皆川くんの話
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午前中の客先訪問とついでに昼食を終えたあと、職場に戻った皆川はミーティングルーム前の休憩室を通りかかった。コミュニティルームと名付けられているその場所は、社員食堂がない代わりに設けられた長机や丸テーブルのある広いスペースで、数種類の自動販売機やコーヒーメーカー、緑茶や紅茶のティーバッグなどが用意されている。
昼の休憩時間中ということもあり、廊下側の素通しの窓ガラスから、弁当を広げて談笑したり、雑誌や本を読みながらうつらうつらしている社員の姿が何人も見て取れた。
その中に加藤を見かけた。初めからドアが付けられていない入り口付近で、二人の制服姿の女性社員と一緒にいる。
「お、皆川、ちょっとちょっと」
皆川に気付いて軽く手招きしてくる。それに応じて、コミュニティルームに入った。
「なに?」
「彼女たち、総務部のエリちゃんとナツミちゃん。管理営業部の皆川ね」
手の平を上に向けて、加藤がそれぞれを紹介する。
社内の交流が割りとあるこの会社で初対面ということは、最近契約した社員だろう。どうも、と笑顔を向けながら会釈する皆川に、目の前の二人は慌てたように頭を下げた。
加藤は皆川に向き直って言った。
「三人で飲みに行かないかって話してたんだけど、どうせならもう一人男いたほうがいいか、って。お前どう?」
どうやら合コン半分の飲み会らしい。以前なら気が向けば行っていたが、今はとてもそんな気はない。
仕事用の携帯電話を取り出して、スケジュールを確認する。何もなくても断るつもりでいたが、ちょうど予定が入っていた。
「いつ?……ああ、その日、取り引き先と食事の約束してるからダメだなー」
「なんだよ、接待?」
「そんな大げさなもんじゃないよ。打ち合わせを兼ねた会食」
ネイルサロンの女性オーナーに、二号店を出すので内装の相談に乗って欲しい、と言われていた。資産家の夫を持つ彼女は、自分の最初の店を担当した皆川を気に入っているらしい。
本当はその食事は十日前のはずだった。高階に対する行為がほんの少し、行き過ぎてしまった日だ。
あの日、高階と加藤がじゃれているのを目の当たりにして、かっとなった皆川は、高階に「家に行っていいか」というメールを送ったすぐ後、女性オーナーに電話を入れて約束を反故にした。
そのお詫びの意味も込めての食事なので、今度ばかりは断るわけにはいかない。
その日の夜の高階を思い出して、いつもああいうふうだと可愛いのにな、と内心にやにやしていると、エリちゃんと紹介された子がぱっと手を上げた。
「はーい」
「はい、エリちゃん。なに?」
先生よろしく加藤がエリちゃんを指名する。はっきりとした顔立ちにショートヘアが似合う彼女は、大きな目で皆川を見つめて発言した。
「皆川さんの、都合のいい日っていつですか?」
「え?」
「エリちゃん、やめてよー」
隣にいた小柄なナツミちゃんが慌てたように止めに入った。くるくると巻いて三分の一ほど後ろで束ねた髪の毛が、皆川の目線の下で揺れる。
面食らった皆川は彼女たちをまじまじと見て、次いで加藤に目を向けた。どういうこと、と視線で訴えても、加藤は肩を竦める仕草で応えるだけだ。
ナツミちゃんの困ったような声が小さく聞こえる。
「皆川さんびっくりしてるじゃない、……もう、変なこと言わないで」
ナツミちゃんの肘を掴んで後ろを向いたエリちゃんが返した。
「だって、今度いつ皆川さんと飲み会一緒出来るか判んないでしょ。ナツミはもっと積極的にならなきゃ……」
背を向けたまま、ナツミちゃんとエリちゃんはひそひそ声で話し始める。彼女たちに半分背を向けた加藤は、横目で皆川を見て声を低めた。
「……モテますねえ」
「知らないよ。……最初からそのつもりで呼んだんじゃないの?」
「違う違う。俺、知らなかったんだって、……あーあ。偶然通りかかったからって誘わなきゃよかったな。ナツミちゃんは皆川かー」
「聞こえるって」
彼女たちの耳を気にした皆川だったが、二人は背を向けたまま聞こえた様子もない。
やっぱ誘う相手はよく考えるべきだった、とぶつぶつ言っていた加藤は、気を取り直したように皆川に囁く。
「……で、いつよ、都合つくの?」
「いつって言われても……」
皆川は笑ってごまかした。ナツミちゃんの気持ちが自分にあるなら、なおさら一緒に飲みには行けない。
「なに、お前、ナツミちゃんじゃ不満なの? ゼータク? ゼータクかっ?」
「いや、そういうんじゃないけど」
「じゃイイだろ。カノジョもいないんだし」
そういえば、元カノと別れたことを加藤は知っていた。
確かに前の彼女と別れて以来、彼女はいない。でも高階がいる。
首の後ろに手を当てた皆川が返事をためらっている間に、彼女たちが振り向いた。
ナツミちゃんが口を開く。
「あの、……来週の金曜とか、どうですか?」
面と向かってみると、ナツミちゃんは小作りな可愛らしい顔をしていた。緊張しているのか、声がひどくか細い。そんな内気そうなナツミちゃんに俯き加減でおずおずと訊かれ、そうされると皆川としても無下に断ったり嘘を吐いたりするのが憚られた。
となりではエリちゃんが必死な目付きを皆川と加藤に向けている。こちらはこちらで、両手を合わせかねないその勢いに気圧された。
