皆川くんの話

□ 5.
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   5.
 
 
 企画設計部を覗いたときに見かけたままのスーツに、いつもの斜め掛けのバッグを下げた高階はぼんやりとそこにいた。
 職場からも高階のアパートからも離れているこの場所で、偶然出会うはずがない。
 
「高階」
 皆川は驚き、わざわざ会いに来てくれたのだ、と顔をほころばせた。足早に高階に近付く。

「なんでここで打ち合わせって判ったの?」
「……」
 
「高階?」
「……総務部の子が教えてくれた。お前がここで接待だって」
 そういえばさっきエリちゃんに会った時、これからの予定を詳しく話した。高階から会いに来てくれた嬉しさに、皆川は深く考えずに笑って頷いた。

「メシ食べた? それともどこか飲みに」
 皆川の言葉を遮るように高階は背を向ける。スラックスのポケットに片手を入れて、何も聞こえなかったように歩き出した。
 
 高階の様子がおかしい、と気付いた皆川は訝しく思って追いすがる。
「高階? どうし……」
「ナツミちゃんて子がお前のこと、気に入ってんだって?」
 なんでもないことのような、穏やかな口調だった。皆川は驚いて足を止める。
 
 高階もつられたように足を止めて、顔だけ振り返った。
「今度、その子も入れて飲み会やるんだろ。俺も誘われたけど、……お前とそのナツミちゃんがメインなんだって、加藤から聞いた。……良かったな、彼女出来て」

「ちょ……待ってよ」
 慌てて高階に近付く。─── 確かに飲み会の約束はした。ナツミちゃんが好意を寄せてくれているのも自覚している。けれど、彼女にするつもりはさらさらなくて、毎日高階のことばかり考えていて。

「……良くないよね。俺に彼女出来るの。だから、会いに来てくれたんだよね?」
 つい必死になってしまう。人目がなかったら抱きしめられるのに、と皆川はじれったく思った。
 高階は表情を隠すように、ふい、と目を逸らす。
「あー、……悪かったな。俺には関係ないのに、こんなとこまで来て。もう二度とこうゆうことしねーから」

「関係ないって……関係なくないよ!」
「うっせ、こんなとこでデカい声出すな」
 睨んだ高階の目は赤かった。その目にうっすらと涙の膜が張っているのを目にして、皆川は言葉を失う。
 
「……」
 高階は険のある目付きを緩めて、俯いた。
 
「……心配すんな。泣きわめいたりしねえから。……それと、お前が女好きだってのは知ってるけど、マクラ営業とかやめろよな。ああいうの誰かに見られたらマズいし、ナツミちゃんが可哀想だろ」
「……そんなことしてないよ。それにナツミちゃんは」

 弁解しようとした皆川を振り切るように急に背を向けた高階は、ホテルの敷地の外へ向かう。路上で客待ちをしていたタクシーの窓をコツコツと叩いてドアを開けさせると、さっさとそれに乗り込んだ。

「高階っ……」
 追いかけた皆川の目の前でドアが閉まった。うろたえて立ち尽くしていると、高階を乗せたタクシーはそのまま走り出してしまう。
 リアウィンドウから覗く高階の後ろ姿が振り向くことはなかった。
 
 
 
 
 
 高階の泣き顔が好きだった。いかにも事務系の線の細い整った顔を歪ませて、涙を浮かべながら自分の名前を呼ぶのを、可愛いと思っていた。
 
 いや、いつも無愛想な高階がときどき笑ってくれる顔も ─── 高階を一番笑わせられるのは加藤かもしれないが ─── 可愛いと思っていた。
 ようするに、高階の泣き顔も好きだ、が正解ということになる。 

 でもさっきのは違う、と皆川は思った。
 さっき、高階が泣きそうな顔をしたのは、自分が高階を傷付けたせいだ。
 あんな顔をさせるつもりはなかった。

 成り行きで、不本意ながらも参加することになった飲み会だし、ナツミちゃんにはきちんと断るつもりでいた。どうしようもなかったら、好きなひとがいるから、と言ってもいい。……高階さえよければ、高階が好きだ、と言っても構わない。
 
 ホテルのレストランで会食した女性オーナーのことは、完全に誤解だ。……いや、完全に、とは言えないかもしれない。食事が終わりかけた頃、「この間のお詫び、まだもらってないんだけどー。……このあと、空いてる?」と当てつけがましく誘われた。

 けれど「ご主人はいつお帰りですか? 海外に出張中とお伺いしましたが」と夫の話を持ち出すと、あっさり彼女は引き下がってくれた。皆川が誘いに乗るかどうか好奇心で試しただけだったのだろう。
 
 何もなかったとはいえ、そういう相手と一緒にホテルから出てくるところを高階に見られたのは良くない。確かあの時、彼女はハイヤーに乗るまで、きれいにネイルを施した自分の手を皆川の腕にからませていた。
 
「……ハンパなく、間が悪い」
 思わず、ひとりごとが口を突く。よりによってどうして、ナツミちゃんのことを知った高階に、女性とホテルから出てくるところを見られたのか。
 皆川は、高階のアパートのドアの外側に背中をもたれさせた。
 
 高階がタクシーに乗って行ってしまったあと、動揺していた皆川は、他のタクシーが路上で客待ちをしていたにも関わらず、追いかけるのを失念した。高階を乗せたタクシーが見えなくなるまで見送り、我に返って、どこへ行ったのか、と焦った。
 
 アパートに帰っているに違いない、と自分に言い聞かせてここまで来てみたが、高階は帰っていなかった。携帯電話を鳴らしてみても、出ない。 
 それからすでに三時間。もう夜中の十二時を過ぎようとしている。

 ……高階は帰ってこないかもしれない。
 不穏な考えが脳裏をかすめ、慌てて追い出す。自分を見限った高階が、すぐに他の男とどうにかなると考えるのはあまりにも短絡的だ。
 
 けれど、もし強引に誘われたら?……高階は嫌がらないかもしれない。自分の恋人であることを認めない高階のことだ。ふらふらとついていって、そして……。 
 いや、と皆川は頭を横に振った。スーツが汚れるのも構わず、ドアに背中をもたれさせたまま外廊下のコンクリートの床に座り込む。

 エリちゃんと企画設計部で話していた時、高階の顔色は優れなかった。ナツミちゃんのことを聞いたからだ。そして、わざわざ商談をするホテルまで来てくれた。
 今にも泣きそうな顔をしていた。
 
 それはまだ、自分に心を残してくれている証しだ。
 
 皆川がさらにしばらくの間待っていると、アパートの階段下で明かりが点いた。センサーになっているそれは、アパートの住人のみならず犬や猫が通っても点灯してしまう。それでも皆川は、明かりが見えるたびに外廊下の手すりの隙間から確認していた。

「……高階」
 今度は当たりだった。腰を降ろしていたコンクリートの床から立ち上がり、彼が現れるのを待つ。
 階段を上ってきた高階は、部屋の前にいる皆川に気付いて足を止めた。


   

 →  6. へ続く
  

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