僕達はあの夏の中

□僕達はあの夏の中・7
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 大抵、どこの市町村でも行うように、うちの市でも毎年夏になると祭りをやる。と言っても俺は参加はしない、観るだけだ。大きな張りぼての人形を乗せた山車が曳かれる様を眺めて、神社の境内から通りまでずっと並ぶテキヤを冷やかしながら適当に気に入ったものを買い食いする。
『……明日のお祭り、一緒に行かない?』
 昨日の電話は美奈からだった。別れたのに、と思いながら黙っていると、さらに「話がある」と彼女は言う。
 結局、六時過ぎにバイトで勤めていたコンビニの近くで待ち合わせた。
「……いきなりごめんね」
「べつに……」
「なんか用事あったりした?」
「いや、……今日は」
 いつもなら先生の授業が終わって、アパートまで送っている頃だ。先生の顔がふっと頭に浮かぶ。
 なんだか美奈を正視できなくて、視線を逸らした。
 美奈は相変わらず可愛かった。元カノを持ち上げるわけじゃないけど、セミロングの髪型が似合う小さな顔にピンクの唇、大きな目は目尻が下がっていて、大抵の男なら可愛いと思う顔だ。守ってあげたくなるような ─── 小動物を思わせる、女の子女の子した容姿。
 この子と付き合ってたのか、と考えるとなんだか不思議な気持ちになった。
 歩行者天国の中、神社に向かって二人でなんとなく歩き出す。
 黙ったまましばらく歩いていると、参道の石畳から続く階段でつまづいた美奈がしがみついてきた。
「……ごめん」
「いいよ」
 手を繋いで階段を上る。たくさんの人の中、華奢な柔らかい手を引きながらいくつも屋台を覗く。その内、鳥居の外に山車が何台も集まり、人垣が出来たのでその中に加わって見物した。
 一時間以上も経って喧騒が一段落したころ、美奈の浮かない表情に気付いた。
「……疲れた?」
「ん、……少し」
 神社の前の大きな参道を外れ、社務所に裏から入れる人けの少ない駐車場のベンチに彼女を座らせた。ひと休みするのにちょうどいい。
 鎮守の森の木々の間から、ちらちらと提灯の明かりが見える。収まりつつあるざわめきや食べ物の匂い、ときどき通る浴衣を着た人々。
 夏だなあ、と思いながら、隣の美奈をちらりと見た。
 いつまでもこうしているわけにはいかない、と口を開く。
「……話ってなに?」
 驚いたように美奈は俺を見た。そんなに驚かれるようなこと言ってないけど、とこっちが面食らってしまった。
「あの……」
 小さな、恐る恐るといったような美奈の声が言った。
「……付き合って欲しいって、言われてるの、同じクラスの子に」
 美奈なら、彼氏がいないとなれば、すぐに告白されることはありえるだろう。別段、驚きもせずにその事実を受け止めた。
「……前から、ちょっと仲良かったコなんだけど、……カレシ、いないって言ったら、付き合って、って……」
「ふーん……。そうなんだ」
 前から、っていつなんだろう。俺と付き合ってた頃からかな、と現実感を伴わずにちらりと考える。
「……一夏はどう思う?」
「どう思うって……」
 まだ一夏なんて呼んでる。フったくせに、とため息が出た。
「そんなこと、訊かれても判らない、俺は。付き合いたかったら付き合えばいいんじゃないの」
「……どうして ───……」
 美奈の声がわずかに震える。顔を上げると、大きな美奈の目に涙が浮かんでいた。
「どうして、一夏はそうなの?」
「どうして、って……」
 突然の美奈の涙と、詰る口調に困惑してしまう。どうすればいいいのか判らない。
 濡れた美奈の目がきッと俺に向けられる。
「私のこと、大して好きじゃなかったなら、付き合わなかったら良かったじゃない」
「……好きだったよ」
「違うよ。一夏は、私のこと好きじゃなかった。私だけが一夏のこと好きだった」
「……」
 それは違う、と言おうと思ったけど、開きかけた口を閉じた。何を言っても無駄な気がしたからだ。
 それに ───。
 なんとなく、美奈の言うとおりのような気がした。ちゃんと、好きで、すごく好きで、美奈と付き合ったか、というと、そういうわけじゃなかったからだ。 
 そういうわけじゃなかった。
 そのことに、今、うっすらと気付き始めている。好きっていうのは ─── 。
 不意に先生の顔が脳裏に浮かんだ。
「……一夏が私のこと、そんなに好きじゃないって気付いたから、付き合うのやめたけど」
 美奈の声が小さく続く。
「もしかしたら、って思ってた。……他の人と付き合わないでくれ、って言ってくれるんじゃないかって……俺と付き合ってくれって……」
「……」
「……でも、やっぱりなかったね」
 なんて言ったらいいか、判らなかった。涙をこぼさずに留めた美奈は、ふっと息をつく。
「覚悟は、してたんだけど、……最初から最後まで無関心ってあんまりだよ」
