パラレル小話

□季節は巡って
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10年前、突然失った存在にまた会うために。

今日も俺は、都会の喧騒の端に佇む、この寂れたバーで働く。

「いらっしゃいませ」

…好きだったやつが、ある日を境に自分の目の前からいなくなった。

その事実を信じられなかった俺は、心の隙間を埋めるように誰彼構わず寝て、やがて大学を中退し、日中はふらふらと街をさまよい歩いていた。

そんな状態ではいつまでも安定した暮らしが送れるわけがなく、やがて金が底をつきて路上生活をしていたところを、ここのマスターに拾われたのだ。

あれから、もう何年経っただろう。

最初はなかなか出来ずにいた営業スマイルも、今ではすっかり板についていた。

「あら、今日も素敵な方がいるのかしら」

「はい。そうだ、よかったらこいつの相手をしてやってくれませんか?」

「いいわよ。それにしても、相変わらず随分整った顔立ちをしているのね」

「こいつはそれだけが取り柄ですから」

「そうなの」

ここのバーは、ただ客に飲食物を出すだけの店ではない。

決まった料金さえ払えば、自分の恋人やこの店にいる気に入った店員と、2階にある個室で一夜を共にする事が出来る。

雇われの身である俺もそれは例外ではなく、客が俺を指名すればその通りに個室に客を案内する。

あいつの代わりだと思えば、誰でも良かった。

事が済めば、向こうはさっさと服を着て帰り支度をする。

何て冷たい関係なんだろう。

どうせそんなのお互い求めていないし、甘ったるい空気になっても面倒くさいだけか。

暗闇に微かに浮かび上がるシルエットを、反射したガラスを通して俺は見た。

派手に染まった長い髪、、女らしい丸みを帯びた身体と鼻に残るくらいきつい化粧の匂い、高すぎるハイヒール。

あいつと、全然似ていない。

「相性は悪くなかったし、特別におまけしてあげる。じゃあね」

耳障りな声で言いながら机に札束を置いて、女はスカートを翻して帰って行った。

「…だるい」

乱れたシーツを新しいものに変え、俺はシャワーを浴びた後バーに戻った。

自分のやりたい事も一生見つからないまま、こんな荒んだ毎日が永遠に続いていくんだと思っていた。

まさかあんな意外な形であいつと再会するなんて、この時の俺は予想だにしていなかったのだ。

・・・・・・・・・*

ある日、客に出すビール瓶を運んでいたら曲がり角で誰かとぶつかった。

「っと…」

「ご、ごめんなさい!」

少し後ろに下がるも、そんなに勢い良くぶつかったわけでもないからビール瓶を落とさずにすんだ。

それにしても、誰だ?

「それ、運ぶんですか?俺手伝います!」

俺とぶつかったのは、見るからに育ちの良さそうな男だった。

実際にこういう人物を目の当たりにすると、恵まれない家庭に生まれた自分が惨めになる。

「別にいい。重くないし」

そう言ったのになかなか引き下がらない男に俺の方が折れ、何故かビール瓶を2人で運ぶ事になった。

「おー、やけに可愛い子連れてきたじゃん」

「こいつは客ではなく、ただの通りすがりです」

「えっと、さっき俺がこの人にぶつかってしまって…」

何余計な事を言ってるんだか。

「とっとと帰れ。ここはお前が来るような場所じゃない」

「え?そうなんですか?」

マスターの怪しい視線なんか気付かず、そいつはきょとんとした顔になった。

こいつ、どんだけ鈍いんだよ。

「俺はここのバーのマスター。せっかく手伝ってくれたんだし、一杯くらい飲みなよ。ただにしてあげるから」

「はぁ…」

…駄目だ。

こいつ本気で分かっていない。

マスターに背中を押されながらバーに入ったそいつに、俺は大きく溜め息を吐いた。

・・・・・・・・・*

バーは、開店して間もないからかまだ客が誰も来ていなかった。

…1人を除いて。

「お仕事は、何をされているんですか?」

「出版会社の編集です」

「大変そうですね。何だか疲れたような顔してますよ」

「そうですか?」

マスターは、怪しい手付きでそいつの背中をそろりと撫でた。

初めての客なのに、馴れ馴れしすぎだろ。

俺はワイングラスを布で拭きながら、2人の会話に耳を傾けた。

「どうしてそこに勤めようと思ったんですか?」

「そうですね…。昔から、本が好きだったからっていうのが一番ですかね。俺、学校の本全冊読むとかしていたんで」

…学校の本?

全冊?

