PSBU
□記憶の場所
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おっぱ…、
そう、耳なじんだ声が遠くから聞こえて、重たい瞼を押し上げたら、そこにはチヒロが居た。
俺の顔を心配そうに覗きこんで、目を覚ました俺の額に、そっと掌を当てる。その手はひんやりと冷たくて、心が温かい人の手は、冷たいのだという言葉は、強ち嘘でもないんだなぁ…なんて、ぼんやりとした頭の中で思った。
「熱は少し下がったみたいですね…、まだ辛いですか?何か飲み物は――あ、水、水持ってきます!」
「平気だよ」
いつのまにか病院から宿所のベットに移っていて、チヒロが飲み物を持ってこようとベットの傍から立ち上がるのを、細い手首を掴んで引きとめたら、チヒロは少し驚いた顔をしてこちらを振り返って見下ろした。
鉛のように重い身体を、ベットから起こす。
「それよりも、…ごめん。折角のレコーディング、駄目にして――」
本当に、申し訳ないことをしてしまった。
折角OPPA OPPAの日本語バージョンをレコーディングする予定だったのに、体調を崩した自分のせいで先延ばしにしてしまった。
チヒロもヒョクチェもこの日のために日本語を勉強して頑張ってたのに…本当に心から申し訳なくて、顔を合わせられず俯いてしまう。
そんな俺の肩を、チヒロはぽんと優しく叩いて再びベットの傍に屈むと、相変わらず柔らかな微笑みを浮かべながら、ゆっくりとした口調で話す。
「元気になってから、万全の状態でレコーディングしましょう。謝らないでください。それに、私こそ……おっぱが具合悪いのに気づかなくて…ごめんなさい」
「っチヒロが謝る必要なんてないよ、言わなきゃ分かんないって」
そう言って、申し訳なさそうな顔をしているチヒロに笑いかける。
でも、チヒロは尚更表情を固くした。
「でも、おっぱは……言わなくても分かってくれるのに」
そんな拗ねているような、悔しそうなその言葉に、思わず笑ってしまう。
それに眉間にしわを寄せて首を傾げるチヒロの頭をわしわしと撫でる。
こういうところ、チヒロは昔から、変わらないよな。
チヒロの優しさは、どうしようもなく俺の胸を穿つんだ。
声も、言葉も、表情も、目も……すべてを含めて、チヒロは真っ直ぐな気持ちで、いつも嘘偽りのない言葉をくれているんだって分かるから。
「……夢、見てたんだ」
「夢、ですか?」
急な話の切り出しに、チヒロは小首を傾げた。
「うん。もぅ、ずっと前の……俺がまだ練習生の頃の夢だった」
そう言うと、チヒロは「へぇ…」と興味深そうな顔をして、じっと俺を見つめる。
「あの頃は辛いこともたくさんあったけど、楽しかった。ユンホやヒョクチェがいて、……チヒロが居てさ」
「そうですね……、楽しかったなぁ」
「覚えてる?三人でノウォン行ったときのこと」
問いかけると、チヒロはぱっと笑顔を浮かべ、懐かしそうに俺の部屋の天井を見上げながら話す。
「もちろんです。ホテルの温泉に入ったり、お祭りで歌を歌ったり……なによりも、水落山に上ったときに見た景色は、今でも忘れられません。……また行きたいですね」
俺も良く覚えてる。
三人でいろんな所歩き回って、山も登って写真も撮って…、
あの時は本当に楽しかったから、あの時の記憶がチヒロの中にも鮮明に残っていることが、なんだか、単純だけど嬉しかった。
だから、ふと俺は思い出して、ベットの傍に置いてあった携帯を手に取った。
「ほら………これ見て!その時の写真、まだ残しておいてるんだ」
「うわ、本当だ!…懐かしいですねぇ、」
チヒロを真ん中にして、右に俺、左にヒョクチェが写ってる。まだまだ幼い三人の姿に、自然と笑みがこぼれてくる。
あらためてこの写真を見ると、いろんなことを思う…
あの頃は子供だったな、とか…がむしゃらに前だけ見て突っ走ってた不安とか。
「―――チヒロは、大人になったよね?」
「え?」
「俺は……俺は少しは大人になれてるのかな?」
写真の中に居る俺たちは相変わらず子供。
でも、今目の前にいるチヒロは、もう立派な女性だ。
そんなチヒロは、俺の小さな呟きに、うーんと俺の顔を見つめた後、くすりと笑った。
「おっぱはあまり変わりませんね」
「えー」
なんかちょっと、ショック。
そう思ってふてくされて頬を膨らませたら、チヒロは「良い意味でですよ」と生真面目な顔をしてそう言った。
「おっぱはそのままでいいんです。変わる必要なんてないですよ…。素直で、優しくて……泣き虫な『ドンへ先輩』のままでいいんです」
ドンヘ先輩。
懐かしい響きだな。
いつの間にか、俺はチヒロにおっぱと呼ばれることに慣れていたみたいだ。
「早く、元気になってください…」
チヒロはそう言って、俺の頭を数回撫でて微笑んだ。
冷たかったはずの手が、今は暖かいと感じる。
じんわりと胸の中に安らぎが広がって、少しずつまた、瞼が重くなる。
それにチヒロが気づいて、俺を再びベットに寝かせると、布団を掛け直してくれた。
「おやすみなさい」
「うん。…お休み」
君がそばに居てくれるならーー
(気持ちが届かなくても、幸せだと思える)