皆川くんの話
□ 最終話
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最終話
午後三時過ぎのコミュニティルームには休憩する社員が集まっていた。昼休憩の時よりは少ないが、もうひと頑張りとストレッチをする社員、飲料缶や紙コップ片手に談笑する社員たちで賑わっている。
自販機の前で屈んでいた加藤は、その姿勢のまま後ろを振り仰いだ。
「……はあ? なに? 行かない?」
「うん。そう。行かない」
後ろにいた皆川がそう言うと、缶コーヒーを手にして立ち上がった加藤は、ぽかんと口を開けた。
あっけに取られる加藤の顔がおかしくて、にやにやと笑みが浮かんでしまう。
「お前笑ってる場合じゃねえだろー、飲み会明日だぞ?」
「森川さんに声かけたら出たいって。営業の。知ってるよな?」
「知ってるけどよー、……あ、エリちゃんに、女子一人増えたから誰かお願いしますって言われてたんだっけ。てことは、えっと、お前抜けて森川さん、もう一人男」
「設計部で誰か連れていってよ。……高階以外な」
「え、高階?……あー、そう言えば、誘われたけどやめとくって昨日言ってた。エリちゃんも玉砕しちゃいましたーって言ってたし、……」
いつものんきそうにしている加藤の表情が曇る。耳打ちするほど小さな声で言った。
「……あいつ彼女いるかもしんないけど、飲み会誘うくらいいいだろ。ひと足んないからどうしてもって言えば出るかも」
「ぜったいダメ」
思わず大きな声が出てしまった。加藤が驚いて引いているのが判る。
皆川は妙な空気になったその場をごまかそうと先を続けた。
「……って、彼女に言われてるって。高階が言ってた」
加藤は、はあ、と気が抜けたような返事をして、缶コーヒーのプルトップを引く。
「ふーん、彼女がね……あれ、お前ら、いつ仲直りしたの?」
「……きのうね、ちょっと」
嘘は吐いていない。昨日、ケンカをして仲直りした。皆川にとっては思いがけなく高階公認の恋人に昇格出来たことで、すっかり気持ちが舞い上がっている。
いつもは皆川よりも早く起きる高階を、今朝は皆川が起こし、ぼんやりとしているのをなんとか身支度させた。ふらふらと電車に乗り込む高階が心配で、一緒に乗り込んでも文句も言わない。
これは本当に自分のものになってくれたのだ、と気持ちが高まって、隣で吊革につかまる高階を横目に見ながら、飲み会はキャンセルしよう、とその場で決めた。また、高階の誤解を招くような真似はしたくない。
もちろん高階も合コンに参加させたりはしない。加藤に訝しがられても断固阻止するつもりだった。
「そういうわけだから、高階は今後一切、合コンに誘わないように」
「今後一切って……まあメンバーはいいよ、いくらだって出たいヤツいるんだからさー、……それよりお前、どうすんだよ」
「どうって?」
「ナツミちゃんだよー」
明るく調子のいい加藤だが、こと恋愛に関しては案外真面目で本命のメールアドレスもなかなか訊けないような節がある。今回もナツミちゃんの気持ちを知っているだけに、皆川が飲み会に出ないことで彼女を傷付けることにならないか、と思っているようだった。
気がかりそうな顔をする加藤に皆川は軽く笑みを向けた。
「さっき、昼休みの時、話してきた。行けないって」
「ええ?……それで、なんて?」
「好きなひとがいて、誤解されたくないから、って言ったら、そうですか、って」
「そうですか、って……」
あきれたように言って加藤は、肘で皆川の脇腹を突いてくる。
「……泣かせちゃったんじゃないのー?」
「まさか。泣いたりしてなかったよ」
「飲み会断る口実にしてもさー、好きなひとがいるってさあ」
「口実じゃないよ」
本当に口実ではなかったので、つい強い口調で否定してしまった。そんな皆川に加藤は首を傾げる。
「……え、ナツミちゃんがタイプじゃなかったから、飲み会行かないんじゃないの? 誰だよ、好きなひとって」
「……んん?」
「んん、じゃねえよ。……判った、社内にいるな?」
その鋭い問いに答えずに、皆川は営業先でよく見せる柔和な笑みを浮かべた。
加藤は面白くなさそうな顔で、皆川に聞こえるようにひとりごとを言い始める。
「お前がそうやって笑う時は絶対ほんとのこと言わないもんなあ……。いいなあ、社内恋愛か……まいんち職場で会えるのも、いいよな〜」
「……ま、それは置いといて、誰かもう一人メンバー探さないと」
追及の矛先を逸らそうと、話を飲み会に戻した。
「安西さんとかは? 木原さんと付き合ってるんだっけ?」
「あの二人に限ってそれはないだろー」
加藤が自分の顔の前で、ないないと手を横に振ったちょうどその時、高階がコミュニティルームに入って来た。
きょろきょろと辺りを見回して誰かを捜している様子が見える。皆川の視線に気付いて、驚いたのか、足が止まった。
加藤は手を上げて高階に合図する。
「高階ー、どうした?」
「……例のレストランの案件、部長が今日中に書類提出しろって」
近付いて来た高階は、ちらちらと皆川を気にしながら加藤に話し出す。皆川はそんな恋人の横顔をじっと見つめた。
加藤ののんびりした声が響く。
「あー、あれかー。細かい数値って俺んとこ?」
「ああ。耐荷重のグラフも頼むな」
「判った。……なあ、皆川の社内恋愛の相手、ダレか知ってる?」
