僕達はあの夏の中

□僕達はあの夏の中・4
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「なー、先生、カノジョいるー?」
「なに、いきなり。問い三、出来た?」
「出来た」
「よし見せて」
 壮絶にひどい俺の成績にも全く怯まず、敢然と立ち向かうべく「はい、高一からやり直しね」とにこやかに宣言した勇者・リオ、いや家庭教師の佐久間先生は夏休み中毎日のようにうちに通うことになった。
 夏休み中勉強漬けと決まった絶望とは別に、親しみやすい人柄の先生は五日目にしてすでに俺と打ち解けていた。
「先生、カノジョの話は?」
「いないよ、そんなの。いたらカテキョのバイト増やさないでしょ、夏休みなのに」
「あ、そ、……ま、理央ちゃん先生、女子みたいな顔だもんな。カノジョいらないか」
「うるさいな、誰が女子だっ、……一夏くんはどうなんだよ、カノジョ」
「残念なことに、二週間ほど前にフラれましたー」
「……え?」
 先生は心配そうに表情を曇らせる。なんでもないように、俺は笑って見せた。
「せっかくの夏休みなのに大誤算。まさかカノジョもいない夏休みになるとはねー」
「……二週間前って結構最近だね」
「まーね。……そんなわけで、先生にカノジョいたらお友達と合コンセッティングして欲しかったのに」
「残念、彼女いなくて」
 先生はぎこちなく笑ってルーズリーフのノートに赤いボールペンでマルをつけてくれる。
「……あ、彼女はいないけど女の子の友だちならいるから、紹介しようか?」
「え、マジで? ……もしかして、フラれたばっかりだからって同情してくれてんの?」
 どうも先生は人が好いらしい。二週間前の出来事は確かに痛手だったけど、本気で先生にどうにかしてもらおうなんて思ってないのに。
「冗談だよ。女の子紹介して、なんて。それに先生の同級生だったら三コも上じゃん」
「年上、やなの?」
「やだよ。同い年か年下がいい」
「……僕は年上でもいいと思うけどなー」
「俺はやなの」
 別れた彼女のことが脳裏を過ぎる。美奈。バイト仲間で、同い年で、一緒の職場の中じゃ俺と二人で一番年下だった。当然のように仲良くなって、付き合い始めて、ついこないだ別れた。
『……一夏って、私のことそんなに好きじゃないよね』
 気持ちが判らない、と言われた。確かに自分のほうから積極的に近付いたわけじゃない。告白めいたこともはっきりとはしなかった。軽い感じでなんとなく付き合いが始まるのって、普通だと思ってた。バイトのシフトが一緒で、だから大体いつもそばにいて……美奈のことを好きだったし、可愛いと思っていたのだって事実だ。
 未だになぜフラれたのか判らない。気まずくなってバイトは辞めてしまった。 
「じゃあ、今日はここまで」
 先生の声で、はっと我に返った。コツコツと赤ペンで指し示された問題集に目を落とす。
「問い四と問い五は宿題」
「うげー、マジで?」
「マジで」
 俺は机に突っ伏しながら、ショルダーバッグに解答集やらペンケースやらをしまう先生を見上げる。
「センセ、帰り、バス?」
「うん、バス」
「……送ってく」
「え、大丈夫だって、今日暑いし」
「チカンに遭うより俺にしがみついてたほうがマシでしょ?」
 ショルダーバッグを斜め掛けにした先生と連れ立って階段を下りる。母さんと先生とが挨拶を交わしてる間、玄関に作り付けの靴箱を開けて予備のヘルメットを取り出した。
 午後の四時過ぎとはいえ、全く暑さの緩まない外に出て、カーポートから単車を出してくる。見た目重視で選んだバイクだったけど、軽くて小回りが利いてそこそこ二人乗りも出来るので、今では買った時よりも気に入っていた。
 玄関の前に止めてエンジンをかけておく。重低音の心地良さを感じながら自分用の銀色のメットを頭に載せた。
「理央ちゃん、はい」
 やっと出てきた先生に黒のフルフェイスメットを渡す。先生はそれを被る前に語気荒く言った。
「理央ちゃんて呼ぶなっての! 生意気」
「いいじゃん、もう授業終わりっしょ? 送ってってあげんだからさー」
 シールドの奥で面白くなさそうな顔をしながらも、先生はバイクの後ろに乗った。腰に手が回される。
 その手に力がこもるのを確認して、俺は走り出した。
 ……こうして先生の足になるのは五回目だ。初日から、「バスで帰る」と言う先生に嫌な想像を働かせてしまった俺は即座に送っていくと決めた。
 さすがに最初は「悪いからいい、乗ったことないし」と遠慮していた先生に無理やりヘルメットを被せ、二ケツのやり方を指導。「ぎゅーっとしがみついてないと振り落とされるよ」と脅かしながらゆっくり発進すると先生は慌てて抱きついてきた。
 その様子が初めてバイクの後部に乗る女の子みたいで、ちょっといい気分になった。
 そんなわけで、先生をこんな風に送っていくことは結構、嫌じゃない。正直、うちに来る時も迎えに行きたいくらいだ。いや、それはいくらなんでも変なので言わないけど。
 信号待ちの時、エンジンの重低音に負けないように先生が後ろから俺の耳に口を近づけて怒鳴る。
「ねー、途中でコンビニ寄ってー!」
 判った、と怒鳴り返すとちょうど信号が変わって、先生の腕に力がこもった。 
 
