恋人じゃない

□5
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  5.
 
 
「……皆川。皆川!……なあ!」
「なに」
「お前、どこ行くつもりなんだよっ……」
「あんたんち」
 
 顔色ひとつ変えずに言った皆川は歩きながら振り返り、目を眇めさせた。
「近いだろ、ここから。歩いて行ける」
「ああ、まあ……俺も歩いて帰ろうと思ってたけど、……て、そうじゃなくて! なんでお前、俺の家知って」
 
「そこ」
 立ち止まった皆川は路地の奥に見えるコンクリートの壁を目で示した。高階も知ってるその建物は小さな町工場で、自社の断熱材などを発注しているはずだった。
 
「そのコウバ、俺の新しい担当。週一くらいで来てる」
「へえ、そうなのか……いや、お前の担当の話じゃない、俺の家!」
「あんたの住所調べた」
 
 しれっと言いながら皆川は、高階と手を繋いだまま再び歩き出す。
「そしたら担当してるとこと近かった。だいたい見当ついたから、無理やりあんたんち押し込んでやろうかと思ったけど、思い留まった。結構理性あるみたい、俺」
 
「調べたって……押し込む……!?」
 高階は手を引かれて歩きながら、ぼう然と皆川の後ろ姿を見た。
 
「お、お前、酔ってるだろ。いつもは、そんなんじゃねーしっ……怒ってんのか? なあ?……ちゃんと、何回でも謝るから、話聞けって……!」
「話なら聞く。あんたのへやで」
 
 突き放すような冷たい声音に、高階は言葉を失う。大通りから外れた工場が点在する深夜の住宅街は人通りもほとんどなく、手を繋いだふたりの姿を見咎める者はいない。
 
 しばらく歩き、高階の借りているアパートに着いた。その間、いつもとは様子の違う皆川の背中に気圧されて、高階は何も言えなかった。
 
 ぎくしゃくと皆川を部屋へ通し、高階はいつもそうするようにスーツのジャケットを脱いでハンガーにかける。
 
 恐る恐る振り返ると、その間に皆川はローテーブルの前に胡座を掻いていた。もの珍しそうにきょろきょろと散らかった部屋を眺めている。
 
 冷蔵庫からひと缶だけビールを出して皆川の目の前にそっと置く。さらに乾き物のつまみを袋のまま、缶ビールの脇におずおずと差し出した。
 
 他に何か、間が持つようなことを、と思ってもそれ以上思いつかない。仕方なく高階はローテーブルを挟んで皆川の対面に正座した。
 
 縮こまって俯いている高階を眺めて、皆川は眉根を寄せる。
「……なんで正座してんの?」
 
「だ、……だって、……説教だろ……」
 もごもごと小さく言いながら、身体を硬くして俯いている高階に皆川の眉間のしわがますます深くなっていく。
 
「なんで説教だと思うわけ」
「だって……あの……バレたから……酔っぱらって、相手ダレだか判ってないお前に……その……」
 
 皆川は自分のネクタイの結び目に指を入れて、不機嫌そうに緩めた。
「覚えてるって言ったよね、俺」
「さい……最初、は、判ってなかったろ、……きっかけ、作ったのはさ、……俺がどさまぎで、キス……したから……」
 
 缶ビールに口を付けながら、皆川はぼそりと言う。
「─── どさくさまぎれのキスだったんだ」
「……」
 
 高階はこっそり目を上げて、皆川の様子を伺う。皆川はそれ以上は何も言わず、ジャケットを脱いで傍らに置くとその上に解いたネクタイをぽいと投げた。
 
 しゅる、とネクタイを解いた微かな音に、高階はびくっと竦んだ。自分の仕草でないその音はあの夜を思わせる。
 居たたまれなくなり、高階は慌てて膝立ちになった。 
 
「あの……あんま、ビールねーんだ……ちょっと、コンビニ行って買ってく……」 
「俺、ビール飲みに来たわけじゃないから。ないんなら、コレあんたが飲んでいいよ」
 
 すい、と銀色の缶を差し出す大きな手。高階は受け取ることをためらって、再びしおしおとその場に正座した。
 
「飲まないの?」
「……怒ってんだろ?」
 
 ほとんど同時に発した言葉がぶつかり、しん、と静寂が訪れる。そんな雰囲気に頓着せず、皆川は行き場を失くした缶ビールをローテーブルに乗せた。
 
 そのローテーブルに視線を落として高階は小さく口にする。
「……なんで罵らねーの? そのつもりで俺の家、調べたんだろ、……俺、お前が酔っぱらってるって知ってて、……誰か判ってないって、知ってて……つけこんだのに……」
 
