孤独な狼
□其処には居ないよ
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あー、やっぱり此処にいた。
昔から聞き慣れた声に、私は声の主へと視線はよこさず、相変わらず青い空を、屋上の貯水室に仰向けに寝そべりな眺めていた目を閉じた。
「…また、説教しに来たの…?」
おかしな奴だと思う。
確かに小学校からずっと同じ学校で、仲も良かった方かもしれないけれど…こうまで昔と変わった私に構う理由なんて、ないはずなのに。
女友達なんて遠の昔になくした。
今ではもう離れていく人も居なければ、近寄ってくる人もいないって言うのに、ギュヒョンも…そして同じくギュヒョンの友人のリョウクも――、昔と変わらず私の傍に居ようとする。
「なに?説教されたいわけ?」
梯子を上って、ゆっくりと傍へと近寄ってくる足音と、私の傍に彼が座る気配に目を開けると、寝そべる私の隣に胡座を掻いて座ったギュヒョンが、脇に挟んでいたファイルから見覚えのあるプリントを取り出して私に差し出す。
「ほら、今日の小テスト。…相変わらず、生活態度と学力が比例しないよな、お前」
そのテストを受け取った私は、寝そべったまま、赤いペンで右上に書かれた48の数字にため息を吐く。
「100点満点なら納得するけど」
からかうような口調で笑って、購買で買ってきたであろうパンの袋を開けるギュヒョンを横目に見る。
「…そういうあんたは何点?」
「ん?満点」
「……食えない奴」
どや顔と共に返ってきた即答に、予想はしていたことだったけれど、思わず眉間に皺が寄る。
満点には二点及ばなかったテストを、私が体の横に放り投げれば、風と一緒にふわりと舞い上がって飛んでいくのを見て、
「あー、もったいない」
と、思ってもいないような言葉に、私は声を出さずに笑って身体を起こすと、もぐもぐとパンを頬張るギュヒョンを見る。
「で、なんでまた此処に来たの。昼ご飯なら教室で食べろって何度言ったら」
「なんでハルに指図されなきゃいけないんだよ。食べる場所なんて俺の勝手でしょ?…ほら、」
「……」
言葉を遮る啖呵と、差し出された購買のサンドイッチに、思わず喉をひきつらせた私を試すように、ギュヒョンは首を傾げてそれを左右に揺らす。
「いらない?」
「……いる」
間をおいてそれを受け取った私に、ギュヒョンはおかしそうに笑って私の頭を撫で回すから、身を引いてやめろと睨むけれど軽くスルーされる。
私は乱れた髪をそそくさと直してサンドウィッチの包装を開けた――その刹那、
「ハルーーーーっ!!!!!」
「!?」
突如聞こえてきた盛大に私を呼ぶ声に驚いて肩を竦める。現れたのは梯子を上っている最中で、顔だけ出しているリョウク。…って、それよりも、サンドウィッチがさっきの弾みで地面に落として無残に転がってしまったじゃないか…
「リョウク、一体どうした「どうしたもこうしたもないよ!!」
リョウクは大層ご立腹の様子で、梯子を登りきると、ずかずかと荒い足取りで私の元にやってきて、散乱していたサンドウィッチを拾おうとした私の両肩にがっと掴みかかり、そばに居たギュヒョンが息を呑んだ。
「リョウク!なんでそんなに怒って、」
「それはハルに聞いてよ!」
そう言って私を近距離で睨みつけてくるリョウクの勢いに、私はいつのまにか万歳の姿勢になったまま、リョウクのその澄んだ瞳を見ていられなくなって視線逸らす。
「……リョウク、どうしてくれるの。ほら、大事な私の食料が「んなことより他に言うことあるでしょ!!」……リョウク」
リョウクが怒っている理由はなんとなく心当たりはある。多分、今朝のことが原因だ。
「まぁた喧嘩したんでしょ!?しかも合唱部の部室近くでたむろしてた生徒達と!」
その通りなので弁解の余地もない私は、助けを求めようと視線をギュヒョンに向けたけど、彼は肩を竦めるだけで知らん顔をするのに内心で「白状者」と毒ずくも、「僕の顔見て話を聞け!」と怒られて、私は再びリョウクの顔を見ざる負えなくなる。
「リョウク……あのさ、」
「僕のせいだろ…」
