僕達はあの夏の中

□僕達はあの夏の中・6
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 なんだか落ち着かない気持ちは次の日もずっと続いていた。
 その原因がなんなのか判らない。とにかく鬱々としていて、……そんな俺のことなど、もちろん先生は気付かない。
 いつもの時間に訪れた先生は淡々と授業を進める。
「……はい、終わりー」
 最後の五分テストが終わって、答案用紙にマル付けをしてくれる。俺は机につっぷして、赤いボールペンを走らせる先生の横顔をじっと見上げた。
「……昨日のあれってさ」
「え? なに?」
 唐突過ぎたかもしれない。先生は赤ペンを持つ手を止めて、驚いたようにこっちを見下ろしている。
「昨日の、アレだよ。ほら……高坂」
「高坂先生、だろ」
 赤ペンのケツ先で頭を突かれる。少し苛立ちを覚えたせいで低い声が出た。
「……あの人、なんで先生のアパート来たの」
「ああ、……ちょっと話があってさ」
 完全に言葉を濁してる。そのことにますます俺は苛立って、上半身を起こした。
「なに、話って。電話じゃ済まないようなこと?」
 なんでこんなにイライラするんだろう。俺にこんな口調で高坂のことを訊かれる筋合いなんて、先生にはないのに。
 思った通り、先生は困った顔をした。
「……ジンちゃんは、従兄弟で……」
「知ってるよ、それは。昨日聞いた。仲良いよな、従兄弟とは思えないくらい」
「従兄弟って言っても、兄弟みたいなもんだから……。僕、両親がいないから、ジンちゃんちで育てられたんだよ」
「え……」
「中学生の時、親がふたりとも事故で死んじゃって。ジンちゃんのお母さんが僕の母親のお姉さんだったから、高坂の家で引き取ってくれたんだ。伯母さんも伯父さんも良くしてくれて、……ジンちゃんも。年の離れた弟みたいに、気にしてくれたんだよ」
「…………」
 そんなことだなんて思わなかった。先生にそんなことを話させた、という事実に戸惑う。
 先生はきっと話したくなかったはずだ。
 俺がわけの判らない苛立ちをぶつけたから、先生は仕方なく。
「……ごめん」
「え、なんで? 一夏くんが謝ることじゃないよ」
 先生はきょとんとした顔で目を瞬かせた。
「両親がいないなんて珍しいことじゃないし……もう、ずっと前のことだし。そりゃいきなりそろって死なれたから、びっくりしたけど。ちょっとしゃべれなくなって、引きこもりになって……でも、ジンちゃんが無理やり、外連れ出してくれたから。……感謝してる」
「───」
 柔らかく笑った先生に、ぼんやりと見惚れる。
 話したくなかったことを無理やり訊き出したのに、先生はなんでもない顔をして微笑む。両親が事故に遭って亡くなり、引きこもっていたなんて微塵も感じさせない。
 黙り込んでしまった俺に先生は明るい笑顔を向けた。
「昨日、仕送りもらえって言いに来たんだよ、ジンちゃん。……もう、高坂の家に迷惑かけるわけにいかないから、ずっと断ってるんだけど。ほんと、世話焼きだよね、ジンちゃんて。天職に就いた、って感じ」
「天職……」
「うん。一夏くんはそう思わない?」
「あ、……ガッコで、評判良いよ……人気ある」
「そっかー、やっぱりね」
 俺はちっともいいと思わないけど。
 そう考えながら、マル付けを再開する先生の横顔をじっと見ていた。
 
 
  
 
 
 先生を送って帰って来た後、消化不良みたいな気分で自分の部屋のベッドにひっくり返っていると、その先生の柔らかく笑った顔が思い浮かんだ。
「……」
 ベッドに横になったまま机に背を向ける。
 今日は、高坂は先生のアパートに来ていなかった。バイクから降りた先生はきょろきょろしてたような気がする。
 高坂を捜していたんだろうか。
 ……そんなに高坂に会いたかったら、家に行けばいいのに。
 突き放したようにそう考えると、胸がもやもやとした。なんだかひどく面白くない。
 高坂が先生を「理央」と呼んだ時と同じように気持ちがざわつく。
「……くそ……」
 無意識に、誰へとも判らない罵倒の言葉が口を突いた。
 両親を亡くした先生のそばにいた高坂。高坂をジンちゃんと呼び、ジンちゃんの話をする時はとても嬉しそうに綺麗な顔で笑う先生。
 きっと先生は中学生の時から高坂を頼っていたに違いない。高坂もそれに応えて、支えになって、……先生は今みたいに笑うようになった。
 ─── 俺だって、従兄弟だったら。あと三年早く生まれてたら。
 先生と同じ歳だったら、絶対そばにいて慰めていた。そうすれば、先生は俺のことを話す時も、あんなふうに柔らかく笑って……。
 慌てて頭を振って、ありえない考えを追い出した。
 どうかしている。従兄弟だったら、とか、もっと早く生まれてたら、とか以前に、先生は男性で、……だから、ありえない。
 なにがありえないのか、深く考えるのが怖くて身体の向きを変える。さっきまで先生が座っていた椅子が目に入る。
 ……明日は先生の授業がない。
 嬉しいはずなのに、ちっとも気分が上がらない。
 ─── こんなんなら毎日授業があったほうがマシだ。
 ふとそう思ってしまい、その考えを打ち消した。べつに勉強なんかしたくない。
 勉強がしたいんじゃなくて、俺はただ、先生に……。
『一夏くん』
 先生の笑顔が思い浮かぶ。すぐにそれは「ジンちゃん」と高坂を見上げる先生に取って代わる。
 やっぱりむかむかと苛立ってくる。だいたいいいオトナに「ジンちゃん」ってなんだ。高坂って呼べよ。高坂も高坂だ、「理央」なんて、……。
 イライラとそんなことを考えていると、携帯電話が鳴りだした。ベッドから立ち上がり、机の上に置いてあったそれを手に取る。
 表示されている名前を確かめもせずに電話に出た。

 

  

  


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