PSBU
□絡まる糸
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「…ちょっとチヒロ、」
「…」
「チヒロ!」
「!?なっ、何っ?」
案の定、チヒロは実家を目の前にして緊張していた。
自分の時とは少し違って、チヒロはホテルを出た辺りからすでに緊張しているようで、今もあたふたしている。
「…大丈夫?」
「あー、うん。ちょっと待って、…気持ちのじゅ、」
ピンポーン
「って、えぇぇええ!?」
##NAME1##の言葉を無視して、仕返しの意を込めてインターホンを押したら、前の俺と全く同じ反応をしたので思わずしてやったりと口角が上がった。
それにチヒロが「どうするのっ?どうしたらいいの!?」なんて言いながらパニックを起こしている様子を、デジャブだなぁなんて思いながら呑気に眺めていたら、インターホンから懐かしいオモニの声が聞こえて来た。
「どちら様?」
「オモニ、ただいま」
そう言うと、「まぁおかりなさい、今行くわ」とオモニが玄関から出てきて、門を開けてくれる。
「あらまぁおかえりなさいギュヒョン。それに、チヒロさんも、わざわざ訪ねてきてくれて、ありがとうございます」
丁寧にチヒロにオンマが頭を下げると、チヒロは「こちらこそ…」と、さっきの慌てようとは打って変わって、落ち着いた様子でオモニに頭を下げた。
流石、切り替えが早い。けど、やっぱり浮かべた笑顔は少し固い。
「ギュヒョンさんとお付き合いをさせていただいている、林 千仭と申します。お母様、以前から一度、お会いできたらと思っておりました…本日はお招きいただいて、心から嬉しく思います。ありがとうございます…!」
最初の挨拶も、非の打ちどころもなく完璧にこなして、オモニは嬉しそうに笑って俺を見た。
「礼儀正しい方ね。ふふ、どうぞ、ギュヒョンもチヒロさんも上がって」
「は、はい!」
オモニが家へと上がるように言ってくれて、チヒロは思い切り緊張した面持ちのまま家へと上がる。少しでも気負いがなくなるように、俺が先に玄関に入ってやると、後ろから小さな溜息が聞こえた。チヒロの前に立っているだけなのに、その緊張が自分の背中にまで伝わってくる感じがした。
それに苦笑していると、家のリビングから、アボジとヌナがやってくる。
チヒロが一番会うのに緊張しているのはアボジだったから、チヒロは慌てて荷物を邪魔にならない端のかまちに置いて、俺の隣に立って姿勢を正した。
「おかえり、ギュヒョン。久しぶりね?」
「久しぶり、ヌナ」
ヌナと挨拶を交わすと、ヌナはチヒロの顔を見て、表情を和らげる。
チヒロのことを気遣ってくれているのだろう。こういう中で、ヌナみたいな存在はチヒロにも救いになると思う。
「チヒロさんも、いつもテレビで見てます。会えてうれしいです」
「い、いぇっ…こちらこそ、お会いできて光栄です!」
「本当に、テレビで見るよりも可愛い人ね」
「ぁ…いぇ、アラさんには敵いません」
ヌナに褒められて、チヒロはもうたじたじだ。
緊張に照れが混じり始めたのか、顔も少し火照っている。
それから、
「ご苦労だったな、ギュヒョン」
「全然。アボジも、元気だった?」
「ああ。…」
アボジは俺に声をかけた後、静かに隣に立っているチヒロを見た。
もう少し愛想よくしてほしかったけど、こういう性質の人だから仕方がない。
「初めてお目に掛かります、林 チヒロと申します。お父様」
「話しは聞いてるよ。忙しい中、すまなかったね。上がりなさい」
「っはい!」
それから玄関を上がって、リビングに入ると、ソファーに座るように言われて、俺たち家族と、そしてチヒロが集まった。
いつも旧正月に帰った時とはまったく違う空気が、家のリビングを支配している。
オモニが「お茶を淹れてきます」と言ったのに、チヒロは慌ててソファーから立ち上がると、「お構いなく!」と言うのに、オモニは「いいのよ、座ってなさい」と微笑んで、チヒロは「す、すみません」と言って再びソファーに座り直す。
そんなチヒロを、ヌナはにまにまと笑いながらじっと見つめて言った。
「チヒロさん、私…チヒロさんの歌、すっごく好きなの」
「ぇ…」
「ソロで活動を始めてから出した曲、『Sky Train』って曲。私良く聞いてるの。ギュヒョンに韓国で買ったもの、アメリカに送ってもらって…その他にもOSTとかたくさん歌ってるっていうからいろいろ聞いてみたけど、どれも素敵」
「っそんな、過分の賛辞をいただきまして、恐れ入りますっ!」
緊張と照れと嬉しさでショート寸前か、チヒロがガチガチな返答をして、土下座をするような勢いで深々と頭を下げたのに、思わず噴き出してしまった。
「…っぶ」
「…っチヒロさん、…すっごく面白い人ね」
