孤独な狼

□荒く甘い
1ページ/1ページ

「…誰、」

 相変わらず、合唱部の建物の壁に寄りかかって、何かの本を読みながら座りこんでいるハルに近づくと、明け透けに剣呑な表情で睨み上げられて苦笑する。
 
「俺のこと覚えてる?」

 そう言っておどけたように笑って見せれば、ハルは瞳を細めて、それから「あ、」と思いだしように目を丸くすると、

「…朝の…」


 と小さく呟いた後、案の定興味なさそうに視線を逸らされて、再びハルは本へと視線を戻してしまった。


「何か用ですか――」


「ちょっと話したくて」


 そう言って座りこんでいるハルの前に屈めば、ハルに浅く溜息を吐かれた後、



「…変な人だ」

 そう肩を落とされる。

 以前会った時と違って、殺伐とした雰囲気は彼女から感じられなかった。それをいいことに、俺はハルに歩み寄ってみることにした。




「ねぇ…ハル、ほんと俺のこと覚えてない?」

「…?」

「会ったの、前が初めてじゃないじゃん」


 俺の言葉に、ハルは怪訝そうに眉を潜めて首を捻った後、


「……それ、なんかの口説き文句ですか」


 と、嫌な間を置かれて一掃された。





 どうやら本当に、俺のことは覚えてないみたいだ。


「…覚えてないか」

 
 それにがっかりして、肩を落としてそう呟いた時だった。

「おい、狼!!」

「!」



 背後から明らかに穏やかじゃない声が聞こえてきて、気だるそうな顔をしていたハルの表情が、ある場所を見て一瞬にして険しくなった。


 それに俺も後ろを振り返る。
 と、其処には声と同様穏やかじゃない物騒な鈍器を持った、隣の高校の制服を着た男達が五人立っていた。



「こんなところに居やがったのか!…探したんだぜ?」

「俺たちの後輩が世話になったみてぇだな…おい」


 明らかに攻撃的な態度。


 それにハルはその場に立ちあがって、スカートの裾についた草を払いながら


「…世話なんかしてないよ」


 と、相変わらず気のない返事を返す。
 それが逆に男達の気を逆撫でしたようで、五人組の男達の表情が険しくなった。



「前の仮もあるし、今日はきっちり今までの分返させて貰うぜッ!」

「…ハル、これやばいんじゃないの?」



 そう後ろを振り返って、固まる。



 なぜなら其処にはもうハルの姿はなくて、辺りを見回せば、ハルはいつの間にか校舎の裏側の方へと駆けだしていたからだ。


 こんな短い時間であそこまで行くなんて相当足が速いななんて呑気なことを思っていた俺を余所に、男達五人組は、ハルを






「てめぇッ!舐めてんのかこらぁ!」


 と、汚い言葉を吐き出しながら追いかけて行く。


 というか、さっきの五人組の中の一人…どこかで見たことがあるような顔をしていたような気が…

 誰だったかと考え込んでいると、ふと、ハルが座っていた場所に、赤い表紙の本が置いてあった。

 それはハルが読んでいたもので、それを拾い上げてみると、本ではなくてアルバムということが分かった。



 読んではいけない。



 そうは思ったけれど、あのハルが真剣に見つめていたこのアルバムの中味がどうしても気になって、開いてしまった。






 そして、後悔する。



「…これ」


 そこの中は、

 ハルと、そしてもう一人の知らない男ばかりの写真で埋め尽くされていたから…























「追い詰めたぜ」




 部室を離れて校舎の裏側まで来ると、私は格技室の突き当たりで足を留めた。

 振り返れば、鉄パイプやらなにやら、まるでマンガのヤンキーが持っているようなものを持った、絵にかいたようなヤンキーが五人、私を見て悪い笑みを浮かべている。

 女一人のためにわざわざそんなもの持って、しかも五人でつるんでくるなんて、それは自分たちが弱いってアピールしてるのと同じようなものじゃないか。


「…このアマ!!!」


 そう、一人の男が鉄パイプを大きく振り上げて飛びかかって来たのを、私は横に避けて、パイプを握っている男の手首を思い切り蹴り上げる。

 それに男が苦悶の声を上げてパイプを取り落とした隙に、先程蹴った男の腕を掴んで捻り上げた。


「いぎっ…!」


 痛みに表情を歪めた男に対して、私は左手を固く握り閉めた。






 でも、その刹那―――






”ハル…!”






