皆川くんの話

□ 6.
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 廊下の向こうで一度足を止めた高階が、改めて近付いて来る。その表情は冷ややかだった。
「……なんでここにいんだよ」
 思い切り無愛想な言葉を浴びせられた皆川は、それでも恋人が外泊などせずに自宅に帰って来たことにほっとする。

 高階は斜め掛けのショルダーバッグから鍵を取り出した。その胸元からネクタイが消えていることに皆川は気付く。
 冷たい高階の声が響いた。
「帰れよ。もう来んな」
「高階」

 高階は皆川から目を逸らし、決して合わせようとしない。開いたドアにその後ろ姿が吸い込まれていく。
 皆川は閉まりかけたドアに手をかけて、強引に中に入った。鍵を閉める。

 明かりが点いても薄暗く狭い玄関で、靴も脱がないまま高階の腕を掴んだ。
「……三時間も待ってた恋人に「帰れ」はないんじゃない」
「恋人じゃない。勝手に入るな。とっとと帰れ」
 
 取りつくしまもない高階の態度に、皆川は眉尻を下げる。きつい言葉で威嚇しながら、高階は顔を背けて皆川を見ようとしない。
 その目が見たくて皆川は壁に手をついて、高階を閉じ込めた。
「……こっち見てよ」

「イヤだ」
 目を逸らしたまま、にべもなく拒絶する高階からアルコールが香る。彼が酔っていることを知って、皆川の胸が不安にざわついた。
「……どこ行ってたの。今まで」

「お前に関係ない。言う必要ない」
 そっけなく言った高階は、皆川を押しのける。皆川がその気になれば、簡単に押しのけられることはなかったが、あえて拒まずに身体を離した。

 靴を脱ぎ捨てた高階は、逃げるようにワンルームの部屋の中央に向かう。
 当然、皆川もあとに続いた。

「どさくさに紛れて上がりこむなよ……!」
 文句を言いながら、肩から外したバッグをベッドの足元に放り出す。ジャケットをハンガーにかけて、ポケットから出てきたネクタイも一緒にひっかけた。
 皆川はそんな高階を目で追いかける。

 この部屋の外で高階を待っている間、いろいろな妄想にかられた。まさか、とは思うが、一度火を持った疑念はなかなか消えてくれない。
 振り返った高階は、皆川の視線に気付いて気まずそうにぼそぼそと言った。

「……なんだよ、へんな目で見んな」
「見るよ。あんたは俺のものだから」
 皆川の部屋と似たり寄ったりの狭い部屋だ。労せず、高階を捕まえて抱きしめた。

 抗おうとする高階の瞳の中に自分が映っているのを目にして、皆川は少しだけ安堵する。
 二、三度瞬きをして目を伏せた高階は低く言った。
 
「……お前のものじゃない。最初から、恋人なんかじゃない。─── そのほうがいいだろ?」
「……どういうこと」
「俺のことなんてなかったことにして、女の子と付き合えばいい。心配しなくても誰にも言わない。俺が黙ってれば、誰にも判らない。……お前が、女のほうがいいって、最初から知ってた」

 高階は目を伏せたまま、笑みを浮かべる。
「……お前がホテルから女と腕組んで出てきて、ナツミって子じゃないはずなのに、そう見えて仕方なかった。お前に彼女出来たらこうやって見せつけられんのかな、って……」

 取り巻いていた皆川の腕を解いて離れた高階は、真っ直ぐに目を向けた。
「最初から恋人じゃなくて、良かっただろ?……会社でもお前に話しかけたりしねえから。お前も俺のこと、シカトしろよ、……」

 穏やかな表情のまま、ふわり、と高階の目に涙が浮かぶ。一瞬そのことに驚いたような顔をした高階は、慌てて顔を伏せた。
「……早く帰れよ。俺と話すことなんかないだろ。迷惑なんだよ」
 強気な言葉を発しているのに、高階の声は不安定に揺れていた。……涙は見えなくても、泣いているのだと知れた。

