恋人じゃない

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  7.
 
  
 ふっと目を覚ますと、すでに部屋の中は白く明るかった。高階はいつもの癖で枕元を手探りで捜す。─── ああ、と小さく声を上げて身体を起こした。

 隣に目をやると皆川がいた。こちら側を向いて、高階に腕を巻き付けている。

 ─── 一番最初の、あの朝とよく似た光景。違うのは、ここが高階の部屋であること、皆川が高階を抱きしめたまま眠ってしまったこと、何度も名前を呼ばれ、その度に幸福感に包まれたこと。

 その幸福感は今でも続いていて、高階を居たたまれなくさせる。

 こうして眠っている皆川を見下ろしているのが恐ろしく恥ずかしい。高階は皆川から目を逸らし、壁にかかっている時計を見上げた。その腕を解いてベッドから足を下ろす。

「うー……」
 皆川は不満そうに唸り声を上げた。眉間にしわを寄せて薄目を開ける。

「……も、起きる時間?」
「まだ寝てろよ。一時間経ったら起こす」
「高階もまだ寝ようよ。一緒に」

 ベッドに腰掛けている状態だった高階のウエストに皆川の腕が回される。ぐい、と引き寄せられた。

「こら、やめろ。俺は起きるんだよ」
「なんで? まだ時間あるのに」
「……」

 恥ずかしくて、とても朝の光の中で抱き合ってなどいられない。素直にそう言えなかった高階は、ベッドに引き倒されていた。
 皆川の腕の中に再び閉じ込められる。

「や……やめろって。こういうの、苦手なんだよ」
「俺は苦手じゃないから大丈夫」
「俺が苦手なんだよ!」

 皆川はとろけそうな笑みを浮かべながら、高階の頭に大きな手を添えて上向かせる。
「なんで苦手なの? ベタベタするの、キライ?」

 間近で顔を覗き込まれて、逃げることが出来ない。それでも高階は目を逸らして小さく言った。

「……朝まで、誰かと一緒にいたことない。お前、ほんとに帰らねーんだもん……」
 それを聞いた皆川はすっと目を眇める。冷たくなった皆川の表情を高階は恐る恐る見上げた。

「……ふーん。夜なら、誰かと一緒にいたことあるんだ」
「そりゃ……そういうことだって、あって当然だろ……。で、でも、朝まで一緒にいたのはお前だけで……だから、慣れてない……」

 なんで俺がこんな言い訳がましいこと言わなきゃなんないんだ、と思いながらも、高階は何も着ていない皆川の肩口に額を押し付けた。

 皆川の意地悪な声が続く。
「……夜、誰かと一緒にいたことあるくせに、エッチもあんまり慣れてないよね」
「わ、悪かったな、慣れてなくて!……本当に好きな奴とするの、二度目なんだからしょうがないだろ!」
「二度目?」

 皆川は高階の肩を掴んで、肩口から引き剥がす。真剣な目で見つめられて高階は怯んだ。
「二度目って? 一度目は誰なんだよ」
「……お前だろ!」

 皆川にしてみれば酔った勢いの一度目だったにしろ、自分には信じられないくらい幸運な出来事で、嬉しくてひどく緊張した。二度目の昨夜も、それ以上に緊張したのだ。
 思い当たったらしい皆川は、ああ、と口にして破顔した。

「超可愛い、高階」
「……」
「昨日の夜も超可愛かった。……イったよね。何回も。泣いちゃったし」

 高階は真っ赤になって口もきけなくなる。─── 自分が皆川の前でどんな姿を晒したのか、いやでも覚えていた。


 
 

『……ほら、顔隠さない。見せてよ』
 そう言って皆川は、顔を覆い隠す高階の腕を払いのけた。羞恥に涙で目を霞ませる高階を覗き込みながら下半身に手を伸ばし、その屹立したものを大きな手に包み込む。

『や……っん……さわるな……っ』
 熱っぽい視線を高階の顔や身体に這わせて、皆川は掠れた声で囁いた。

『……こないださあ、俺、あんたがイくとこ見損ねちゃった。ねえ、気持ち良かった? ちゃんとイけた?』
『し……っ知らね……っ……』

『……あーそう。教えてくんないんだ? だったら今、見せてもらおうっと』
『……!』

 まるでおもちゃを弄ぶように、皆川の手が高階のものを擦り上げる。高階の身体の中に収められた皆川が大きくなるのが判った。

『やっ、や、んっ、そんなにしたら……っ』
 高階の悲鳴は聞こえているはずなのに、皆川は追い上げるのをやめない。結果、あっという間にその手を汚すことになった。

『……出ちゃった、ね』
 くす、と笑みを浮かべた皆川の顔がぼやける。高階の意に反して涙がこぼれた。

『……泣かしちゃった。ごめんね』
『う、うっせ……謝るくらいなら、そんなことすんなっ……』
『だって、見たかったんだ。……高階のイくとこ』

 想像してたより、ずっと可愛かった、と皆川は高階を抱きしめる。何度目かも知れないキスをされながら、高階の身体は揺らされた。

 一度放出したにも関わらず、すぐに熱を持ち始めたそこが恥ずかしい。そう考えたのは一瞬で、高階はすぐに快楽の波に飲まれ、理性を手放すことになった。
 

 


