オリジナル小説

□春の便り
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私の一日は、まだ夜も明けきらぬうちから始まる。
 街灯もない暗い道を自転車で走り抜ける。辺りは一面田んぼで、アスファルトで舗装された道路が異質に見えるほど近代的な建物がない田舎だ。
 三月のまだ冷たい風が耳に当たって痛いけれど、私はそれに負けないようにペダルをこぐ足に力をいれた。
 辿り着いた先は、昔ながらの商店街。入口には小学校とバス停があって、そこから真っ直ぐに色々な店が立ち並んでいる。
 当然シャッターは全部下りていて、何処も開いていない。私はまだ誰もいない通りの真ん中を自転車で走る。左右に今日の朝刊を投げていく動作は手慣れたもので、ビニールに包まれたそれらは、折れ曲がることもなく綺麗に郵便受けに収まっていく。
 そうして、角の靴屋に朝刊を配ったところで、一旦自転車を止めた。
 

 私の配達担当場所は、あと一軒だけ。胸に手を当てて大きく一回深呼吸。それから、徐にウエストポーチから一枚のしおりを取り出して、前籠に残った最後の新聞とビニール袋の間に入れた。
「よしっ!」
 拳を握って決意を固める。ペダルに再び足を乗せて、力いっぱいこぎ出した。
 見えてきたのは生垣に囲まれた古い日本家屋。商店街から少し離れた場所にぽつんとあるその家は見ているだけで、なんだか時代劇の世界に入ったような気持ちにさせられる。
 だんだん家が近づいてきた。スピードを落とすと、いつも通り人の声が聞こえてくる。
「……百二十七、百二十八、百二十九、百三十!」
 生垣の隙間から見えるのはジャージ姿の少年。すっと背筋を伸ばして、竹刀の素振りをしている。
 毎日毎日、欠かすことなく、一生懸命に彼は素振りを続けている。私がアルバイトを始めた日から、ずっと変わらない真剣な横顔。早朝の風で冷え切ったはずの頬が、熱くなった。
 私は更にスピードを落とし、ゆっくりと『尾花』と書かれた表札の前を通り過ぎる。郵便受けに朝刊を入れて、私は家に向かって声をかけた。なるべくいつもと同じように。

「おはよーございまーす!」
 すると、すぐに竹刀が空を切る音が止んで、少年の数える数字もそこで止まる。
「ご苦労さまーっす!」
 体育会系らしい元気な挨拶が返ってくる。
(今日も、返事してくれた)
 口元が緩むのが自分でも分かった。でも嬉しいし、誰も見てなんかいないから、私は上機嫌のまま自転車のスピードを上げる。早起きは辛いし、薄暗い道は怖い。けれど帰る時にはそんなこと、全然気にならなくなる。
「……今日も頑張ろっ!」
 一人呟いて、私は朝日の光の中、学校に遅刻しないように猛ダッシュするのだった。
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