Conan

□屋敷に眠る蒼宝玉U
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豪邸と言うに相応しい屋敷の二階。
広い庭を一望できる部屋には、窓を開け放しているおかげか夜の涼しい風が静かに入り込んでくる。
白い服を身に纏っている男は、ベッドで眠る少年を布団越しに抱き締めたまま横になっていた。シルクハットが床に転がろうとも、衣装やマントに皺が寄ろうとも、ただひたすら、少年の体温を求めて過ごす。

ここ暫く、ずっと悩んでいる事がある。
一度も口にした事が無いキッド自身が隠している秘密。
それは、分離した自分自身である黒羽快斗しか知り得ない秘密。
何度もコナンに伝えようとしたけれど、これは自分の問題だと思っていたし、何より自分の事でコナンとの少ない逢瀬の時間を奪われたくはなかった。
だからずっと口を閉ざし黙っていたのだが、目覚めと共に常にキッドがいる事を不思議に思っているコナンに欺き続けるにもそろそろ限界だろうと、キッドは思っていた。
質問する事を諦めたのか最近は聞かれる事すらなくなったが、それでも不思議そうに見る眼差しは変わらない。
「…もし伝えたら、お前はどんな反応するかな」
心配をしてくれるだろうか。黙っていたことを叱咤するだろうか。
恐らく後者だろうなとキッドは思う。
伝える事が出来るかは分からない。ずっと黙っていたって構わないのだろう。だがそれは自分を想ってくれるコナンに対して隠し事をしている事になる。
その事実が居た堪れないのだが、それは、伝えて自分の心を整理したいという自己満足なのかもしれない。
「早く起きろよ、名探偵」
キッドはコナンとの距離を縮めるように、小さい身体を更に抱き締めた。



その直後、部屋の外に気配を感じキッドは静かに起き上がった。
ベッドに腰掛け扉の方に身体を向けると、タイミング良く数回ノックされ、扉がゆっくりと開かれた。
「これはこれは、工藤探偵。恋人同士が触れ合う寝室にお入りになるなんて、少し不粋というものではありませんか?」
そこに現れたのは、この屋敷の住人の一人・工藤新一。
会うのは自分たちが分離した事を報告した時以来だろうか。
キッドは先ほどまで見せていた憂いの表情を綺麗に隠し、《怪盗キッド》として新一と向き合った。
「黙れコソ泥。毎度毎度不法侵入して来る犯罪者に説教なんてされたくねーよ」
「まあ、それはそうですね」
新一はベッドまでゆっくりと歩を進める。
「それにしても、私が幾度も訪れている事はご存じだったのですね」
「あったりめーだ」
残念ながら、この怪盗の気配は殺気でもない限り、離れた部屋から感じる事は中々難しい。
だがなんとなく、《勘》が働くのだ。《探偵の勘》ではなく、怪盗が来ているという、怪盗と幾度も対面した《『江戸川コナンだった』工藤新一の勘》が。
探偵を名乗っているのに怪盗の気配に気付けないなんて知られたくはない為、敢えて口に出すことはない。
ただそれでも確証はなく、気付かずに部屋を開けようとした事は多々あった。
勿論、開けた所で来ていない時もあるのだが、大体はこっそり忍び込んで只管眠るコナンに話掛けている。
その声があまりにも世間の怪盗キッド像から離れていて、あまりにも胸を苦しくさせるから、新一はいつも部屋の扉を開ける事無く立ち去ってしまっていた。
だが今日は、どうしてもキッドに聞いておきたいことがあり、わざわざノックをしてまで扉を開けた。
「…おめーだって、頻繁に快斗が来てる事は知ってんだろ?」
新一はそう言いながら、手にしていたお盆をアンティーク調のベッドサイドテーブルに置く。
お盆の上には綺麗に畳まれたタオルが数枚、電気ケトル、ペットボトルの水と小さな桶があった。
「ええ。彼は私でもありましたからね。行動パターンはお見通しですよ」
自分と同じように、愛しい恋人に会いにわざわざ江古田から遠く離れたこの邸まで足を運んでいる。
甲斐甲斐しく食事の世話をしたり、逢瀬を楽しんでいたり。何にせよ、嬉々としてやって来ているのが目に見えている。
彼に至っては重要な役割もあるのだろうが、その事に目の前にいる探偵が気付いているかは怪しいところだ。
「快斗が来る度に貴方が可愛らしい声を出されているのも知っています」
「なっ?! まさか盗聴器でも仕掛けてるとか言うんじゃねーだろうな?!」
キッドの言葉が完全に恋人同士の情事を指していると気付き、新一は思わず赤面する。
思わず叫んだ声に自ら驚いたのか、すぐ近くでコナンが寝ている事を気にして思わず手で口を押えた。
その様子を見て、キッドはクスッと笑う。
「それも面白そうですが、私はそんな事しませんよ」
キッドは新一の首筋に見えるキスマークを指差し再び微笑む。
「随分愛されていますね」
「…うっせ」
新一は首筋を隠すように押さえて顔を逸らす。
そんな気恥ずかしそうにしている新一の横顔を見ながら、キッドはその姿をコナンと重ねていた。
姿かたちは違えど、やはり元は同じ人間ということなのだろう。本当に瓜二つだ。
今は静かに寝息を立てているコナンも、キッドが愛の言葉を囁くだけで表情を変え赤く染める。普段見せる事ないその表情でキッドが欲を晒し出す事などよくある。

