恋人じゃない

□6
1ページ/1ページ

 
 
   6.
 
 
「……みなが」
 強引に高階を引き寄せようとする皆川の身体に押されてローテーブルがずれる。その拍子に倒れたビール缶からわずかに残っていた中身がこぼれて、白い泡の模様をテーブルの上に描いた。
 
「───……」
 ひっくり返って見上げた視界に、皆川がいた。組み敷かれているのだ、と自覚してその事実に動揺する。反射的に高階は抗うように彼の白いYシャツに包まれた肩に右手をかけた。
 
 皆川は肩に触れた高階の手にちらりと目をやって、その手首を掴む。高階の顔を覗きこみながら、皆川は自分の唇をぺろりと舐めた。
 舌なめずりにも似たその仕草に高階は怯み、目を伏せる。
 
「……俺、ビール飲みに来たわけじゃないって言ったろ」
 かすれた皆川の声が頭上から降ってくる。
「あんたの話も聞いた。今度は俺の質問に答えてよ」
 
 とてもこんな至近距離で皆川の顔を見ることは出来ない。目を伏せたまま、高階は小さく訊いた。
「な……に……?」
 
「なんで、カオ隠してたの、あのとき」
 直截、あの夜を思い出させる皆川の言葉に高階はかっと頬を赤らめた。
「な……なんでって……お前が、……触ってくれなくなると思って……」
 
「俺が? 触ってくれなくなるって」
 高階はこくりと頷いた。
「……してる最中に……俺のカオ見たら……女じゃないって、我に返って、……酔いも醒めて、きっと、つ……突き飛ばして……気持ち悪いって、怒る、と、思うから、……」
 
「─── だから腕でカオ必死に隠してたの? 声も我慢してたよね」
「男の声なんか聞きたくないだろ、……」
 言いながら、涙で視界が霞む。
 
 終わった、と高階の頭の中で声が響く。皆川が酔っているのをいいことに、触って欲しくて、声を我慢して顔を腕で隠した。
 
 皆川を騙したも同じだ、と目を閉じた。─── 怒った皆川に殴られて当然だった。
「……」
 
 覚悟を決めた高階の唇が柔らかいもので塞がれる。衝撃を予想していた高階は、何が起こったのか判らず目を開けた。
 
 皆川の顔がすぐ近くにあった。様子を探るように薄く開けられた目が自分の顔を見ている。笑うようにその目が細められたあと、遠慮も躊躇もなしに分厚い舌が唇の隙間から入り込んできた。
 
 驚いて、高階は厚みのある胸を押して突き飛ばそうとした。両方の手首を掴まれ、動きを阻まれる。狼狽え、慌てた高階の舌は、皆川に絡め取られて蹂躙された。
 
「……ん……っう、……ん……っ」
 角度を変えて何度も侵入を繰り返してくる皆川の舌に、頭がぼんやりとして力が入らなくなる。最後に何度か軽く唇を合わせた後、やっと解放された高階は、間近で自分の顔を覗きこんでいる皆川と目が合った。
 
 ─── 皆川は、ふっと笑った。
 頭の芯がすうっと冷えていく。
「……な、……なにすん……だよ!」
 
 皆川の握力が弱まった隙に、彼の身体の下からもがくようにして這い出す。身体を縮こまらせながら、高階は涙の溜まった目で皆川を見た。
 
「……俺のこと、からかって、……」
 今にも泣きそうな高階に皆川は訝しげな視線を向ける。
 
「……あんたが目ェ瞑ったから。チュウしていいんだと思った」
「殴られると思ったんだよっ……」
 
 驚きと混乱で高階の目から涙が溢れる。─── 皆川にからかわれた。
 そうでなければ、ストレートの皆川が『対象外』の自分にキスなどするはずがない。
 
「……もう、……もういいだろ……俺が、悪かった、から……。か、帰れよ……!」
 ─── 皆川は、心の中では、笑っているに違いない。こいつは男のくせに自分のことを本気で好きなのだ、と知って。
 
 それがおかしくて。
 ほんの少しからかってやろうと思って。
 どうしようもなく涙がこぼれる。
 
「……」
 うな垂れた高階を見つめていた皆川が、膝をついたままそろそろと近づいてきた。
「……高階」
「なんだよっ……」
 
 皆川が近づいてきた分だけ、高階は座り込んだ状態で後ろへ下がる。涙を拭った手の甲をそのまま瞼に押し当てた。
 
 背中がベッドのふちに当たった。そこに寄りかかるように膝を抱えて顔を隠していると、落ち込んだような皆川の声がすぐそばで聞こえた。
 
「……ゴメンな、……」
「うるせえなっ……悪いと思ってんなら、今すぐ帰れっ……こんなんなら殴られたほうがマシだよ!……」
 
 笑いたいくせに。騙してでも自分と寝たがったヤツからかって、バカにして面白がってるくせに。冗談でキスされてぽーっとなってるって、……。
 
 言いたいことがありすぎて、けれど何を言ってもみっともなくなるような気がして、言葉にならない。
 
 黙りこくったまま膝を抱えて顔を隠していると、皆川の声が小さく降ってきた。
「……チュウするの、泣くほどイヤだと思わなかった」
 
「……お前バカか!? 誰が嫌だって、……俺が嫌がってないって判って言ってんだろ!」
「イヤだったから泣いて怒ってるんじゃないの?」
 
「お前が冗談でキスなんかするから、……からかわれたから怒ってんだよ!」
「からかってない。冗談キスなんかじゃない」
「うそつけっ。……笑ってたくせに!」
「高階が可愛かったからだよ」
 
