蒼空の光
□初恋
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終点の岬まで、この電車に乗り続ける。
3人での話もそろそろ底を尽き、佐野がイヤホンを引き出して音楽を聴き始めると、進藤は本を読み始め、芙美子は飽きずに窓枠に肘をかけて外を眺めている。
ふと、進藤の肩に重さがかかる。
見ると、眠ってしまった芙美子が進藤の肩に頭をもたせかけている。
進藤の心臓が、芙美子にも伝わってしまうのではないかと思われるくらい大きく跳ねる。
咄嗟に助けを求めて佐野を見るが、目が合った佐野は、また外を見ながら大きく伸びをして立ち上がり、戸惑う進藤に余裕の笑顔を向ける。
「ちょっと、先頭車両まで行ってくる」
「な…何言って…」
「その後、最後尾にも行ってくるわ」
「佐野…!」
「んじゃっ」
前を向いたまま手を振り、振り返ることなく歩いて行く佐野を止めるすべもなく、肩に芙美子の頭を乗せたまま、激しく拍動を続ける心臓を持て余す。
窓からは爽やかな風が吹き込み、2人の髪や服を揺らして、車両内を通って別の窓から出て行く。
進藤の肩に頭を預けたままぐっすり眠ってしまった芙美子は、なかなか目を覚まさない。
たぶん他の女の子たちより長めの睫毛が、白い頬に影を落としている。
無防備に少し開いた唇が、進藤の心臓の拍動をさらに速める。
思わず、といったふうに左手が勝手に上がり、芙美子の頬に向かう。
その指先が芙美子の白い頬に触れそうな瞬間―――
フランクのバイオリンソナタが鳴り響く。
目覚まし代わりにセットしたソナタが鳴り始めた瞬間、進藤は夢から目覚めた。
自分の部屋にいることを確認する。
夢だった…。
今のは、ただの夢だ。
なのに進藤の心臓は、今まで見ていた光景が夢などではなかったと訴えるかのように、まだ激しく拍動を続けている。
苦しい。
もう一度瞳を閉じ、大きく息をひとつついてから、ようやく身体を起こす。
カーテンを開けると、朝の光が夜の空を少しずつ、しかし確実に過去に押しやろうとしている。
父も母も、芙美子もまだ深く眠っているだろう。
夢に見た芙美子の寝顔を思い出して一瞬、動きが止まりそうになる自分を叱りつけ、クローゼットを開け、服を取り出して着替える。
進藤たちのコンサート前、身仕度を整えた芙美子を見たあの日以来、進藤は芙美子のいるこの家にいることが息詰まるような、しかし甘い気持ちにもさせるような、甘苦しい感情に襲われることが多くある。
芙美子と口をきくどころか、まともに顔を合わせることさえできない。
だから進藤は、芙美子となるべく顔を合わせずに済むように朝早く起きて、夜遅くまで大学の練習室に籠もる生活を続けている。
幸い、芙美子がピアノを弾く次のコンサートの曲は、まだオケと合わせる段階ではない。
芙美子のピアノの先生である玲子が、まだオケとの練習を許していない。
しかし、それも時間の問題だ。
自分は、いつまでこうして逃げているつもりなのか…。
ため息をひとつついてから、バイオリンと荷物を手に部屋を出た。