恋人じゃない

□1
1ページ/1ページ

 
 
   1.
 
 
 カーテンの隙間から洩れる朝日が眩しい。高階 圭吾は俯せのまま顔をしかめて、いつも枕元に置いてあるはずの携帯電話を手探りで探した。
 
 ─── ない。
 
 そればかりか手に触れるのはパイプベッドの柵らしきものだ。もしこれがベッドヘッドならば、木製の自分のベッドではない、ということになる。
「…………」
 
 がば、と高階は身を起こした。自分の部屋ではなかった。
 さほど広くはないものの掃除の行き届いた室内、きちんと整理整頓された本棚、壁際の鴨居にはいくつか男物のスーツが下がっていて……。
 
 恐る恐る隣に目を向ける。
 そこには、同期の皆川 敦が眠っていた。捲れた毛布から厚みのある裸の肩が覗いている。
 
 裸なのは皆川だけではなかった。
 何も身に着けていない自分の身体を見下ろして、高階は頭を抱えた。


 

  
 昨日の夜、職場の送別会があった。高階の勤める職場は家屋の内装を手掛ける会社の支店で、五十人前後が在籍している。恒例の人事異動で数人が別の支店に移ることになり、高階の所属している企画設計部と管理営業部が合同で送別会をやることになった。
 
 いわゆる会社の飲み会で、高階は正体を失くすほどには飲まなかった。正体を失くしたのは同期で管理営業部の皆川 ─── 裸で隣に寝ている男だった。
 
 送って行ってやれ、と周りに言われ、仕方なく送ることにした。皆川のそばにいた自分が悪い。
 
 ……いや、まあ、下心がなかったとは言わねーけど……。
 いつから皆川のことを意識していたのか判らない。同期で入社してすぐ、二人一組で研修で各部署に回された時に一緒になった。
 
 その頃からなんとなく、いいなと思っていた。自分の性的嗜好が普通と違うことにはずいぶん前から気付いていたが、余り向き合わずにここまで来ていた。女の子と付き合うのが普通だからと実際に付き合い、身体の関係も持った。
 
 それでも何かが違っていて、長続きしない。
 社会人になり、だんだん自分の嗜好を自覚するようになった。要するに自分は、皆川が好きで……つまり、そういうことなのだと。
 
 自覚はしたものの、いきなり告白したり、なれなれしくするようなまねも出来ない。一ヶ月の研修が終わり、高階は企画設計部、皆川は管理営業部にそれぞれ配属されてしまうと、社内で顔を合わせる機会も減った。
 
 入社してもうすぐ一年半、同期だからと一緒に飲みに行くことも少なくなっていて、昨日の夜はつい皆川のそばに行ってしまった。
 
『よう、……なんか久しぶりじゃね?』
『そうかな。前、飲みに行ったのっていつだっけ』
『アレだよ、ほら、俺の企画通って』
『そうだ、あの時だー』
 
 初めて自分の企画が通って、嬉しくて皆川を誘って飲みに行った時以来だった。皆川は、俺が営業でトップ取ったらおごってよ、と言ってその日の飲み代を持ってくれた。
 その日以来の他愛ない会話を交わしながら、高階は皆川の飲む量が多いことに気付く。
 
『おい、ちょっと飲み過ぎ』
 気付いて注意した時には遅かった。居酒屋の座敷に寝転がって、もう飲めない、と寝言を言っている。
 そしてタクシーに乗せて送っていくことになり ───……。
 
 公然と送っていけることは嬉しかった。ふらつく皆川を抱えて『しょうがねえなー』と言いながら、ドキドキしていた。
 
 皆川のアパートに着いて、わざと乱暴に皆川を彼のベッドに下ろした。
『いい加減にしろよな、ったく』
 
 不機嫌そうに言いながら皆川のスーツのジャケットを脱がせる。─── 目を瞑っている彼の唇に目が引き寄せられる。
 
 ほとんど勢いだった。高階も酔っていたし、相手の皆川も正体を失くしている。もし気付かれても、『チュウしてやった、ざまーみろ』で笑って済ませられるその場の空気。
 
 ネクタイを外す振りで顔を近づける。
 
 軽くキスをして、すぐに唇を離した。
 
 ─── 一生かかっても出来ない、と思っていたことがこんなにも簡単に実現した。
 
 心臓の音があきれるほど大きく聞こえる。顔が熱くなっていく。すぐに皆川のそばから離れなければ、と思いながら、こんな幸運これから先、一生ない、という思いで、その場から動けなくなる。
 
 不意に、皆川のネクタイにかけられていた高階の手が、掴まれた。
 ぎょっとして高階は自分の手を握る大きな手を見つめる。─── 皆川の手だった。
 
 それから先は、なにが起こったか判らなかった。気が付けば皆川にのしかかられている。服を脱がされ、身体中に熱い手や唇が這わされた。
 
 皆川はストレートだ。本人から、今の彼女が四人目だ、と聞いている。
 彼女と自分を間違えるはずがないから、たぶん、恐らく、きっと、ほかの女の子と勘違いしているのだ。酔った勢いで浮気してしまう男の性だ。
 
 そう考えた高階は、声を上げるのを精一杯我慢した。皆川を受け入れてからも必死に顔を腕で覆って隠した。
 
 ─── 自分の声や顔で皆川が正気に返ってしまうのが怖かった。
 それだけは絶対に避けたかった。勢いで、どさくさまぎれのキスをした自分にすべての非がある。
 
 自分が悪いと考えながらも、皆川に触れられる幸福感で途中から記憶が曖昧になっていき、─── 目が覚めると。
 
 薄く差し込む朝日の中、皆川の裸の肩を見ながら高階は頭を抱えることになっていた。





 ……とにかく、ここから出よう、と考えた高階は皆川を起こさないようにそうっとベッドを抜け出した。急いで周りに散らばっていた衣類を身に着ける。その散らかり方が、昨日の夜の嵐のような出来事を証明しているようで居たたまれない思いがした。
 
 皆川は、覚えているだろうか。
 
 ……いや、それはない。絶対、ない。完全に正体失くしてた。
 自分が誰なのかも判らないくらい ───……。
 
 大丈夫。大丈夫。……絶対覚えてない。このまま黙って帰ってしまえば、なにも判らない。
 
 心の中で呪文のように唱えながら静かに足を運び、こっそりと玄関で靴を履く。背後でぐっすり眠っている皆川は起きる気配もない。
 
 音を立てないようにゆっくりとドアを開け、外に出る。ほっと息を吐いた高階は、手に抱えていたスーツのジャケットに袖を通しながら外階段を下りて行った。
  
 

 

 2へ続く
 
  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