「……ねえ、今夜も来ていい?」
 ぼんやりと昨日の夜に意識を飛ばしていた高階は、皆川の危険な言葉の意味を理解するのが一瞬遅れた。頷きかけて、はたと気づく。

「だ、ダメ。なに言ってんだ、お前」
「なんでダメなの? いいじゃん」
「よくねーよ、来てなにすんだよ!?」
「なにって、……」

 皆川はぐいと腰を押し付けてくる。朝のせいか、下着越しでも自己主張が激しい。
「俺は今でもいいけど。あんたが困ると思って」
「バカ、いい加減にしろ」

 遠慮なくのしかかってくる皆川を慌てて高階は押し退けた。ベッドを降りて、ユニットバスの中に付いている洗面台の前で鏡を覗くと、とろんとした表情で目元を赤く染めている自分が映っている。

 ……これは、良くない、と高階は冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。濡れてしまった髪の毛と顔をタオルで拭いながら部屋に戻る。

 枕を抱えて俯せている皆川に声をかけた。
「……おい、ほんとに帰らなくていいのかよ。Yシャツとネクタイ、替えなくていいのか?」

「帰らないって言っただろ。一日くらい平気だよ」
「営業だろ、気ィ遣えよ。……しょうがねーな、俺の貸してやる。サイズ同じくらいだよな」

 高階はわざときびきびと声を発して、クローゼットを開ける。好きな相手と一夜を過ごした朝の、どうしようもなく甘ったるい空気を払拭したかった。

 皆川のYシャツとネクタイを見繕い、自分は自分でYシャツに袖を通す。
 ボタンを留めているといきなり後ろから抱きしめられた。

「わあッ!?」
「夜、来てもイイよね?」
 耳元で皆川の甘い声が囁く。高階は慌てて皆川と向き合った。

「だっ、ダメだって言ってるだろ」
「なんで?」
「……今日、プレゼンのアシストなんだよ。きっと大変だと思うし、疲れてると思うし」
「ふーん……」

 皆川は全く納得していない口調で訊いてくる。
「誰のアシスト? 木原さん?」
「加藤。あいつ、毎日遅くまで残業してプレゼンの準備してたからさ、俺も失敗できねーし。頑張らないとな」 

 アシストがあるのは本当だし、それで大変なのも本当だ。それなのに言い訳のように聞こえるのは、昨夜、あまりにも恥ずかしい目に遭わされたせいだろう。皆川にあんなにみっともない姿を晒すなんて考えられない。

「そういうわけだから。今日は、だ……」
「─── 加藤のアシストなんだ」
 皆川の低い声がやけに不穏に聞こえる。強引に抱きしめられ、高階は反射的に身体を強張らせた。

「おい、……」
「俺のこと避けてたくせに、加藤とは飲みに行ったよね。昼もいつも一緒にいるし」
「いつもって……おんなじ部署だし、同期なんだから飲みに行ったりとか、メシ一緒したりとか普通だろ」

「今日は、加藤のアシストやって? 上手くいったら、ふたりで飲みに行ったりとか?」
「へんな言い方やめろよ。さっきも、夜、誰かと一緒に、とか……そういうのよくないぞ。……妬いてるみてー」
「妬いてるんだよ」

 高階は目を伏せて、なんとか皆川の腕の中から逃れようとする。このままでは、あの鏡の中の自分と同じ顔になってしまう。

「バカ、お前、妬いてるとか言うな」
「なんで? 本当のことだよ」
「や、ヤキモチとか嫉妬とかはなー、ちゃんと付き合ってる恋人同士の特権なんだよ」
「付き合ってるでしょ? 恋人同士でしょ、俺たち」

「……簡単に言うなっ……」
 高階は顔が上げられなくなる。耳まで熱くなっていくのが判った。
「……ずっと、お前のこと見てた。……けど」
「けど?」

「絶対、無理だって判ってた。一生触れないって……近くにいれるだけで充分だって、思ってた。お前に彼女出来たら可愛い子だなって言って、結婚決まった時は喜んで、披露宴に呼ばれたらおめでとうって言うんだって思ってた」
「なにそれ。なんのドラマの脚本?」

 笑みを含んだ皆川の声が言う。高階は涙を滲ませた目を皆川に向けた。
「笑うな。それが普通なんだよ。本当なら、そうなるはずだった。……だから、恋人とか簡単に言うな。妬いてるとか言うな。そんなの信じねーからな」

「信じないって、アレだけのことしといて今さら」
「うるせー、お前は恋人じゃない。……そんな簡単に付き合えるわけないって、判ってんだからな」
「……信じられない……」

