After sweethearts

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 アパートに皆川が現れたのは、夜の七時を回った頃だった。残業で仕事上がりが十時近くなることも多い皆川のやけに早い訪れに、高階は素直に驚いた。
 ジャケットを小脇に抱えた皆川を部屋に通しながら、小さく呟く。
「……早えじゃん。珍しー、……」

「早く来たらいけないわけでもあるの?」
 ローテーブルの前に胡坐を掻いた皆川はネクタイを緩めた。表情こそ普段通りだったが、ほんのわずかな声の抑揚や目の色の違いで、高階は皆川の不機嫌を察する。その不機嫌を判るのは自分だけだ、と高階には自負があった。
 
 何しろ皆川は心のうちが表に出ない。話し言葉が柔らかく人当たりの良い皆川は、穏やかな性質で感情的になることなどないと社内では思われている。単なる同期入社の友人に過ぎなかった高階もそう思っていたひとりだった。

 ……まさかそれが、ルックスと完璧な愛想の良さで目を眩ませているだけの、本当はヤキモチ焼きのS気質だなんて考えたこともなかった。
 ここ一ヶ月で知らされた皆川の本性を思い返して、高階はこそばゆいような気持ちになる。
 冷蔵庫から缶ビールを出して皆川に差し出した。
 
「べつにそうじゃねーけどさ、……メシ食った?」
「食ってない。高階は?」
「食ったよ」

「加藤と?」
「はあ?」
 不意に缶ビールを持った手首を掴まれた。ぐい、と引かれて倒れかかる。天地が逆転して、気が付けば皆川を見上げていた。
 
「なにすんだよ」
 高階の部屋は決して広いとは言えない。ユニットバスに小さなキッチンが付いただけのワンルームだ。フローリングの床に標準サイズの男が寝転がれば、当然のように身体がどこかにぶつかる。今回の場合、ローテーブルとベッドに軽く肘と足がぶつかった。

 それでも頭を床に打ち付けなかったのは、皆川が支えてくれていたからだろう。……くれていた、は、おかしい、と高階は自分に舌打ちしたくなる。
 こうやって、端整だけれど今はどこか冷たい顔を見上げるはめになったのは、その端整な顔をした皆川に引き倒されたせいだ。
 
 はずみで自分の手から離れた缶ビールが、ころころと転がっていく。
「狭いんだからやめろよ。痛てーじゃんか」
「加藤とメシ一緒したの?」
「違うよ。コンビニのカルビ弁当とプリン! ひとりだよ!」

 ゴミ箱のそばを指差す。結んであるコンビニの袋が転がっていた。じっとそれを見つめる皆川のネクタイが高階の目の前に垂れ下がっていてうっとうしい。
 高階はそのネクタイを掴んで軽く引いた。
 
「いいかげんにしろよ、昼間だって目ェ笑ってねえしっ、なんでそんなに」
「……他の男に色目使うと俺がムカつくの知ってるよね?」
「使ってねえよ!」
 
 ほらやっぱり機嫌悪い、と思いながら高階は皆川を見上げる。─── 今日の昼休憩の時だった。高階は同期で同じ企画設計部の加藤とエレベーターホールにいた。
 
 明るく気のいい加藤は少し調子のいいところもあって、一緒にいるとつい高階もふざけてしまう。学生気分が抜けきらないじゃれ合いをよりによって皆川に見られ、たぶん、怒らせた。皆川の目には必要以上に仲良く映ったに違いない。

 すぐに皆川からメールが来て、家に行っていいか訊かれたので、待っている、と答えた。こんなふうに機嫌を悪くした皆川を見上げる羽目になると判っていながら、だ。
  
 本当は昨夜も皆川は高階の部屋に泊まっていた。今日も部屋に来るなんてダメだ、と断ることも出来た。けれど、そうすれば確実に皆川の機嫌は悪くなる一方だろう。
 
 ……それに、俺だって会いたいし。
 
 そう考えて、高階は皆川から目を逸らした。そんな感情を意識に昇らせるなんて恥ずかしすぎる。ゆるゆるとネクタイに絡めていた手を放した。
 刺すような皆川の声が降ってくる。
「……なんで目、逸らすの」

「なんだっていいだろ」
「後ろめたいことでもあるの?」
「あるか、バカ。もう、どけよ、重いから」

「……」
 皆川はどかなかった。高階を見下ろしたまま、自分のネクタイを解いてYシャツのボタンを上からいくつか外す。
 器用そうに動いていた大きな手が、高階の部屋着にしているTシャツのすそからもぐり込んでくる。

 狼狽した高階は、生地の上からその手を掴んだ。
「ばっ……、やめろ」
「なんで? 触っちゃいけないの?」

「……だって、お前、来たばっかだし、……あ、メシ食ってないんだろ。外でなんか食う?」
「俺はあんたが食いたい」
「なんだそれ……」
 そんなこと、現実に言う奴がいるのか、と余りにも率直な皆川の物言いに言葉に詰まってしまう。

 性急に事を進めようとする熱っぽい目が怖い。高階は目を逸らした。
「……お前が怒ってるから、ヤダ」
「じゃあ、俺の機嫌、直してよ。俺の言うこときいて」
「……どうすればいいんだよ」

 他人の目を簡単に欺く優しげな笑みを浮かべた皆川を見上げて、高階の背中はぞくりと泡立った。

   
 

  
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