「……無関心」
「そうだよ。一夏は私に興味なんてなかった。……気付くの、ちょっと遅かったって、今判った」
 興味がなかったなんて ─── いや、そうかもしれない。美奈がこんなふうに考えているなんて、想像もしてなかった。
 ただ、なぜフラれたのか判らない、と思うばかりで。
 美奈に、別れたくない、と言おうとはしなかった。
 今、そいつと付き合わないでくれ、と言えばいいのだろうか。そうすれば、美奈はまた俺と付き合って……?
 それは、なんだか違う、という気がした。今だけ、うわべだけ、そんなことをしてもいつかダメになる。
 そんな俺の頭の中を見透かしたように、美奈はベンチから立ち上がった。
「でももう、判ったから。もういい。期待するのやめる」
「美奈」
 このまま駆けて行ってしまいそうな彼女の細い腕を掴む。自分でもなぜ引きとめたのか判らない。一番近い気持ちは「ごめん」と謝りたかったから、だったような気がする。
 けれど、そうすることも出来ずにいると美奈のほうから身体を預けてきた。
 そろそろ祭りも終わりらしく大きな参道からちらほらと人がやってくる。
 その中から、聞き覚えのある声がした。
「……まだ出れないんじゃないの、車」
「大丈夫だろう。規制、八時までらしいから」
 いっぱいに埋まっている車の前を通って、こっちに近付いてくる。車を旋回させる道とベンチを隔ててほとんど目の前の黒い車に、聞き覚えのある声の二人が辿りついた。
 向こうも気付いたらしい。ふたりで揃ってこっちを見ている。
 先生と、高坂だった。
 俺が二人から目を離せずにいると、先生がすっと目を逸らした。それから先生は、まだこっちを見ている高坂の腕を掴む。
「ジンちゃん」
 咎めるような小さな声。先生は高坂に耳打ちをして、車のナビシートに乗り込む。
 高坂は肩を竦めると運転席側に回った。
「……知ってる人?」
 いつの間にか身体を離していた美奈の声で、はっと我に返る。先生と高坂に気を取られていた。
「うん、……ちょっと」
 こんな時に先生と、高坂に会うなんて。言葉を濁した俺に美奈は不思議そうに首を傾げた。
「……なんか、変な顔してるよ、一夏。……もう川嶋君、か」
「……美奈」
「もういいよ、そんな呼び方しないで。ほんとは、川嶋君が私に興味ないってけっこう前から判ってた。ちゃんと確かめたかっただけ、……」
 低いエンジン音が響いた。高坂の車はライトを照らしながら、ベンチの前の道をゆっくりと通っていく。
 ナビシートの先生は無表情だった。教え子の交際なんて、興味がないのかもしれない。
 ─── 興味がない。
 それはそうだろう。出会ってまだ数日しか経っていない、いや、バスの中で会ったのから計算しても数週間しか経っていない、夏休みだけの生徒。おまけに隣に高坂がいて。
 先生が俺を気にするはずがない。
 その考えに、冷たい水を浴びせられたような気がした。
「……川嶋君。聞こえてる?」
「あ……うん」
「やっぱり、最後まで興味持ってくれなかったね」
「……ごめん……」
 今度は素直に言葉が出た。本当に心からそう思った。
 こんな時にまで美奈のことを一番に考えられないのに、なんとなく付き合って、傷付けた。フラれて当たり前だったのだ。
 彼女の顔を見られなくて俯いた。
「もういい。本当にこれで最後。……もう連絡しない」
 サンダルを履いた白い素足が、視界の隅を横切る。彼女の後ろ姿を目で追っても、参道から出てくる人に紛れてすぐに見えなくなった。
「……」
 しばらくその場で迷った挙句、駐車場の出口へ向かう。─── 先生と高坂のことが気になって仕方がなかった。
 夏祭りの間だけの駐車場の専用出口は、帰路に着く車が列を成してずっと先の公道まで続いている。いつも祭りの終わりくらいからひどく渋滞すると知っていた。
 参道からのほうが電車やバスなどの公共機関の便がいいので、こっちはほとんど車専用の道路になっている。歩行者の姿が見えない道路の路肩を、あの車を捜して歩いた。
 すぐにその車は見つかった。
 ほとんど明かりの射さない車内を助手席側から覗き込み、ウィンドウガラスを叩こうとして、やめた。
「……」
 中にいるふたりは俺に気付いた様子もない。さっと背を向けて、再び夜道を引き返す。
 美奈のことはすでに頭から飛んでいた。
 その光景が脳裏に焼き付いて離れない。
 ─── 高坂が、助手席にいる先生に覆い被さるように、キスをしていた。
 気が付けば、駐車場のあのベンチがある場所まで戻っていた。辺りを外灯が煌々と照らしている。
 ベンチを思い切り蹴り付ける音が、思ったよりも大きく駐車場に響いた。

 

  

  


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