 心の奥のほうでずっと不可解に思っていたことが、はっきりと形になる。
「ねえ、……恋人って認めてくれなかったのって、俺のため?」
「……違うよ、バカ、お前なんか次のヤツ見つかるまでのツナギだよ、……お前だってそう言ってただろ」

「でも、そのあと、俺も好き、帰らないでって言ってくれた」
「そんなの、ウソに決まってんだろ。簡単に騙されてんじゃねえよ」
「ウソだ。ウソじゃなかったよ、あの時」

「ウソウソうるせえな、そんなことどっちだっていい。どうせなかったことになんだから、さっさと帰……」
「どっちだってよくない」

 声を荒らげた皆川に、高階は怯んだようだった。俯いたまま押し黙る。
 皆川はそんな高階に詰め寄った。
「……なかったことになんて、させないから。あんたは俺のこと好きって言ったし、言うこと聞くから帰らないでって言った。帰ったら泣くって、あんたは」

「……もう、やめろよ……!」
 伸びてきた高階の手に胸を押される。ほとんど力の入っていないその腕を反対に掴んで、引き寄せた。
 覗き込んだ高階は泣くのを堪えているような表情をしていた。─── 見る間にその目に涙が浮かんで転がり落ちる。

「高階、……」
「……俺ばっかりお前のこと好きで」
 ぽつぽつと小さな高階の声が続く。

「少しでも気ィ引きたくて、好き、とか、帰るな、とか、バカみてえ、……お前が女選ぶって、判ってんのに、……俺のこと、いつか、いらなくなるって、……カノジョ、出来たら、口もきいてもらえなくなるって、判って……なのに、バカみたいに好きで……こんな振り回されて、俺、バカじゃねーの、って……」

「……振り回されてるのは俺のほうだよ」
 皆川は手を振り解こうとする高階の腕を強引に掴み直した。
「俺、三時間も待ってたんだよ。あんたに会いたくて。……なのに、帰れとかって冷たくされるし、……会社でちょっと話してくれるだけで、俺がめちゃくちゃ嬉しがってんの知らないでしょ? あんたが加藤と仲良くしてんの見てイライラしたり、エリちゃんと一緒にいるの見てすごいムカついたり」

「……エリちゃん?」
 もがくのをやめた高階は、誰のことか判らないとでも言うように涙の浮かんだ目を皆川に向ける。皆川はそんな高階に苛立って顔をしかめた。
「設計部で話してた総務の子だよ。あんたを合コンに誘った、……あんたのこと狙ってるんだよ。判んないの?」

「ああ、……? そんなんじゃ」
「そんなんなんだよ! 向こう二人なのにあんたに声かけたってことは、もう一人女子増やしたんだろ? そうまでしてあんたを誘うってことは、気があるんだよ」
 
「……最初は二対二の飲み会で、ひとり増えたから俺に声かけたって言ってたけど……一緒に参加する友達のナツミって子が、……お前のこと、好きで、お前もそのこと知ってるって……知ってて飲み会来るんだって……それ聞いてアタマん中真っ白になって、……話した子のこと、忘れた……」
 ちょうど皆川が通りかかった時のことだろう。その時のことを思い出したのか、高階の腕の力が抜けていく。
 
 皆川に腕を掴まれたまま、高階はずるずるとへたりこむようにベッドに座って俯いた。
「……すぐ、お前と話したかったけど、話せなくて……加藤に、訊いたら、お前とナツミちゃんがメインだって、お前に彼女出来るといいな、って、……俺も頷いて……笑って……でも、ひょっとしたら、なんかの間違いで、お前にそんなつもりないのかも、って……でも、仕事終わるの待ってたら、女と一緒で、……やっぱ女が良かったんだって……お前を、安心させてやろうと思って、好きな……好きになった、女の子と付き合えるように……」

「……なんで怒ってくれなかったの? 俺はあんたが好きなんだよ。あんたがいいんだ。ヤキモチ、焼いてよ」
 高階の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。掴んでいた高階の腕を放した皆川は、そのままその身体を抱きしめた。


   

 →  7. へ続く
 

 
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