 皆川はぼう然と呟いて、逃れようとする高階の腕を乱暴に掴んだ。
「じゃ、俺は嫉妬したらいけないわけ? あんたが加藤と仲良くメシ食ってても? クライアントに飲みに誘われても? もしかして、あんたが他の男に色目使ってても?」

「色目なんか使うか、バカ」
「あんなに俺の名前呼んでたくせに。やめないでって言ったくせに」
「お前が言わせたんじゃねーかっ」

「それでも恋人じゃないって?」
「……恋人じゃない。そんな簡単じゃない」
「簡単だよ」

 皆川は高階の顎を押さえつけて強引に口付けた。抗う高階を抱きしめて動きを封じる。
「─── あんたが好きだ。恋人にして下さい」

 耳元で囁かれた言葉で、高階は抵抗をやめた。
「……お前、ズルいぞ」
「ズルいのは高階のほうだろ。俺はこんなに下手に出てる」

 言いながら皆川は、力の抜けた高階をベッドに連れていく。高階は天井を背景に、自分に視線を這わせる皆川を見上げることになった。

 Yシャツのボタンが外される間も皆川の声は続く。
「お願いします。俺と付き合って下さい。恋人にして下さい」
「バカやろうっ……へんなこと言うなっ」

「好きです。恋人にして下さい。お願い」
「あッ……やめろって……!」
「恋人にしてくれる?」
「あ……ん、や……っ」

「夜、来ていい?」
「ん……んっ……」
「来ていいよね?」
「わかっ……来て、いいからっ……」

「……脚、開いて」
 皆川の低い声が耳に流れ込んでくる。高階は皆川の言うとおりにした。
 甘ったるく掠れた自分の声を聞こえない振りをする。そうでもしなければ、この状況に耐えられない。

 汗に濡れた皆川の前髪が目の前で揺れている。潤んだ皆川の目に見下ろされ、羞恥でどうかしそうだった。

「……あんたの恋人だよね? 俺」
「こ……んなの、認めねーからなっ……ん……っ」
 皆川の緩い笑顔が涙のせいで霞む。身体の中の皆川が一際存在感を増した。

「や……っ……皆川……みながわっ……」
 すがりつくように皆川の身体に手を伸ばす。小さく笑った皆川は高階をきつく抱きしめて、その唇を塞いだ。
 
 

 
 
 
 加藤のプレゼンテーションが無事に終わって一ヶ月が経った。
 昼食を終えた高階と加藤は、ビルの一階のホールでエレベーターが降りて来るのを待っていた。

「─── そうだ、戻ったらプレゼンの打ち合わせしてーんだけどいい?」
「あ、サンエー堂の物件な。リフォームだっけ」

「そうそう。頼むなー、アシスト」
「高階のアシストすんの、アガっちゃう〜」
「ウソつけ。気楽だと思ってんだろ」

 一週間後に高階のプレゼンテーションが迫ってきていた。アシスト役は加藤で、茶化してくるその肘を高階は組んだ腕で軽く押す。加藤が明るい笑い声を上げた時、ちょうどエレベーターが着いた。

 ドアが左右に開く。そこに、管理営業部の同僚と一緒の皆川の姿があった。
「お、皆川、今からメシ?」
「ああ、まあね」

 くったくなく訊いた加藤に皆川は和やかに答えた。……その目をちらりと高階に向けて、エレベーターを降りる。

 高階は皆川から目を逸らし、入れ替わりに加藤と一緒にエレベーターに乗り込んだ。
 笑顔を見せながら皆川は振り返る。

「またな」
「おう、またなー」
 加藤は手を上げて応えていたが、閉まるドアの向こうで皆川の目が笑っていないことに高階は気付いていた。

 企画設計部のあるフロアでエレベーターを降りてすぐ、携帯電話の着信音が鳴る。高階は、スーツの内ポケットからそれを取り出して目を落とした。

 表面に表示されている名前に、思わず顔を顰める。
 後ろにいた加藤を振り返った。

「悪ィ、先行ってて」
「なんだ、彼女かー?」
 加藤はニヤニヤとひとの悪い笑みを浮かべる。

「……まあな」
 仕方なくそう答えた高階を置いて、笑ったまま加藤は企画設計部に消えていく。手の中に携帯電話を隠した高階はきょろきょろと辺りを見回し、人けのない廊下の隅に身を寄せた。

 メールフォルダを開ける。
『今日も行っていい?』

 無題な上に端的な文面。さらにさっきの目付きはあからさまに穏やかでなかった。総合して考えるに、承諾すればきっとろくでもない夜になるに違いない。

「……」
 判ってはいたが、高階は少しの逡巡のあと、返信する。

『待ってる』

 嫉妬深い恋人の追及から逃れるすべを頭に廻らせながら、高階は携帯電話を閉じて職場に向かった。 
 
 
      end.
 

 
 
 
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 → After sweethearts 続編です

  
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