「あ、えーと、……来週の金曜ね……」
再び仕事用の携帯電話を取り出す。接待でもいいから予定が入っていて欲しい、という皆川の祈りも空しく、定時で仕事が終わってからは真っ白だ。私用のスマートフォンを確認しても同じ有り様で、顔を上げると加藤と目が合った。
「……ない? 予定ないな? じゃあ来週の金曜、決まりねー」
加藤の強引な声に、ぱっとナツミちゃんの顔が明るくなる。良かったね、とエリちゃんがナツミちゃんの肩を抱いて、加藤に軽く頭を下げた。もうとても「合コンはムリ」とは言えない状況になってしまった。
……まあ、たとえナツミちゃんと飲んだところでどうということもない。その場でやんわりと、そういうつもりはない、と態度で示せばいいだろう。
「あ、もうこんな時間」
皆川が軽く考えていると、昼休憩が終わりかけていることに気付いたエリちゃんが声を上げた。コミュニティルームを出ていく彼女たちを見送る。
「……来週、楽しみにしてます」
はにかんだ笑みを向けるナツミちゃんに、皆川も穏やかな笑みを返して別れた。
彼女たちの後ろ姿が見えなくなると、皆川の口から思わずため息が漏れた。
「なんだよ、そのため息ー。ナツミちゃん、超嬉しそうだったじゃん」
「いや……まあ……」
それがより一層困る。ナツミちゃんに余計な期待はさせたくないので、飲み会の時は気がないことをアピールしなくてはならない。
加藤は面白くなさそうに口を尖らせた。
「ナツミちゃんカワイイのに。嬉しくなさそうなのなー、お前って。高階でも誘えばよかった」
「たか……」
高階の名前が出て、思わず息を飲んだ。
「……もしかして、俺が誘われなかったら、高階が誘われる予定だった?」
「あー、うん、そうそう。お前に声かける前、誰か男もう一人って話ンなって、エリちゃんが『加藤さんと高階さんって仲良いですよね、同期なんですかー』って」
危ない。あの場を通りかからなかったら、高階が合コンに誘われるところだった。自分のタイミングの良さに、皆川は心の中でガッツポーズをする。
万が一にも、高階を誘惑するような芽は早いうちに摘み取っておくに限る。なにしろ、こちらは未だに恋人とは認めてもらっていないのだ。
「あ、そうか、もしかしてエリちゃん、高階が良かったんじゃね?」
脳天気な加藤の言葉に、皆川の心がすっと冷える。無意識に相づちの声も相対して冷やかになった。
「……へえ……そうなの……?」
「だって高階のこと言いだしたのエリちゃんだしー。しまったなあ。高階も誘うかー」
「いや、だって、向こう二人だろう」
高階にかけようと携帯電話を取り出した加藤の手首を掴んだ皆川は、容赦なくギリギリと締め上げた。
「こっち三人でどうするんだよ?」
「痛い痛いって、皆川っ」
「あ、ごめん」
「思ってねーだろ!」
手は放したものの悪びれずに形だけ謝る皆川を、加藤は涙目で睨んだ。
「なんなんだよ、もう、……あ、でも、やっぱ高階はムリかー。カノジョいるもんな」
「え、……」
「カノジョだよ。付き合い始めたばっかの、……高階に聞いてねーの? 」
携帯電話をジャケットの内ポケットにしまいながら加藤は言う。
「まだギクシャクしてんのかよ、お前ら」
以前、付き合うことになった最悪なきっかけのあと、─── もちろん加藤は何が起こったかは知らないが ─── 皆川が高階に徹底的に避けられたことを知っている加藤はあきれたような声を出した。
「なーんのワダカマリがあるんだかねえ……入社したころは俺より仲良しだったくせに」
「わだかまってないよ。ぜんぜん」
実際、関係は良好だ。以前とは違う意味で、だけれど。
「で、高階の彼女って?」
「あー、こないだメール、廊下の隅に隠れて返してた。どうも彼女らしい」
「へー……」
高階と加藤が一緒にいることを知っていて、わざとメールした時のものだろう。もしかしたら十日前のあの時のメールかもしれない。我ながら相づちが空々しい、と思いながらも優越感に浸る。
加藤は皆川の空々しい相づちには気付かず、けろりとした口調で続けた。
「最近あいつ付き合い悪いし、本命なんじゃね? 時々、メール見て顔しかめてるけど。向こうにしつこくされてんのかもなー」
しつこくて悪かったな。心の中で突っ込みを入れて、頬を引きつらせながらも皆川は念を押した。
「じゃ高階を誘うわけにはいかないな」
「まーなぁ……せっかくの合コンだが彼女持ちにはカンケーない、ということで」
またな、と加藤は手を上げて企画設計部室のほうへ向かう。
これで高階が合コンに出席する機会は潰えた。代わりのように自分が呼ばれてしまったが、高階が呼ばれるよりはずっとマシだ。
そう考えながら皆川も自分の部署に戻ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「皆川ー、高階と仲良くしろよ。話せば判るって」
加藤の声だった。皆川は振り返って、大げさに肩を竦めてみせる。
「仲良しだよ、俺たち」
「えー?」
「なんでもない」
きょとん、とした加藤の表情がおかしくて、皆川は胸の内からわき上がる笑いを抑えきれずにいた。
→ 4. へ続く
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