PSB練習生時代
□その声に惹かれて
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「チヒロオンニッ!!」
「あそこのダンス教えて下さい!難しくて…」
「よぉ、おはようチヒロ!」
「お前はいつも元気だよなぁ〜」
私の生活は、昔と一変していた。
二年かけてやっと自身の実力を周りに認められ始め、また良い先輩や後輩に恵まれたために、彼女に張られていた「嫌な奴」のレッテルも徐々に剥がれつつあった。
今では練習室に通う足取りは軽く、毎日つらくきついレッスンがあるのは変わらないけれど、一人で過ごす時間は減ったし、自分でも自覚が出るほどに、よく笑うようにもなったとも思う。
空虚で虚しかった私の時間が今では嘘のように活気に満ちている。
朝のダンスレッスンが終わり、後輩達の自主練習に付き合ってから、一階の休憩所にある自販機に向かう。
いつもはアパートから水筒にお茶を持って出てくるのだけれど、今日は珍しく寝坊をしてしまって、慌てて家を出てきたから忘れてしまった。
さすがに踊り終わってから給水できないのは耐えられそうにもなく、首にかけたタオルで額から流れる汗を拭いながら廊下を歩いていた時だ。
ドンッ
「うわ」
「っご、ごめんなさい!」
曲がり角で人とぶつかってしまった。
慌てて謝り視線を上げれば、そこにはなんとも可愛らしい顔をした男の子。
「ごめんね?怪我…とか、してない?」
おろおろと心配そうに私を見降ろす彼に、私は大丈夫ですと答える。
すると彼はほっとしたように胸を撫で下ろし、「なら良かった」と微笑んだ。
今までに見たことがない子で、私は名前を聞こうか迷ったのだけれど、やめておく。突然そんなことを聞いて、驚かれても困るし、私達はただ偶然にぶつかっただけだ。
「本当にごめんなさい」
「ううん。大丈夫、僕も悪かったから。…じゃ、僕練習あるから」
「はい!さようならっ」
「バイバイ」
ひらひらと手を振られて、私も吊られてひらひらと手を振り返す。と、彼はまた子供のような微笑みを残して、走って行った。
「――私も、自販機、」
急がなくては、午後のボイスレッスンが始まってしまう。
彼の背中を見送っていた私だったが、はっと我に返って、足早に自販機の元へと向かったのだった。
*
練習生になってから、何度もボイスレッスンは受けて来たけれど、こうまで胸が震えたのは、初めてだった。
今日は課題曲を同じレッスンを受けている生徒達の前で披露する日。
僕の出番は最初の方で、レッスンが始まった時がピークだった緊張感も、やっと和らいできていた頃のこと、
他の生徒達と同じ課題曲、「アメージンググレース」の前奏が流れ始めた。
もうざっと六人ほどのアメージンググレースを聞いてきたから、流石に眠たくなってきていたけれど、必死に寝ないように努めていた。
だけど、彼女の歌声を聞いて―――一気に現に引き戻されたんだ。
僕の周りの生徒たちも、はっとしたように彼女へと視線を向ける。
「――――チヒロ、さんっていうんだ」
僕の胸の辺りが熱く脈を打ち始めた。
なんでだろう、なんでこんなにも、切なくなるんだろう。
彼女の声が高温へと伸び上がり、また落ち着いた低温を響かせるたびに、僕の心臓が敏感に反応を示す。
酷く激しく、熱く、暖かく、優しく――――
レッスンが終わり、皆が足早に教室を出て行く中、ゆったりと帰り支度を始めたチヒロさんに、僕は思い切って声をかけてみることにした。
「…チヒロ、さんだよね?」
彼女は驚いたように顔を上げて僕を見た。
変な風に思われちゃったかな?と、不安が胸を過ったが、怪訝そうな顔がぱっと明るく輝いたのに、思わず目を丸くする。
「リョウクさん!」
「あれ…?」
なんで僕の名前を知ってるんだろう?
驚いて固まっていると、彼女は少し照れたように首の後ろに手を当てながら首を傾げた。
「リョウクさんで、あってますか?」
「うっ、うんあってるよ!でもなんで名前…」
「リョウクさんの声、すっごく綺麗で…感動したから気になって、教えてもらいました」
うわぁ…じゃあこれって、お互いに、お互いの歌に惹かれたってこと?
――それってすっごく、嬉しいかもしれない。
「僕もその、チヒロさんの声に感動して…すごかったって言いたくて!その…声をかけたんだけど…、」
「本当ですか?…うわぁ――それ、すごく嬉しいです!」
ありがとうございます!と深々頭を下げられて、僕は慌てた。
「敬語は使わなくていいよ!年も変わらないんだし、普通に話そう?」
「…っうん」
こくりと頷いたチヒロさん。いや、チヒロかな?
握手を求めれば嬉しそうに繋がれて、
「また歌、聞かせてね」
照れたように微笑んだチヒロは、まるで花が開いたかのように可愛かった。
その声が
(なんだろう…この子とは、)
rw(長い付き合いになりそう)