それがおかしかったのはヌナも同じようで、必死で笑いを噛みしめながらそう言うのに、チヒロは何かおかしなことを言ってしまったのだろうかと、きょとんとして顔を上げて俺を見た。
こんなに動揺しているチヒロなんて初めて見たし、いつも余裕で冷静だから――なんだか新鮮。
と、オモニがお盆にお茶を人数分乗せて運んできてくれた。
それにチヒロは、「ありがとうございます。頂きます」と頭を下げてお茶を受け取る。
そうして、オモニがアボジの隣に腰を下ろして座ると、俺は改めてチヒロを紹介する。
「みんな、この人がチヒロさん。今俺と付き合ってる人。…知ってると思うけど、元々同じSJのメンバーで、今は事務所にちゃんと許可貰って、メンバーにも公認で交際してるんだ」
「改めましてチヒロと申します。本日はお会いできて、光栄に思います」
そうチヒロが頭を下げると、ヌナとオモニが笑顔をたたえながら「これからよろしくお願いします」と答える。だけどそんな中、ずっと腕を組んだまま座っていたアボジが、俺たちをリビングに上げて初めてチヒロを見て口を開いた。
「チヒロさん」
「は、はい!」
「君は、ギュヒョンと一生添い遂げるつもりで付き合ってるのか」
その言葉には、チヒロだけではなく俺も、ぴしりと固まった。
「ちょ、お父さん!いきなりそれは…二人ともびっくりしてるじゃない!」
「そうよ、今日は挨拶に来ただけなんだから…」
ヌナとオモニが慌てた様子でアボジに言う言葉は全くその通りで、予想しなかった言葉に、チヒロは言葉を失っている。それに俺も慌ててアボジに「紹介しにきただけだから」と言おうと口を開いたけど、
「お前たちは黙ってなさい。私はチヒロさんに聞いてるんだ」
とのアボジの言葉に、結局言葉が出ない。
「チヒロさん、答えてくれ。…君は一瞬の気持ちの高ぶりで、ギュヒョンと付き合おうと決めたのか?」
その言葉に、チヒロは一度大きく瞬きをすると、ふうと大きく息を吐いてソファーから立ちあがった。
それから、チヒロはアボジ、そしてオモニの座っているソファーの前に正座をすると、床に手を置いて頭を下げる。
「お父様、お母様…そしてアラさん。私はこれまで、ギュヒョンさんに何度も、助けられてきました。…それは、父を…失くした時だったり、事故にあった時だったり――もう、数え切れないほどで――。
その恩を、私は彼に…自分の一生をかけて返したいんです。…そして、なによりも私は、…私はっ、ギュヒョンさんのことを、愛してるんです」
「――チヒロ、」
思わず、チヒロの名前が唇から零れる。
チヒロの誠実な、嘘偽りのないものだと揺るがない言葉で紡いでくれた思いに、胸の奥底が震えた。
「ご存じの通り、私は中国出身で、ギュヒョンさんとは国柄も違います…なによりも私は、親不孝者で…――きっと、ギュヒョンさんは、私には勿体ない人だと思うんです。
でも、
彼を、幸せにする自信は、あります」
チヒロに、大切にされていることは分かっていた。
でもこうやって言葉で聞くと、どうしようもなく嬉しくて至福な気持ちになる。
そんな中不意にアボジが声を上げて笑った。
それにチヒロは驚いた様子でアボジを見上げる。
「いやいやっ、すまない。まるでギュヒョンの方が嫁に行くようだなと思ってしまってねっ…はは!」
「チヒロさんは本当に誠実なのね。それに本当に韓国語が御上手なこと……」
「あ、あの…?」
「チヒロさん、どうぞ座って。貴方のお気持ちはよく分かりました」
「あ、アボジ?」
急にさっきの厳しい雰囲気とは打って変わったアボジに、俺とチヒロは困惑。
でも、次に告げられた言葉に、ほっと安堵した。
「ギュヒョン。こんなに素晴らしい人にはなかなか出会えるもんじゃない。…大切にするんだぞ」
「…っ、アボジ」
「チヒロさん」
「は、はい」
チヒロが名前を呼ばれて慌ててアボジに向き直る。
「ギュヒョンと君が交通事故にあった時、病院で貴方のおばあ様とおじい様と話しをしたことがあるんだ。とてもお優しい人達だった。…自分の孫も命の危険にさらされているのに、私達のことをはげましてくれてね……あの時は、本当に助けられたよ」
「…そうだったんですか――」
「私達のことは、本当の父や母のように、思ってくれて構わない。代わりにはなれないかもしれないけれど、私達はチヒロさんのことを、実の娘だと思うから…」
「そんな…」
オモニの言葉に、チヒロは一度顔を俯けた。
それから小さく鼻を啜る音が聞こえて、チヒロは懸命に服の裾で目元を拭った後、
「っ、すごく嬉しいです…!ありがとうございます」
と、顔を上げて、
心底嬉しそうに微笑んだ。
家族になろうよ
(私もチヒロさんのこと、実の妹のように思うわ)
(…はい!)
(だからオンニって呼んでね?)
(オンニ…オンニ!)
(ッ可愛いぃ〜!)
(ヌナ、チヒロから離れて)