 ふと、頭の片隅に過ぎった、リョウクの泣き顔に手が止まった。


 そう私が一瞬迷った隙に、いつの間にか私に距離を詰めていた一人の男が、思い切り私の肋に蹴りを入れて来た。
 

「…っ…」


 骨が軋む感覚と共に、その衝撃で私は地面に転がる。

 蹴られた脇は焼けるように痛くて、そこを抑えながらその場に立ちあがろうとしたら、もう一発右から顔を殴られて、再び地面の上に転がってしまう。

―――カッコ悪い。

 なにより悔しい。

 だけど、殴れない。



「らしくねぇなぁ…逃げまどったり殴られたり」

「怖気づいたか?所詮女だな、あんたも」

「っ」

「…落とし前、着けて貰うぜ?」


 そんな私をあざ笑うかのように、男達は地面に倒れ込んでいる私のほうへと歩いてきて、傍に屈む。




 やらしい笑みを浮かべたかと思えば、突然私のスカートの中に手を忍ばせて来た。


「っやめ…!」





 その不快感に身体に鳥肌が立った。



 だけど、





「ぐぁあ!」



 っと、一番後ろに立っていた男が突然、声を上げて地面に倒れ込んだ。

 それに驚いて、私に触れようとしていた男も後ろを振り返る。




 と、その男の肩越しに、さっきの…ギュヒョンの先輩が立っていた。








「邪魔」





 そう言って、先輩は地面に倒れている男を殴ったであろう拳に、ふっと息を吹きかけて、笑う。


 顔は笑っているけど、その瞳はまるで獣のように鋭い。…あれに似た顔を、私は一度―――見たことがある。

 



「俺がハルと話してたのに…邪魔すんな、」




 先輩はそう言いながら、悠々と二人を地面にねじ伏せて、私の前に屈んでいた男の前に立った。

 それに、男はばっと弾かれるように立ち上がる。



 その男の背中と足は、僅かに震えていた。


「ぉ…お前はっ―――」

「久しぶり」


 どうやらこいつは、先輩のことを知っているみたいだった。
 


「なんでてめぇが此処にッ!?ぐあッ!」

「それはこっちの台詞」


 先輩は質問には答えず、容赦なく男を殴り飛ばした。


 それに男は派手に地面に転がって、殴られた顔を両手で押さえて痛みに悶えている。
――痛そう。

 思い切りゴンと殴る音が聞こえてきたから。

 それに、あんな緊張感のなさそうなゆるい雰囲気を漂わせていた先輩は、どこかに隠れてしまったみたいで、今はまるで別人だった。


 男達はなんとか痛みに耐えながら地面から立ち上がると、鈍器を手に持ってこの場から逃げるように去って行く。

 それを見送った先輩は、はぁと浅い溜息を吐いて、私を見下ろした。






「…大丈夫?」




 校舎の陰になって、ここは日の光が当たらずに薄暗い。でも、私を見降ろす先輩の目は、黒く光って良く見えた。

 それに一瞬、どきんと心臓が鼓動して息を呑んだ。


「…っ…――なんで、」



「?」




「なんでそんなに、喧嘩上手?」



 そう問いかけた私に、先輩はけらけらと笑う。

 その時にはもう、すっかりあの鋭かった先輩ではなくなって、もとの雰囲気に戻っていた。
 

「俺も昔は、粗っぽかったんだよ」


「…へぇ」


 ふざけた口調。

 だけど、嘘じゃないんだろう。


 人を殴るのにも、蹴り飛ばすのにも、すっかり慣れた身のこなしだったから…それに、


「じゃあ、さっきの奴とも昔の喧嘩仲間?」


 さっき、私に触れてきた男は、先輩のことを知っているみたいだった。


「…そんなとこかな」

「……先輩、」


 だから、私は聞いてみたくなった。
 

「…ジユン、知ってますか…」


 その男のことを、喧嘩の強い先輩なら知っているかもしれない。そう思って――、

 だけど、

「誰、それ」


 と、即答されて、私の淡い期待は打ち砕かれてしまう。





「……やっぱ、なんでもありません」


 それに少しがっかりしながらも、その場にゆっくりと立ち上がる。





 その瞬間――、


「…っぅ」

「ハル?」


「…っなんでもないです」


 胸、心臓が、酷く締め付けられたように痛んで、思わず息を呑んだ。

 ぎゅっと制服の胸元を握って、その痛みに耐える。





――最近、こういうことが多くなってきた気がする…。



 そんな私のことを心配そうに見つめてくる先輩を無視して、私はこの場所を離れようと歩き出した。


 だけど、



「なんで殴り返さなかったの?」


 そんな、先輩の声が背中から聞こえてきて、足を留めた。
 
 

「…あそこで喧嘩はできませんから」

「なんで?」

 その理由を話すのは、なんとなく気が引けた。
 だけど、

「…なんで?」


 と、どこか優しい響きを持ったその声に、柄じゃなく弱った私は、甘えてしまったのかもしれない。






「部室が、…近いから」


 朝練をしているであろう合唱部の部室の前で、騒ぎを起こしたくなかった。
 そう、振り返らずに言った私の名前を、先輩は小さく呼んで、

「…ハル」

「――なんですか」

 それに振り返ったら、








「良い子だね」

「っ…!?」


 

 今まで見たことがないくらいに、優しい顔をして紡がれた、
 もうずっと言われていなかった言葉に、先程の胸の痛みとは違う痛みが、胸を駆け抜けた。

 


「――訳わかりません」




≪きっと気のせい≫

 甘くて切ない、この痛み

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