「俺、今日はそんな飲んでないよ」
「今日は、だろっ……あん時はすげー飲んでて……だから……」
 
 皆川は肩を竦めて口を尖らせた。
「大して酔っぱらってないのに、さっきなんであんたのこと往来で抱きしめたのか、考えてもらいたいんだけど」
「それは、……」
 
 子供っぽい皆川の仕草に胸をドキドキさせながら、高階は頭に甘い考えを昇らせる。─── ひょっとしたら、もしかして、少しだけでも、……可能性、とか……。
 
 いやそんなの、思い上がりもいいとこだ、と高階はその考えをすぐに打ち消した。
「それは、アレだろ、ほら、……俺がお前のこと、す……すき、で、それバレて、だから、……からかって」
 
「ふーん。俺のこと好きなんだ」
 にやにやと笑う皆川に高階は真っ赤になって目を伏せた。
 
 意地の悪い皆川の口調に、涙が滲む。自棄になって口を開いた。
「……うん。お前が、好き」
 
 にやにや笑いを消した皆川は面食らったような顔で俯く高階を見つめる。それから口元をわずかに歪めて、皮肉気に言った。
 
「……へえ。俺はまた、あんたが遊びでやらしてくれたのかと思った。あれからずっと避けられてるし、さっきは忘れろとか言われるし」
「そ……それは、避けるだろ……会ったら、思い出すかもしんないし……ていうか、覚えてるなら、俺の顔見たくないだろ。酔っ払った勢いでやっちゃった奴の顔なんかさ、……シカト、したいだろ……」
 
 おどおどと言う高階に皆川は困ったように頭を掻いた。
「……あんたがずっと俺のこと避けるから」
 声を落として小さく続ける。
 
「イライラして仕方なかった。なんでだか判んなくて。……朝、黙って帰っちゃうし、……もしかして付き合ってる奴いるのかと思って、加藤に訊いてみてもいないみたいだって言うし。……ひょっとして遊ばれたのかと思って、あんたの住所調べてうろうろしてみたけど、訪ねる勇気もないし、無視されたらどうしようと思ってメールも出来ないし、あんたからメールも来ないし……イライラして、元カノがくれた電話とメール、もうしないでくれって断っちゃった」
 
 彼女のことが皆川の口から出て、高階は泣きたいような気持ちになる。それを悟られたくなくて顔を伏せた。皆川が何を言いたいのか判らなかったが、その口調からいって責められているのだろう。
「あの、皆川……俺が悪かった、って……だからもう……」
 
「謝らなくていい。……さっきだって、今なら話せると思って捕まえたら、バッくれようとするし、謝られるし。いよいよこれは遊ばれたな、本気じゃなかったな、と思って、……忘れろって言われて、自分でもびっくりするくらいアタマ血ィ昇った。あんたには忘れたいくらいのことだったのか、って、……でも」
 
 皆川は面白くなさそうに高階をちらりと見る。缶ビールを手にして、ごくごくと飲み干した。
 ふー、と息をついた皆川は高階を真正面から見据える。
 
「……あんたは忘れないって言うし……俺だけ忘れろ、なんて、何で言うの?」
「だ……って、忘れたいことだろ、……お前、ストレートだし……無理に覚えてる必要ない、……」
 
「無理に覚えてるつもりはないよ、俺は」
 言いながら、皆川は回り込んで距離を詰めてくる。躊躇せず伸びてきた大きな手が高階の肩を掴んだ。
 
 不意を突かれて、高階は身体を硬直させる。正座したまま後ずさろうとしても、皆川の手の力がそれを阻んだ。
 

 

 
 6へ続く
 
 

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