僕達はあの夏の中

□僕達はあの夏の中・8
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 よく眠れなかった。
 寝不足は暑さのせいだろう、と決めつけて、昨夜の高坂の車の中で見たことを頭の中から追い出そうと試みる。
 関係ない。従兄弟だろうとなんだろうと、あのふたりの関係なんて俺にはなんの興味もない。
 イライラするのは暑くてよく眠れなかったせいだ。
 授業の時間が近付くにつれて、苛立ちは増していく。洗面所で顔を洗って鏡に映った自分の顔のクマをこすってみる。当然、とれなかった。
 いつもの時間になると、昨夜のことなど微塵も感じさせない様子で先生は現れた。
 てきぱきと方程式の解を説明し、実際にやってみるように穏やかに言う。
「あれ? まだ解けない?」
 授業が始まって三十分が経っていた。
 机の前でぼんやりしていると先生がひょいと覗き込んでくる。頬杖を突いて、その顔を見上げた。
 机に手をついた先生の表情が曇る。
「どうしたの? 宿題もやってなかったし」
「……忘れてた。すいません」
「具合でも悪いの?」
 そうじゃない。
 なにも答えなかった俺に、諦めたように先生はため息を吐く。ぱたんと解答集を閉じた。
「やる気、出ないみたいだね。……彼女のことで頭がいっぱい?」
「え……」
「昨日、デートしてただろ?」
 美奈のことだ、と気付くのに少し時間がかかった。……違うことで頭がいっぱいだったからだ。
「神社の駐車場のとこで見たよ。可愛いコと一緒にいた」
 先生は冷やかすように口元を緩ませる。イラついていた俺はぶっきらぼうな声を出した。
「デートじゃないよ。別れ話。元カノと」
「え?」
「はっきりフラれた。……まあ、元からフラれてたんだけど」
 そんなことを聞かされて困ったのだろう。先生は眉尻を下げた表情を見せて、俯いた。
「そう、……ごめん。てっきり、デートだと思って。お似合いだなあ、って」
「─── 先生は高坂とデートしてたよね」
 意表を突かれたように先生は目を丸くする。それからくすくすと笑った。
「ああ、うん、……そういえば、そうだね」
 まるで他人事のようにあっけらかんと認める。その様子に、昨日の夜から漠然と想像していたことが思わず口を突いた。
「……泊まったの。高坂。先生んちに」
「え? ううん、……帰ったよ。ちょっと、僕がつまんないことで落ち込んじゃって」
 突っ込んだ質問に、さすがに平静ではいられなかったのだろう。先生はぎこちなく笑って目を逸らした。
 そんな先生の顔を追いかけるように覗き込んだ。
「べつにごまかす必要ないよ。泊まったなら泊まったって言えばいいじゃん」
 わざと露悪的な、意地の悪い口調で言う。戸惑ったように先生は身体を引いた。
「……一夏くん?」
「出来てんだろ。高坂と」
 イライラして ───。
 仕方なかった。
 車の長い渋滞の列。テールランプの赤色。ほんの少しの街灯が射し込んだ車内。高坂の手が先生の頭に置かれていて、そのまま自然に高坂が近付いて来て。
「─── キスしてたよな、車の中で」
 先生はぽかんと口を開けた。やっぱり、見られていたことに気付いてなかったのだ、と判った。
「……あんたと高坂、見かけたから、……車、捜したんだ。声かけようと思って、……そしたら、高坂があんたにキスしてた」
「……」
「男が好きなの? 先生」
 みるみる女の子みたいに可愛い先生の顔が赤くなっていく。
「べつにあんたが男好きだって、俺には関係ねーけど」
 そう、俺にはなんの関係もない。先生が高坂のことを好きで、高坂と付き合っていて、一晩を一緒に過ごしたとしても。
 俺には関係ない。
 ……イライラする。
「なんか俺、バカみたいだな」
 椅子の背もたれに背を預けて腕を組む。わざとらしくため息を吐いた。
「チカンに遭ったら可哀想だと思って送ってたけど、俺がそんなことする必要ねーじゃん。高坂いるし。ほんと、バカみてー」
「……一夏くん、僕は」
 髪の毛の隙間から見える耳たぶまで赤くした先生は小さい声で何かを言いかけた。どうせノロケ話だろうと、瞬間かっとなってそれを遮る。
「悪りィけど名前で呼ぶのやめてくれる。「ジンちゃん」の話も聞きたくねえし。気持ち悪いんだよ。……男にチカンされんのだってほんとは喜んでたんじゃねーの?」
 ……ひどいことを言った、という自覚は口にしてから訪れた。苛立ちが抑えきれず、気が付いた時には言葉が勝手に口から飛び出してしまっていた。
「───」
 先生は黙って俺を見ていた。ぎゅっと小さな唇を引き結んでなにも言わない。……言い返さない。大きな目に涙が浮かんでいる。
 ひどいことを言った後悔と居たたまれなさと、そんなことを言われるのも当然だ、と自己弁護する気持ちが相まって、しばらく沈黙が続く。
 結局開き直った俺は、わざと皮肉な口調で言った。
「……俺、もう送らねーから。高坂に迎えに来てもらえば? ……今まで俺んことジャマだったろ。俺が送るって言わなきゃ、カレシに迎えに来てもらえたもんな」
「……」
「もうジャマしねーから。カレシと仲良くしなよ、先生」
 ふい、と顔を背ける。
 しばらく部屋の中は静かだったが、やがて小さな物音がし始めた。目を向けると、ゆっくりとした仕草で先生が机の上を片付けている。
 自分の持ち物をショルダーバッグを詰めた先生はそれを斜めに肩に掛けた。
 先生は顔を俯けたまま、ついに一言も弁解せずに部屋を出て行った。

 

  

  


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