自分がコナンを求めているように、快斗も新一を求める。

元々惹かれあっていた自分達が肉体と魂を分離させ、人生すら分けてしまったとしても。片方が化け物じみた不可思議な人生を歩むことになったとしても。
愛しい者を求める。求める時に求める事が出来る。
積極的に求める事が出来なくても、一方が手を指し伸ばし求め合う事が出来る。愛しい時間をいつでも作り出す事が出来る。
それが羨ましくもあり、憎らしくもある。
敢えて口にすることも話すこともないが、コナンの関する事で何やら悩んでいるらしい今の新一を見て、キッドは苛立ちを覚えていた。


「…ところで工藤探偵。お持ちになったソレは一体何なのでしょう?」
キッドは纏い始めた負の感情を自覚し、内心舌打ちをしたくなった。
しかし、それは表面に出すことはなく、いつものポーカーフェイスで目の前にいる新一に、テーブルに置かれた物を指差し問いかける。幸い、未だに照れが残る新一にはキッドの思考など読めていないように見える。
「…ああ、コナンの身体を拭く為のセット」
「そうでしたか」
新一の答えにキッドはちらりとお盆を見る。
眠り続けるコナンの為に用意されたそれらは、キッドは初めて見るものだった。
今まで、コナンが起床した時に、嫌がるコナンを盛大に無視してキッドは一緒に入浴していた。その時に身体を洗っていたが、今回は今迄に無いほどの時間を眠り続けている。
キッドはコナンに話しかけることに夢中で、身体を拭く、などという考えは思いつかなかった。
「それは、私がさせていただいても?」
「あ?ああ…好きにしろよ」
桶にケトルに水にタオル。水は温度調整にでも使うのだろうと、瞬時に使用目的を把握し、キッドは組んでいた足を左右組み換え、再度新一を向き合った。
「それで?貴方はいつまで私と名探偵の逢瀬のお邪魔をするつもりです?」
「…そんなつもりはねーけど」
「では用件があるなら手短にお願いしますね、工藤探偵」
少し嫌味っぽくキッドが言えば、新一は小さく眉間に皺を寄せる。
キッドは、新一が何をする為に部屋に来たか理解していた。
新一が始めに言っていたように盗聴器などを仕込んでいるわけではないが、快斗には予め話している ―と言うより、分離した直後は黒羽家の自宅にいたので必然的にバレた― 為に、いつかは新一にも話はするだろうと思っていた。

「…快斗から聞いた」
キッドの視線を威圧的に感じ、新一は少し心拍数が上がるのを自覚しながらゆっくりと口を開いた。
何を、とはキッドは聞かなかった。
「お前が…快斗と身体が分離してから今まで、寝てないって」
「……」
「本当なのか?」
新一は真意を探ろうと、真剣な目でキッドを見る。
「快斗から聞いて、それを確認したかったのですか?」
「…ああ」
キッドの言葉に、新一は小さく頷いた。
「それが事実だとして、貴方はどうするのですか?」
「え?」
「確かにそれは事実です。私はあの日以来眠っていません。まあ眠気に襲われる事もないですしね」
「……」
「ですがそれだけです。私としては、24時間通して自分の思うように名探偵に逢いに来られるのですから、別に困ってなどいません。むしろ眠らないこの身体に感謝したいぐらいです」
キッドは、眠っているコナンを起こさないように、その柔らかい頬を軽く一撫でする。
「キッド…」
コナンの頬に触れるキッドの表情は、本当に愛おしい者を見つめる優しい瞳をしていた。
新一は少し胸が締め付けられる感じがしたが、キッドが新一に厳しい視線を向けた事でその意味を理解することは出来なくなってしまう。
「貴方は、そんな私の事を聞いてどうしたいのですか? 眠らないなんて嘘だろうと、在り得ないと決めつけて、そんな非現実的な嘘を付いた私を罵倒したいのですか?それとも真実だと気付いた上で同情でもしたいのですか?『なんて可哀想な奴なんだ』ってね」
「べ…別に俺はそんな事言うつもりは―」
捲し上げるように紡がれた言葉に、新一は反論に似た言葉を一言口にするだけで精一杯だった。
キッドはそんな焦った表情をする新一を見て少し笑いそうになった。キッドにしてみれば、少しの悪戯心もあった発言だったのだ。
正直、キッドが言ったようなこんな感情を新一が抱いているとは微塵も思っていない。寧ろ、今の新一にはそんな考えまで至らないだろうと思っている。
だが、自分を追い詰めた事のある探偵が見せる反応としては不十分で、キッドの苛立ちを煽ってしまった事に新一は気付いていない。
「ええそうでしょうね。貴方は探偵だ。ただ真実を知りたいだけなのでしょう。それについて私はとやかく言うつもりはありません。勝手に推理して頂いて結構です。ですが」
キッドは言葉を区切る。
そしてベッドから徐に立ち上がり、ゆっくりと足を進めて新一の目の前で止まった。
少し自分より身長のある男を目の前に、新一は身体を強張らせてしまう。


「正直、迷惑です」

「なっ?!」


口角を上げて言われた言葉に、新一は目を見開いて思わず声を出した。
「分かりませんか?快斗だって気付いていますよ」
「快斗…?」
何の事だと思う前に、キッドの口からふと出た名前に、新一は瞬きを繰り返す。
「《江戸川コナン》であったはずの貴方が、《今の工藤新一》になって変わってしまったと」
「? お、俺は何も変わって…」
「自覚がないのですから気付くわけありませんよね」
「…っ」
笑顔で馬鹿にされ、新一はカッと顔を赤く染めた。
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