まだ社内恋愛と認めたわけではないが、もう決定事項らしい。確かに間違いではない加藤の勘に皆川は苦笑した。
「さあ、……知らねー」
もごもごとした声に目を向けると高階が不機嫌そうな顔をしている。さらにつっけんどんな口調が続いた。
「おおかた、今度の合コンの相手なんじゃねーの」
なんだか様子がおかしい。人前で高階から他人行儀に振る舞われることには慣れていたが、それにしてもあからさま過ぎる。ケンカ腰と言ってもいいくらいの高階の態度に、皆川は不安を覚えた。
そんな空気に敏感でない加藤が皆川に目を向けてのんきそうに言った。
「いや、行かないんだってさー、こいつ」
「それもう断ったから!」
声が被り、皆川の必死さに驚いたらしい加藤がまじまじと視線を向けてくる。
そんなことにかまっていられず、皆川は高階に向かって言い募った。
「……断ったから、飲み会。行かないよ。……誤解されるのイヤだから」
「……ふーん。あ、そう。社内恋愛の相手に言えば? そういうことは。……じゃ、加藤、よろしくな」
「ういッス」
「待ってよ、高階、……」
コミュニティルームを出て行く高階を追いかける。加藤の表情を見る余裕はなかったが、もしかしたら変に思われていたかもしれない。
そんなことはもうどうでもよかった。高階がまだ、自分がナツミちゃんに気があると誤解しているのかもしれない、と考えることのほうが怖い。
「高階!」
「うっせ、アタマに響く。デカい声出すな」
「え?」
「……二日酔いなんだよ。朝よりは良くなったけどな」
こめかみに片手を当てる高階を人けのない廊下の隅に引き込む。
顔を歪めている高階を覗きこんだ。
「二日酔い? 二日酔いって……そんな飲んだの?」
「うん、まあ、……飲んじゃったな」
もしかして、昨日、高階がやたらと素直だったのは酒のせいなのではないか。それを裏付けるように朝も信じられないくらい従順だった。
そういえばいくら加藤の前とはいえあんなに無愛想な態度を取るのはおかしい。皆川は恐る恐る訊いた。
「……昨日のこと、覚えてる?」
俯いた高階は、ぼそぼそと言う。
「んん、……アレだ、ほら、多少泣いたりしたかもしれないが、気にしなくていい。もうあんま話しかけんな」
「なにそれ。……どういうこと」
「だから、……俺のこと気にすんな、ってこと。昨日はちょっとかなりキてたから、泣きわめいたりして、お前となんかあったかもしんないけど、忘れろ」
「なに言ってんの? なに言ってんの? 忘れろとかないからね!?」
「なに怒ってんだよ。……合コン行って、彼女作れよ。俺のことなかったことにしてさ」
忘れている。ほとんど全部を忘れている。そのことに気付いて皆川はぼう然とした。
どうやら高階の口調では、好きな女性が出来た皆川に自分が泣いてすがった、とでも思っているらしい。
そんな素直だったらこんな苦労しない、と皆川は高階に詰め寄った。
「覚えてないの? 俺のこと好きって、恋人にするって言ってくれたんだよ?」
「……バカ、お前、職場でなに言ってんだ。そんなこと、……言ったかもしんないけど、ナシだ」
「ナシって……朝、朝だって、一緒に電車乗って出社しただろ?」
「ああ、ぼーっとしてた。悪りィ。営業のお前のほうがバレて困んだから、気を付けろよ。……もうないけどな」
ぶっきらぼうに言った高階の目のふちが微かに赤く染まっている。今すぐ抱きしめたくなって、それを我慢するために皆川は両手をぎゅっと握りしめた。
高階は気圧されたように目を逸らす。
「……目ェ、怖いんだけど。なんでそんなに怒ってんだよ……?」
「高階のせいだよ」
「お、俺だけのせいじゃねーだろ。お前が、家の前で待ってたりするから、……泊まったりするようなことになったんだろ」
「泊まって一緒に出社したこと怒ってるんじゃないよ!」
「バカ、声がデカいっ」
高階の手に唇を塞がれる。そうしながら、焦った高階はきょろきょろと辺りを見回した。
……この、人目は気にするくせに、彼氏の気持ちには無頓着な恋人を苛めてやりたい。
皆川は自分の唇を塞いでいる高階の手を取った。手首を掴んで、強引に引き寄せる。
「……今日も家行っていい?」
「いいわけないだろ。……放せよ、誰かに見られる」
「断るなら大声出すよ。俺と付き合ってるって言いふらしてやる」
「言いふら……お前、どうしたんだよ。俺、昨日、そんなにお前を怒らせるようなことしたのか……?」
「したよ。あんなことしといて覚えてないとかありえない」
腕の中で甘く蕩ける昨夜の高階を反芻する。目の前のこの人はそれと同一人物にも関わらず、まるで皆川が夢でも見たような、戸惑った顔をしている。
その表情のまま、小さく謝った。
「……ごめんな。なんか、覚えてなくて」
「……覚えてないんなら、思い出させていい? ぜんぶ」
「え?」
「帰り、迎えに行くから。逃げたらまた部屋の前で待ってるからね」
上目遣いを向けてくる高階の顔に朱が差す。嫌がられるか、と思ったけれど、高階はこくりと頷いた。
「なんか判んねーけど、……逃げたりしねーよ」
きっと高階は怒られると思っているに違いない。つけこむ絶好のチャンスだ。また、恋人と認めさせて今度こそ絶対に忘れさせない。
やっぱり振り回されているのは自分のほうだ、と考えながら、皆川は、仕事を定時で片付けようと心に誓った。
end.
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