頂き物

□sunflower=serenade
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sunflower=serenade 2

潮風に起こされるのは、生まれて初めての経験だった。

「んー…」

昨晩開け放したまま眠りについてしまったから、海原に面した大きな窓は思い切り朝の風を受け入れていた。
それに目覚めた。
ディーノは目を擦り、純白のシーツの上で身を動かして傍に恋人の姿を探した。

「きょーや…?」

ベッドにはいないようだ。
寝返って窓辺を見れば、そこの先のバルコニーに、こちらに背を向けて海を眺めている雲雀がいて。

日本の夏は湿度が高い。
それでも朝からサラサラと風に遊ばれる黒髪は目を奪うようで、薄着の身体には昨夜の色香がまだ漂う。
朱は遠目にも鮮やかに見える。

気付けば、ディーノ自身はスラックスしか身につけていなかった。
その肢体をまだ横たえ、愛しい雲雀の後ろ姿を眺めていれば、すると彼が振り返って。

「やっと起きたの」

涼しい表情で言ってくる。

「ねぇ、こっち来て」

バルコニーの柵に手をかけたまま言う雲雀の言葉に、ディーノはベッドを離れた。
疲れたズボンを履きながら、欠伸を零してそちらへ歩み寄って行く。

見えたのは、冗談のように綺麗な大海原だ。
微かに聞こえてくる波の音は涼やかで、海面はキラキラと朝日を反射していて。
水平線は美麗な孤を描いている。
雲雀を背後から抱きしめるように、両の腕に挟むように、柵に手をついた。
耳殻にそっと口づける。

「綺麗な海だな」

「そっちじゃないよ」

しかし雲雀の言いたかったのは、海ではないようだ。
彼の指差す先は、砂浜の方。

「あそこ」

砂浜と車道の間。
そこを明るい黄色に染め上げているのは、太陽に向かって咲き誇るあの植物。

「おぉ、オレが咲いてる」

「馬鹿じゃないの」

「何だよー、恭弥が昨日言ったんだぜ?オレが向日葵みたいだって」

何本も並ぶその花の列は、やかましいほど明るかった。

しかしディーノは、その花よりも、それを見下ろす雲雀の表情の方に気を取られてしまって。
ヒバードやエンツィオを眺める時の目と似ている。
あまり人間に対しては見せない、穏やかな、優しげな微笑み。
それを、今の雲雀は浮かべている。
こっそり、後頭部に口づけた。

「向日葵にまで妬かせんなよ」

言えば、雲雀は首を捻って後ろを向いた。
拗ねたディーノを見上げてくる、その小さな唇を一瞬塞いだ。

「おまえはオレだけ見てればいいの!」

「向日葵の方がよっぽどいいね。喋らないから」

「恭弥ぁ〜」

このような悪戯っぽい笑顔も、まあ、たまらないのだけれど。


* * *


結局二人きりの海は堪能出来たも同然だったから、ディーノの方も満足で。
帰りの車内ではフンフンと鼻歌を奏でていた。

なぜか雲雀はあの浜辺の向日葵をいたく気に入り、ホテルを出てから車に向かう前、あそこの海辺へちょっと赴いてその花を一本失敬してきた。
彼に植物が嫌いな印象はなかったが、花に特別な興味を抱いているようにも見えなかったのだが。
実際、聞いてみれば本当にそうらしかった。

「別に花が大好きってわけじゃないけど」

助手席に落ち着いて。
膝上に抱えた水差しに突っ込んだ向日葵を眺めながら、言う。

「でも、これは、好き」

ハンドルを切りながら横目で盗み見れば、雲雀が浮かべているのはまたあの笑みだった。
向日葵に対抗心すら生まれる。
我ながら困った嫉妬癖だ。

今日は月曜日だから、雲雀はこれから学校。
早朝のうちにホテルを後にした甲斐があった。
いったん雲雀の自宅へ向かい、制服に着替えた彼を並盛中学校へと送っても、時間はまだ登校に勤しむ生徒が見られる刻だった。

雲雀は花を応接室に飾るつもりらしい。
可愛らしいところもあるものだ。

「そろそろ夏休みだな、恭弥」

校門前の路上の隅に駐車した車内。
別れの名残惜しさに、ディーノは助手席の雲雀の手を握る。

「そうだね」

「またすぐ日本来るから。そしたら夏休み使って、今度こそ、」

「また、海?」

呆れたように笑む雲雀に、穏和な笑顔を見せる。


「今度は何泊かしようぜ」

気が向いたらね、なんて彼らしい返事を寄越し、そうして雲雀の右手がドアの取っ手に掛かった。
そっとその腕を掴み、ディーノは華奢な身体を引き寄せた。
窮屈な体勢で恋人を抱きしめ、触れるだけの口づけを交わす。

ちゅ、とリップ音を残して。
しばらく会えないであろう恋しい人に。

「も…、行く」

雲雀は顔を反らし、ほのかに染まった頬を隠すように俯いた。
車から去ろうとするその頬を包み、執拗に、瞼に唇を寄せる。

ぎゅっと目をつむる彼が愛しくて。
ドアを開けたら二人きりのこの空気も、寸時に壊れて消えてしまう。
離したくなんか、ないのに。

「恭弥、」

震える睫毛で怖ず怖ずと、雲雀がこちらを見上げてくる。
このような表情はあまり見れない。
雲雀も別れを惜しんでいるということが、泣きそうになるくらい嬉しくて。

また瞼と、額と、頬と。
飽きもせず沢山口づけた。

「離して…もう、行く」

「ん…」

近距離で視線が交差する。
そのまま引き寄せられるように唇を重ね、ゆるゆると互いの柔肉を擦り合わせた。

舌を使うことはなんとか制止して、絡めていた指もどうにか解放したのだけれど。
何だろうか。胸騒ぎが。
今、雲雀を行かせてはいけない気がして。

「恭弥…学校、行かねぇと」

そう言いながら、ハシバミの瞳は雲雀を捉えたまま行くなと訴えている。
車内は静かで、小鳥でさえ空気を読んだように鳴き声を抑えていて。
余計にこの空気を逃がしたくなくなる雰囲気だった。

「…行く」

熱の篭った目を避けるように下を向いたまま、雲雀が右手でドアノブを捻る。
最後にチラとディーノを見遣ってから、彼は思い切りドアを開けた。

外気が車内に流れ込んでくる。
登校中の生徒の話し声が割り込んでくる。
革靴を鳴らして道路に降り立った雲雀を、ディーノはまだ見つめていた。

肩には小鳥。
大きな向日葵を抱えて。

「またね」

素っ気なく言い残し、バタンと、扉が閉められた。

「…恭弥、」

フロントガラス越しに、颯爽と校舎に向かう背中を見送る。
雲雀恭弥と向日葵という異様な組み合わせに周囲の生徒が目を剥く様子を、何となくくすぐったい気分で眺めていた。

風紀委員の腕章を揺らす姿が視界から去って行っても、ディーノはしばらくそこにいた。
一人きりの車内で、伸びをして。
たった今まで恋人が座っていた助手席に未練がましい目線を投げてから、エンジンをかけた。

「…、行くか!」

車内にはまだ、潮風が流れていた。


―next―


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