なんとかして怒り心頭のリョウクを諫めようと口を開いた私は、急に声色が変わったリョウクに固まる。
リョウクは顔を俯けて、ずるずると力無く私の肩を掴んでいた手を膝の上に落とすと、ぎゅっと拳を握りしめて、震えた声で言葉を零す。
「僕が、部活中にあいつらが煩くて邪魔なんだって話をしたからっ、……ハルが追い払ってくれたんでしょ?」
ポタポタと、乾いたコンクリートの上に、雫が落ちる音がして視線落とせば、地面に黒い染みが広がっていくのが見えた。
「………、」
慰めようと震える肩に手を伸ばす、
「ハルが喧嘩するの、僕は止められないよ。分かってる、…俺が何言ったってハルの心には響かないって……でも、でもさっ」
リョウクは制服の裾で涙を拭うと、顔を上げて言った。
「ハルが喧嘩する理由を、作りたくなかったよっ…」
それに、私はなんと返せばいいのかわからなくなって、伸ばした手を握りしめて、戻す。
「ハル、お願いだからもうやめて
よっ」
「……やめてって言われて、簡単にやめられるものじゃないんだよ」
つくづく酷い人間だと思う。こんなに自分のことを思ってくれる友達のことを何度も傷つけて泣かせて、それでも私は自分の黒く歪んだ欲求から逃れられることはできないんだって、…諦めてる。
「っハル!」
「っあーもぅ分かったから!……分かったから、もぅ泣かないで…ごめん」
「っほんとに分かってくれた?」
「ん」
「っよかった」
やっとほっとして胸をなで下ろして落ち着いたリョウクに、ひとまず安堵すると、校内放送が聞こえてきた。
それはリョウクを職員室に呼ぶもので、生徒会にも入って合唱部にも入部しているリョウクはいつも忙しそうにしている。
リョウクが職員室へと戻っていくのを見送って、嵐が去った後の静けさに、私が溜め息を吐いて脱力するのを見て、ずっとリョウクとのやり取りを仲裁もせずただ傍観していたギュヒョンが、ペットボトルの水を一口飲んで蓋を締めながら溜め息混じりに口を開いた。
「……あんなこと言って、守れんの?」
「……あんな顔して泣かれて詰め寄られたら、どうしようもないじゃん」
「じゃあなに?結局口だけ?……それ、逆にまたリョウク泣かせることになるって分かってる?」
「…守る努力はするから…」
「……ほんと馬鹿な奴」
もっともなギュヒョンの言葉に、逃げる言葉は私には思いつかなくて…。
…守れる自信がないのに、約束なんて交わした私を「馬鹿」と言ってるなら、その通りだ。
だけど、それは私だけじゃない。
「それはこっちの台詞だよ。なんで私なんかに構うの……なんの得もしやしないっていうのに…むしろ、うざいって思わないほうがおかし、」
「また水かけられたい?」
「…だって」
再び言葉を遮られた私は、稀に見るギュヒョンの鋭い視線に口ごもり、視線落とす。
それからしばらく静寂が続いたけれど、それを先に破ったのはギュヒョンだった。
「得するとかしないとか、そういう問題じゃないだろ」
その言葉に、顔を上げると、真面目な顔をしたギュヒョンと目が合う。
「俺もリョウクも、傍にいたいから離れてかないだけだよ」
優しすぎる言葉に、思わず息が詰まって視線そらせば、ギュヒョンはおかしそうにまた笑う。
「今、思いっきり聞きたくないって顔した」
それからギュヒョンはその場に立ち上がると同時に、ポンっと私の前に購買で買い物をしたらもらうビニール袋を投げた。そこには一つだけ、クリームパンが残っていた…
「春の運動大会、体育6時間分の単位だって。…出ないとやばいんじゃないの?」
「……ギュヒョン」
こっちは振り返らずにそう言いながら梯子の方へと歩き出したギュヒョンを呼び止める。
「なに?」
「……、ごめん……」
振り返ったギュヒョンに謝罪を述べたら、
「謝んなくていいよ、後払いだから」
と、意地の悪い笑みを浮かべてまた背を向けた。
そんなギュヒョンの背中を見送りながら、そっちのほうの謝罪じゃないのになんて思いながら、再び空を仰ぐ。
「………どうしたらいい?」
≪君はそこにいますか?≫
(問いかけたって、答えが返ってこないことなど、分かっているのに……)