皆川くんの話
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恋人になるきっかけは最悪だった。
半年付き合った彼女と別れたばかりで気持ちが沈んでいた皆川は、ある飲み会の席でつい飲み過ぎて酔いつぶれてしまった。その時、たまたまそばにいたのが高階だった。
アパートまで送ってもらい、どういうわけかキスをされた。……かなり自分も酔っていて、酔った高階が可愛くて。
触ったり、いろいろとしていたらそういう状態になったので、そのまま最後までしてしまった。
もちろん送った高階のほうが、─── こちらも酔っていたとはいえ ─── 皆川よりは意識はまだはっきりしていたはずで、キスは冗談としても、その後のことが本気で嫌なら殴ってでも蹴り飛ばしてでも逃げただろう。そうしなかったということは、高階も合意の上だったと思う。
高階は慣れてはいないものの、そういった関係を持つのは初めてではないようだった。
しかし、そのあと高階は逃げ出した。 ただ逃げ出しただけでなく、それから何日もの間、皆川は避けられ続けた。
その間、皆川にも葛藤はあった。同性とそういうことになったことは一度もなかったし、どうして高階ならいいのか、自分でもよくは判らない。
最初は勢いだったと思う。「初めてではない」高階にしてみれば、物のはずみだったのかもしれない。けれど、そういう時の高階は可愛かったし、最後まで嫌がらなかった。それなのに、そのあとは自分を避け続ける ───。
同期の友人として一年も付き合いがあったのに、その日から高階のことがよく判らなくなった。
高階の真意が判らず、勢いで関係を持ってしまって困っているのか、ひょっとしてただの遊びでもう自分に対する興味がなくなったのか、もしかしたら恋人が ─── 男か女かは判らないけれど ─── いて、自分とのことをなかったことにしたいのかもしれない、と考えた。
もしも、高階が何もなかったことにしたいのなら、それも仕方がない、と考えて、─── それは嫌だ、と思った。
何もなかったことになるのは、嫌だと、思ってしまった。
そうして高階のことばかり考えていて、元カノからかかってきた復縁の電話を高階からと取り違えた。……本気で高階のことが気になっていると気付き、元カノには「もうかけて来ないで欲しい」と告げた。
なんとか接触してみようと試みたが、相変わらず高階は自分を避け続けている。それとなく同期で高階と同じ部署の加藤に、高階に恋人がいるかどうか訊いてみると、いないようだ、と言う。それはそれでほっとしたが、加藤が高階とよく飲みに行っている、ということを知り、ひどく面白くない思いをした。
とにかく高階と話をしないことにはどうにもならない。皆川は、あの夜のことを高階に問い質すことに決めた。
会社の飲み会で久しぶりに顔を合わせた高階は、困惑しているようだった。あまり目も合わせてくれない。じれったくなり、付き合っている奴がいるのか、と訊いてみると、いない、と答えてくれた。
高階の気持ちが知りたい。そう思った皆川は、飲み会のあと、彼を追いかけて無理やり捕まえた。
『あの日、……朝、なんで黙って帰ったの?』
意を決して訊いたのに、高階は、ぎこちない口調ではぐらかそうとする。皆川が覚えていないと思っていたらしい。
問い詰めると、高階は、お前が酔っぱらっているのをチャンスだと思った、と謝った。男と付き合ったことのないお前にはいらない記憶だから忘れて欲しい、と言った。
それから、好き、と言ってくれた。
はっきりと気持ちを聞かされ、驚きはあったけれど嫌ではなかった。むしろ、そう言ってくれた高階のことを可愛いと思った。
その夜、皆川は、戸惑う高階を半ば強引に手に入れた。
そうして高階と皆川は付き合うことになった。……付き合っている、と皆川は思う。少なくとも、皆川は高階を恋人だと思っている。
それなのに、一ヶ月を少し過ぎた今でも、ことあるごとに「お前は恋人じゃない」と高階から宣告される。
付き合うことになるきっかけが最悪だったせいかもしれない。普通の「お付き合い」のように告白から始まり、手順を踏んだ上でそういう関係に及べば良かったのかもしれない。
好き、帰らないで、と言うくせに、恋人とは認めてくれない高階は捉えどころがなく、皆川が付き合ったどんな相手とも違っていた。
今まで積極的に近付いてきたのは相手のほうで、こちらから近付きたいと思ったことはほとんどない。別れた元カノも、向こうから告白されて付き合い始め、「忙しい」と皆川が言い出し ─── 本当は彼女に夢中になれずに ─── 疎遠になり、彼女から別れを切り出された。仕方がない、と諦めつつ、自分は誰も本気で好きになれないのではないか、と落ち込んだ。
そんな皆川にとって、高階は唯一、自分から近付きたい思いをかき立てられる存在だった。
「……俺ってドMだよね」
「はあ? なに言ってんだ」
混雑する朝の駅のホームで、皆川は整った顔をしかめて腕を組んだ。隣であくびをしている高階をちらりと横目で見る。
「だって、いつもこんなに冷たくされてるのに、あんたに会いたくて仕方ないんだもん。ドMでしょ」
「……ふざけんなよ、お前、この間のこと忘れたとは言わせねーぞ」
ほんの十日前、加藤と高階がじゃれあっているのを目撃してしまい、頭に血が昇った皆川は、少しだけ高階に対する行為が過ぎてしまった。……少しだけ、あくまでも少しだけ、だ。
「完全にドSじゃねーか。……あんな、こと」
人目があるので大きな声を出せないらしい。ちらちらと周りを気にする高階に、皆川は目を眇めた。
「あんなことって? なに?」
「……そういうところがドSなんだよ! バカ!」
ホームに入ってきた電車の騒音で高階の声が紛れる。くるりと背を向けた高階はたくさんの乗客と共に電車に乗り込んだ。
ガラスの窓越しに、目を逸らして顔を微かに紅潮させた高階が吊革につかまっているのが見える。それをホームで眺めながら、皆川は頬が緩むのを押さえられない。
可愛いなあ、と思う。今すぐ人波をかき分けて駆け寄って「好きだ」と言ったら、どんなに困った顔をするだろう。それとも泣いて怒るかな、……そんな高階も悪くない。いや、むしろイイ。
そんなことをしたら高階にフラれてしまうことは判っている。だから、しない。
高階のことがどうしようもなく好きなのだ、と心底思う。高階に嫌われたくない。朝、一緒に出社するのを嫌がる高階をこうしてひとりで見送るような目に合わされても、少しも気持ちは揺るがない。
次の電車はあと三分ほどで来る。ホームで電車を待つその時間をなんでもなく受け入れている自分に皆川は、やっぱりドMだよな、と思いを新たにした。
→ 3. へ続く
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