皆川くんの話

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 入社式の行われるミーティングルームに入ると、一列に並んだ椅子のほとんどが埋まっていた。入口の受付で渡された社員証を首から下げ、空いている手近な席へ向かう。

 その席には「加藤 祐司」と書かれた紙の名札が置いてあった。座る場所が決まっているのか、と自分の席を探すと一番端が空いている。どうやら五十音順らしい。
 端まで歩いて行って、椅子の上にあった「皆川 敦」という名札を手に取る。
『……みながわ、で最後なんだ』 
 
『「皆川」で最後って珍しいよな』
 思わず出たひとりごとのつもりだったのに、隣の席から小さく声が返って来た。目を向けると、緊張しているのか少し硬い表情の男が見上げている。
 
『ほんと。俺、最後って初めてだよ』
 皆川も小さくぼそぼそと返して、名札を手にしたまま座った。壁際に控えていた制服姿の女性社員が、すっとそばに来て名札を回収していく。

『俺も「高階」で最後から二番目って初めて』
 高階というのか、と隣の彼の胸元に下がっている社員証を見るともなしに見た。高階 圭吾。社員証に添付されている写真より、実物のほうが数段顔立ちが整っている。

『へえ、タ行のひとが隣って珍しいかも』
 実際、タからミまでは相当離れている。自分で最後も珍しいが、タ行で最後から二番目もかなり珍しい。人数が多ければ高階なんて最初の方だろう。常々、「五十音順の最後のほうを呼ばれる頃にはどんな式でもダレてくる」と思っていた皆川は、その最初のほうへの憧れを口にしてみた。
『……俺、タ行かサ行の名字がよかったな』

『俺、カ行』
 まさか応えがあるとは思わなかった。なんだか面白そうな奴だ、と「なってみたい五十音順の最初のほう」の話を続けた。
『ア行もいいよね。いっぱいいてさ』

『でも、下手に相川とか相沢だったら一番になるぞ』
『ああ、……それって嫌かも。卒業式で答辞とか読まされたりしてね』
 そうか、いくらダレないとはいえ一番最初はイヤだなあ、と考えて、ふと気付いた。

『ねえ、なんで俺たち、入社式の前にこそこそカ行とかタ行とかの話してんの?』
 言ったとたん、驚いたようにきゅっと高階の目が丸くなった。そうすると整った顔がまるで女の子のように可愛らしく見える。
 それから、高階は声を上げないように肩を震わせて笑いだした。

 そのすぐ後、明日から始まる二人一組の研修で隣の高階と組むことを知った。顔合わせのための座席指定だったのだろう。
『明日から、よろしく』
 
 入社式が終わり、帰りがけに高階に声をかけると、いたずらっぽい笑顔が返って来た。
『こっちこそよろしくな。さっき面白かった』
 面白かった? そうかな、と思いながらも悪い気はしない。連れだって廊下に出たところで思い立った。

『そうだ、ケータイの番号教えて?』
『え? 慣れてんなあ……ひょっとしてナンパ得意?』
『明日から一緒だから、知ってた方がいいだろ』
  
 軽口を叩く高階を流して互いの携帯電話の番号とアドレスを交換する。それを見ていた他の新入社員たちも、組になった相手と番号交換を始めた。
 よろしくお願いします、また明日、と周りの同期の社員が打ち解けていく。入社式の前からすでに会話を交わしていた皆川と高階は、顔を見合わせて笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 懐かしい夢を見た。
 目を覚ました皆川はまだ完全には覚醒していないまま、ベッドの中でさっきの夢を反芻する。
 入社式のあの日、初めて高階と会って、初めて話した。他愛無い、すぐに忘れてしまうような会話。実際、次の日から始まった研修の忙しさに紛れてすぐに忘れてしまっていた。

 せっかく交換した番号もアドレスも研修の間はほとんど使うことはなく、配属先に分かれてから飲みの誘いに利用する程度だった。
 しかし、交換しておいて良かった、と皆川は心の底からあの時の自分に感謝する。二人一組の研修も高階の相手が自分で良かった。

 もしも、高階の組む相手が自分でなかったら、高階はそいつのことを好きになっていたかもしれないじゃないか?

「……皆川。皆川、起きてんのか?」
「んん……寝惚けてる」
 
 正直に言って、覗き込んでくる高階を見上げる。
 今、Yシャツとスラックス姿で目の前にいる高階は、あの入社式の日、初めて会った高階と同じ人物だ。あれから一年以上も経って恋人になった。……恋人になった、と皆川は思っている。
 
 高階のほうは頑なに、恋人になったとは認めてくれなくても、だ。
「そろそろ起きろよ。遅刻するぞ」
「何時?……まだ大丈夫だよ。もうちょっと……」
 真っ白なYシャツの袖に手を伸ばす。そんな皆川の手はあっさりと払われた。

「何がもうちょっとだ。へんなこと、しないからな」
「ええー……」
 冷たい高階の横顔を見上げて抗議の声を上げる。それに高階は一切構わず、姿見の前へ行き、肩にかけていたネクタイを締めた。
 
 その仕草を横目で見ながら、皆川はベッドの上で身体を起こす。これだ。この冷たさ、……付き合い始めて一ヶ月の恋人同士だなんて思えない。
 はあ、と皆川は高階に聞こえるようにため息を吐いた。 

「……初めて会った時はあんな可愛かったのに」
「可愛かったってなんだ。初めてっていつだよ」
「入社式のとき」

「覚えてない」
 仕事用の携帯電話のメールをチェックしながら、皆川のほうを見もしないで応える。皆川はそんな恋人に不満そうに唇を尖らせた。
「……あの時さあ、カ行の名字がいいって言ってたよね、高階」

「言ったっけか。……覚えてねえって言ってるだろ」
「カ行なら、加藤でもいいわけだ」
 高階と同じ部署で同期の男の名前を出す。加藤自身は調子のいいところはあるが、裏表のない仲間思いな好人物で、高階にも皆川にも友人として接している。

 問題は、そんな加藤に高階がほんの少しでも惹かれていないか、ということだった。昼の休憩時や仕事終わりに、かなりの確率で加藤と一緒にいる高階を疑わずにいられない。
 
 皆川に疑いの眼差しを向けられた高階は、完全にあきれた、といった表情を見せて、ベッドに腰かけた。
「アホか。くだらねー。顔洗って目ェ覚ませ」
 
 夢で見て思い出したことでさえも、面白くない感情を揺さぶられる。けれど、高階はそれを皆川が寝惚けているせいだ、くらいにしか思っていない。

 自分がこんなにも嫉妬深い人間だとは思わなかった。恋人の態度がそっけないせいも多分にあるに違いない。
 その恋人を困らせてやりたくて、皆川は、携帯電話を弄っている背中に抱き付いた。
「……入社式のすぐあとの、研修の時から好きだったって言ってくれたよね。きのう」
 
 昨日の夜、いつからそういう気持ちでいてくれたのか、と訊いた皆川に、高階はそう言った。懐かしい夢を見たのはそのせいだったに違いない。
 そう答えてくれた時のことを甘ったるく思い出していると、腕の中の恋人が携帯電話のフラップをぱちんと閉じた。
 
 振り向いた、目のふちを赤く染めた恋人に睨みつけられる。
「強引に、無理やり訊き出したんだろーがっ。俺が言いたくて言ったみたいにすんな!」
 高階の気を惹くことに成功した皆川は、満足げな笑みを浮かべた。
 
 
    

 →  2. へ続く
 
  
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