 その言葉に高階は思わず顔を上げる。すぐそばで覗きこんでいた皆川とまともに目が合い、頬を紅潮させた。
「……ふざけんな!」
 
 手近にあった雑誌を投げる。当てるつもりのなかった雑誌はあさっての方向へ飛んで行き、壁にぶつかって落ちた。それもろくに見ずに高階は再び、顔を伏せる。
 
 皆川の困ったような声がした。
「……ふざけてないよ」
 
「ふざけてなけりゃ、カワイイ、なんて言うか! 自分に気がある奴に! 誤解されたらどうしようとか考えろバカ!」
「誤解じゃないけど、……可愛いよ。さっきの高階も、俺のこと好きって言った高階も、忘れないって言った高階も、……この前の夜の高階も」
 
 まだからかうつもりか、と高階はかっとなって顔を上げる。
 ─── 怖いほど真剣な眼差しの皆川と目が合い、思わず言葉を失った。
 
「あの時、ちゃんとカオ見せてくれなかったから。今度は見に来た」
 皆川の言葉に動揺した高階はうろたえて、後ろへ下がろうとした。─── これ以上、下がれない。
 
「な……なに言って……どうしたんだよ、……」
「どうもしてない。本音言っただけ」
 
「本音じゃねーだろっ……知ってんだからな、お前、あの時、カノジョにフラれたばっかで、……ヤケんなって、飲み過ぎて、それで……わ、判ってんだからな。ただのフラれた憂さ晴らしで、たまたま俺で、……俺じゃないほうが、良かったって」
 
「……俺、いつ、あんたじゃないほうが良かったって言った?」
「いっ、言わなくても、女の子のほうが良かったって、判ってる!」
 
 涙に濡れた目で高階に睨みつけられた皆川は、諦めたようにため息を吐いた。
「……あの時、口になんか触れたな、と思って」
 
「な……」
 唐突に始まった皆川の話があの夜のことだと気付いて、高階は言葉を詰まらせた。
 
「目、開けたらあんたがいた。顔真っ赤にして……酔ってたせいかもしんないけど。……俺のネクタイ握りしめて、どうしたらいいか判んないみたいに座り込んでた」
 
 あの夜の自分の様子を、皆川から聞かされるのは信じられないほど恥ずかしかった。みるみる顔に血が昇っていく。
「もういい、やめろよ!」
 
「……高階にキスされたんだ、と思って……嫌じゃなかった。可愛い顔してるなあと思ってたし。……そりゃ、酔った勢いもあったけど……触ってみて、あんたが嫌がらなかったら最後までやっちゃおうと思った」
 
 何を言われているのか、高階には理解出来なかった。混乱のあまり、ぼう然と皆川を見上げる。
 
「……あんたは自分のせいだとか、俺がフラれてやけになってたせいだとか思ってるみたいだけど」
 
 皆川の手が伸びてきて高階の腕を掴んだ。強引に上へ上げさせられて、無防備な体勢を取らされる。
「いっ……」
 
「フラれた憂さ晴らしでも、あんたに無理やりその気にさせられたわけでもないよ。ノラ犬に噛まれたのはそっちの方だって言ったろ。─── ちゃんとあんただって判ってた。ほんとは顔見たかったけど、あんたが必死で隠すからやめといたんだよ。嫌がられたら困るし……無理やりとかって嫌だったし。……だから今度はちゃんと見せて? ヤラしいカオ」
 
 高階は信じられない思いで口をぽかんと開けた。─── こんな、皆川がこんなことを自分に言うなんて、なにかの間違いだ。仕事が出来て人当たりが良くて、笑った顔がカワイイ、なんて女子社員に人気あって、……自分とは何もかも違って、ストレートで。
 
 そんな皆川は、高階の両方の手首を掴んで嬉しそうに笑っていた。
 高階は慌てて皆川の手を振りほどく。皆川から目を逸らさず牽制しながら、寄りかかっていたベッドに昇り、距離を取る。
 
「お、お前、自分がなに言ってるか判ってんのかよっ……」
 ベッドの上で座り込んだまま、壁に背中を張り付かせてわめく高階を、立ち上がった皆川はじっと見下ろした。
 
「判ってる」
「判ってねーよ!」
 構わず、皆川はベッドに上がってくる。二人分の体重で軋んだ音を立てた。
 
「判ってる。……俺のこと、好きって言ったとき、すごい可愛かった」
 皆川の低い声と自分に向けられた熱を帯びた視線にぼうっとなり、高階の身体は動かなくなる。それでも、信じられないという思いから頭を横に振った。
 
「……無理すんな。お前、今日そんな酔っ払ってないし、無理だ、……」
「無理じゃない。……俺は朝になっても帰らないから」
 
 皆川がのしかかってくる。その重みに頭がくらくらとして、高階は自分のネクタイが皆川の長い指に解かれるのを見過ごした。
 シャツのボタンが途中まで外され、たくし上げられた裾から皆川の大きな手が潜り込んでくる。
 
 高階をあられもない姿にしながら皆川は笑顔を浮かべた。
「今度は、ぜんぶ見せて? ベロチュウされてぼーっとなってる顔も、弄りまわされて泣きそうになってる顔も、俺に挿れられてるエロい顔も。ぜんぶ」
 
 非難の声を上げようとして唇を塞がれる。入り込んできた皆川の舌に捉えられ、高階の意識は霞みがかっていく。
 
 皆川の言葉通り、高階は全てを彼の目に晒すことになる。


 

 
 7へ続く
 
  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