」
「え?」
「信じ、られない」
もう一度言って、妙は顔を上げた。きょとんとする銀八を見て、呆れが込み上げた。つい口調がきつくなる。
「こんな大事なもの、ただ袋に入れて渡すなんて。ケースは?普通リングケースに入れるでしょう?」
「安もんだもん」
「そういう問題じゃない!」
うさぎ柄の手提げ袋を振り回し、銀八の胸を叩いた。うおっ、と男はのけ反る。
「んだよ、もらってくんねーの?」
銀八は眉を下げた。誕生日に突然指輪を渡されれば、誰でもその意味を深読みする。銀八としては妙に深読みして欲しかったが、彼女の気持ちに確信が持てない。
だから重くならないように手軽に渡したつもりだった。それが仇になったのだろうか。
つまり妙は、重い指輪が欲しかったのか。思い至り、銀八の口角は自然に上がった。
疼く笑みを抑え、男はわざと不機嫌な面をする。片手を突きだし、手のひらを上に向けた。
「いらねェなら、返せ」
はっとして、妙は握った指輪を背中に回した。
「だめ」
「あっそう」
銀八はにやりと笑んだ。
「じゃあ卒業したら嫁にくるか」
「…えっ」
「こないなら返せ」
ぐい、と腕を突き出すと、妙は指輪を守るように横を向いた。返す気はないらしい。
「だったら選択肢はひとつだろ」
往生際が悪いやつだ、と苦笑する。さっさと言えよ、俺の女になるって。
妙の気持ちは確かにひとつしかない。だが、男の言うままに流されることが嫌だった。
だって私は、告白をするためにここにきたのに。
先を越された気がして、悔しいのだろうか。自分でもよくわからず、妙は素直に頷かなかった。
指輪を握りしめたまま、うさぎ柄の手提げ袋を胸に抱く。意を決し、中から綺麗にラッピングされた白銀色の袋を取り出した。
「誕生日プレゼントです」
渋面のまま差し出すと、銀八は瞠目した。咄嗟に彼女の言葉の意味がわからなかった。
「とっくに終わってますけど…」
そんなことはわかっている。妙は顔を赤らめた。
銀八の誕生日に間に合わせるように準備していた。当日もちゃんと持ってきていた。だが、いざというときに渡す勇気を失った。手編みのマフラーなんて、重いだろうか。
編む前に散々悩んだ。それでも気持ちを伝えたいと懸命に編んだものなのに、土壇場になって怖じけづいた。私の気持ちは、先生の迷惑になるかもしれない。
十月十日に渡せなかった。それからずっと持ち歩いている。いつか渡せるかもしれないという淡い期待を抱いて。だが誕生日という最大のイベントを逃してしまえば、そんなチャンスが訪れるはずもない。
未練だけが残った。
ほどくことも棄てることもできない。いっそ自分で使おうかとすら思った。マフラーが必要な時期はすぐそこにきている。
さきほどまで、確かにそう思っていたのに。自分へ贈られるプレゼントや祝いの言葉が嬉しくて、与えられるものすべてに感謝をした。すると突然、諦めきれなくなった。私も贈りたい想いがあったはずだ。
みんなに触発され、勇気をもらった。
妙は桃色の頬で、まっすぐに銀八を見た。早く受け取って欲しい。懇願するように見つめると、男は薄い笑みを浮かべてから、ゆるりと手を伸ばした。
「開けていい?」
妙はこくりと頷く。銀八は薔薇色のリボンをほどいた。
赤いマフラーが入っている。取り出すと、ずしりと重かった。
「手編み?」
妙はまた頷いた。銀八の頬はゆるむ。
すると妙は、銀八の手からそっとマフラーを取った。じっと見つめていると、彼女はわずかに背伸びをする。顔が近づいて、銀八は息をのむ。初めての距離に緊張した。
妙は長いマフラーを広げ、男の首に巻き付けていく。銀八はされるがままになっていた。
マフラーの位置を整え、妙は静かに微笑んだ。大きな黒曜が細められ、艶やかな睫毛が揺れる。
「バイクに乗るとき、つけてくださいね」
「…うん」
妙の顔がいつもの高さに戻り、ほっとすると同時に少しだけ寂しくなった。銀八は妙の柔らかい手を握る。手の中にはまだ指輪があった。男は温かくなったそれを取り返した。
妙には男の意図がよめていた。胸が高鳴った。
銀八は慎重に、妙の左薬指にプラチナリングをはめる。ぴたりとはまった。男は満足げに微笑み、小さな石をもてあそんだ。
彼女の指のサイズなどわからなかった。指輪を求めたとき、店の女性店員を数人呼び、瞼に描く彼女の指と比べた。妙の身体中のパーツを、銀八は瞬時に思い出せる。
白魚のような手を下から掲げた。顔の高さまで上げ、指輪ごと甘い指に口づける。柔らかな唇が肌に触れ、妙の鼓動は一層激しくなった。
声を殺して見つめていると、赤い顔の銀八と目が合う。彼も恥ずかしいのだろうか。妙は可笑しくなった。ふふ、と笑う。
「緊張してるの?」
からかうように問うと、
「あっちィんだよ」
と尖った声が返ってくる。強がりに見えた。暑いと言いながら、男は一向にマフラーを外そうとしない。
妙の胸に愛しさが込み上げた。さきほどの返事を、早くしたい。
嫁にくるか、と確かに銀八は言った。

「旦那さんにしてあげても、いいですよ」


抱きついてくる妙の身体を、銀八は鋼の腕に閉じ込めた。
頬を寄せて口角を上げると、澄んだ声が小悪魔のように囁く。
「先生は、いつから私が好きだったの?」


まだ言わせてェかコノヤロー。




20121029 miyako
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