 
  

 コンビニの駐車場の日陰で両ハンドルに一個ずつメットをぶら下げた愛車を眺める。乗ってるときは涼しいんだけど、降りたとたんに地獄だよなー。
「あっちー」
 Tシャツの前を掴んでぱたぱたと風を送る。コンビニに入って涼もうかと足を向けたら、先に入っていた先生が出てきた。
「はい」
 その手にあったのはレモン味とソーダ味の棒アイスの袋、ふたつ。
「え、なに、オゴってくれんの?」
「まーね。乗っけてってくれるお礼。ぼくレモンー」
「……普通こういう時って俺が先に選んでいいんじゃね?」
「あっレモンが良かった? わがままだなー、しょーがないからとっかえてあげる」
 勝手に買ってきといてダレがわがままだ、ダレが、と思いながら先生とアイスを交換する。
 バイクの傍は熱いのでちょっと離れた車止めに座って袋を開けた。
「……バイクの免許、いつ取ったの?」
「去年、十六んなってすぐ」 
「ふーん、……コレ、さあ、新車?」
「いや中古。うちの親、教習所の費用もバイク代も出さないって言うからさ、すげーバイトしまくったんだよ。そしたら成績下がっちった」
 先生はおかしそうにけらけら笑った。その顔がものすごく可愛くて、レモンアイスの冷たさを舌に感じながら、なんだかぼうっとなる。
 ソーダアイスに噛み付いた小さな唇がひらひらと動く。
「そこでぼくの出番、てわけ?」
「……そう。成績上がんなかったらバイク取り上げられっかも。大学受験に失敗してバイクもなしンなったら俺、引きこもろうかなあ」
「安心しなさい。ぼくがついてる!」
「本当ですか、先生! お任せしていいんですね?」
「ああ任せなさい。大船に乗ったつもりで」
「先生ー!」
「一夏くん! ……待った待った、暑苦しいって」
 すっかり小芝居に入り込み、がっしと先生を抱きしめようとした俺を細い肘が阻む。
「い、痛い……なんだー、面白かったのに。感動の家庭教師と生徒ごっこ」
「暑いからヤダ」
 言って立ち上がった先生はバイクに近寄って、好奇心からか、しげしげと見回している。バイクの傍なんて余計暑いだろうに。
 その真剣な顔を眺めていると、初めてバイクを間近に見たときの彼女を思い出す。ハンドルにかかっている黒のヘルメットが風に軽く揺れる。
 ……そういえば、あのメットは美奈のために買ったんだっけ……。
 つまらないことを思い出した、と軽く頭を横に振った俺の足元で音がした。
「あっ!」
「あー、……もったいないー」
 すっかり食べるのを忘れて三分の二も残っていたレモンアイスが、あえなくアスファルトに落ちている。
 ふたりでしゃがんで日陰とはいえ熱いアスファルトの上で溶けていくアイスを観察。先生は、はあ、とため息を吐くと俺の手からアイスの棒と袋を取り上げて、ソーダアイスを突き出した。
「しょーがないなー、もういっこ買ったげるから、これ持ってて」
「いいよ、これちょーだい」
 返事を待たずに俺は、先生の手の先で溶け出しているソーダアイスをぺろりと舐めた。薄水色のその味は人工的でほんとはちょっと苦手だ。けれど俺は先生の華奢な手を掴んで、ソーダ味のアイスにがぶりと噛み付いた。
「あー! ちょっと、ぼくの分ないじゃん!」
 先生は俺の手を振り払い、すっかり減ってしまったソーダアイスを見つめて嘆く。
「早く食べなきゃ溶けるから手伝ったんだよ」
 イヒヒ、と笑う俺を先生は恨みがましく見て、残りを取られまいと急いで口に入れた。
「く……!」
 頭がきーんとなったらしい先生が片手でこめかみを押さえる。年上の先生のそんな子供っぽいところがおかしくてまた笑ってしまった。

 
  
 

 
 
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