main


□B-bird
2ページ/2ページ

「服部せんせー」
「何ですか坂田先生」
 愛読書から顔も上げずに全蔵は生返事をした。声の主は隣の席の同僚で、互いに毎週ジャンプを購読している。
 二人して同じ雑誌を読んでいると、あるとき月詠に言われた。金を出し合って買うてはどうじゃ、いかにも非生産的すぎではないか、と。そんなことはわかっている。けれどジャンプは男の浪漫だ。大人になり社会の荒波にもまれ、世間の厳しさを知ったからこそジャンプが必要だ。そこには、少年の頃に夢見た憧憬と希望が詰まっている。
 その浪漫を分け合うには隣席の天パは相応しくない。全蔵はこの男を嫌いではない。憎くもない。だが、何かを分け合うなどまっぴら御免だった。
「ケーキ食べない?」
 銀八の言葉に、全蔵はようやく顔を向けた。長い前髪の下から二十センチ方形の白い箱を見つめる。男の白衣のポケットから蒼いリボンが覗いていた。
「もらったけど食いきれなくて」
 中を見せないのは、この男の策略に違いない。開ければ納豆の匂いがするはずで、そんな怪しげなケーキは誰も食べたくないだろう。
「や、遠慮しとくわ」
 顔の前でひらひらと手を振るが、銀八は食い下がってきた。全蔵は苦笑して、腹いっぱいだから、と席を立つ。
 納豆だろうが苺だろうが、食べる気はない。中身は問題ではなかったが、銀八に言っても仕方がない。
 職員室を出るとき、全蔵は振り向いた。するすると源外の席に近づく白衣の背中が見えた。全蔵は口角を上げる。誰にでもいいから全部食べて欲しいらしい。あやめにとっては不本意だろうが、捨てる選択肢がないことはあの男なりの誠意であるには違いない。

 職員用の手洗所を出ると、廊下であやめが待ち構えていた。全蔵は驚かなかった。ハンカチで手を拭きながら、やっぱりな、と思う。ケーキを渡すことに成功した彼女が、自分の元に来ないはずがない。
「おまえな」
 全蔵は呆れた声を出した。
「男子便所の前で待つなよ。デリカシーねェな」
「全蔵だからいいのよ」
「何それ?」
「男じゃないから。カテゴリ全蔵だから」
 あー特別枠ですかそれはどうもー、と無感情な口調で返した。本当は少しだけ胸が痛んでいる。しかし全蔵はおくびにも出さない。
 ずっとそうしてきた。大袈裟に言えば、彼女を守るためだと思っている。全蔵が本心をさらけ出せば、傷付くのはあやめだ。
 彼女は小さい頃から不機嫌になると全蔵のところへやってくる。嬉しいことがあってもやってきて、聞いてよ全蔵、と服部家に長々と居座った。愚痴をこぼしたり幸運を語ったり、まるで子供の報告だった。
 そのくせ、日常では一切近づかない。学校ですれ違っても言葉を交わさない。たまに全蔵が声をかければ、学校で話しかけないでよ、と父親を嫌悪する思春期の娘のようなことを言う。そいう意味では、カテゴリ全蔵は正解なのかもしれない。自分はどこにも属さない異性だ。
 全蔵は廊下の窓際にもたれた。窓の向こうは校庭で、野球部が部活を始める準備をしている。
 あやめはよっぽど嬉しかったのだろう。家に帰れば隣家に全蔵はいるのに、わざわざ探して会いにきた。だから全蔵はすぐに言った。
「渡せてよかったな」
「うん」
 あやめは大きく頷いた。こんなときは素直だ。
「目の前で食べてくれたの。一口だけだったけど」
「ふうん」
「職員室で皆に分けてた?」
 その問いに淀みはなかった。初めから覚悟してた声色だ。今度は全蔵が素直に頷く。
「ああ、分けてたよ」
「全蔵は食べた?」
 意外な問いかけだった。男は初めて躊躇った。しかし、嘘はつけない。
「……いや」
低く呟くと、あやめは息を吐いた。
「ならいいの」
 やけにあっさりとしている。瞳を伏せ、それからあやめは薄く笑った。
「全蔵は食べちゃだめ」

 あァ、本当に。
 全蔵は緩く唇を噛んだ。
 あいつと何かを分け合うなんて、まっぴら御免だ。




20121001 miyako
20121013 加筆修正
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