その瞬間、しまい込んでていたはずの淡い記憶が一気に脳裏に蘇ってきた。

古い本の香り。

開け放たれた窓から入ってきた、桜の花びら。

そして、書架からこっそり俺を覗き見る後輩…。

驚いて、カウンター席で嬉しそうにグラスを傾ける人物を改めて凝視する。

少し、以前と雰囲気が変わったかもしれない。

けど、今そこにいるのは、俺のストーカーだったやつと確かに同一人物だった。

見間違えるはずがない。

ずっと、ずっと忘れられなかったんだから。

俺は乱暴にワイングラスを置くと、そいつの腕をぐっと掴んだ。

「え…?」

「高野?」

2人が不思議そうに俺を見たのにも構わず、俺はそいつの腕をぐいぐい引っ張った。

「ちょっ…!」

「話がある。こっちに来い」

俺は問答無用でそいつを連れ出すと、個室にあるベッドにそのまま放り投げた。

「わっ…!」

バウンドしたベッドの上で、そいつが俺に怒った表情を向ける。

「何するんですか!」

「お前、律だろ」

そいつが逃げないよう、俺は両脇に手をついた。

「何で、俺の名前…」

「俺の事、覚えていない?」

今すぐ抱き締めたい衝動を抑え、ゆっくり言葉を紡ぐ。

「覚えて、いません…」

けど、その返答に俺は絶望した。

俺の方はどうしても忘れられなかったのに、今でも覚えてるのはこっちだけだったって事かよ。

そう考えると、何だか苛々してきた。

「…むかつく」

「は?」

「こっちは散々苦しい思いをしてきたのに…」

「だから何の事…んっ!」

堪えきれなくなって、そいつの肩を掴んで俺は荒々しいキスをした。

嫌がって離れようとする様子にもまたどす黒い感情が湧いてきて、後頭部を押さえつけて俺は絶対にキスから逃れられないようにした。

しばらくして唇を離すと、そいつが俺の身体をばんと押し退けた。

「さ、最悪だ…!」

はぁはぁと荒い息を吐きながら、そいつは俺の顔を涙で潤んだ瞳で睨んだ。

「何で?昔俺の事を好きって言ったの、お前だろ?」

「はぁ?何言ってるんですか」

こんな強引な人知りませんとだけ言い残してベッドから降りようとしたそいつを、俺はそのまま押し倒した。

「高野さん、やめてください!」

「俺、親離婚して名字変わってるから。旧姓嵯峨。嵯峨政宗」

そいつの目をじっと見たままそう告げると、そいつの目が見開かれた。

「嵯峨、先輩…」

「…やっと、思い出してくれたな」

ほっとしながら背中に腕を回そうとしたら、そんな俺に返ってきたのは拒絶の言葉だった。

「俺はもう、あなたの事は好きでも何でもありませんから」

「…え?」

信じられなくて、耳を疑った。

何故、どうして。

あの時お前が伝えてくれた気持ちは、既に全部なくなってしまったのか。

中途半端なまま動きを止めた俺に、そいつが目を逸らし淡々と告げた。

「俺はもう、誰も好きにならないって決めたんです。昔の事も…忘れてください」

目も合わせようとしないそいつに、再び苛立ちが募ってきた。

「…許さない」

「な、何を…」

「忘れてくださいって何だよ。俺の方は、忘れたくても忘れられなかったのに…」

「た、高野さ…うわっ!」

その後は、怯えるそいつの服を無理矢理脱がせ、自分の感情の赴くままそいつを抱いた。

やめてくださいと言われてもやめられず、そいつが気絶するまで俺はその華奢な身体を揺さぶり続けた。

涙を流しながら眠りについたそいつに、俺はそっとキスを落とした。

亜麻色の髪、澄んだエメラルドの瞳、滑らかな肌、俺に縋りつく小さくも温かい手。

夢にまで見た人と何一つ変わらないのに、どうして心はこんなにすれ違ってしまったんだろう。

「…ごめんな、泣かせて」

静かに零した言葉は、誰の耳にも届く事はなかった。

・・・・・・・・・*

俺は、寝ているそいつを背負うと起こさないよう階段を降りた。

「マスター、今までありがとうございました」

急にここを辞めると言った俺に、マスターは顔をしかめた。

「高野目当ての客もいるんだから、君がいないと困るんだよ」

「すみません。これ、マスターからもらっていたお金です。一度も使わなかったので、全額返します」

「でもねぇ…」

余程俺に固執しているのか渋った顔をするマスターに、俺ははっきりと告げた。

「探し物が、やっと見つかったんです」

「それって、高野の後ろの人かい?」

人差し指で差しながら、マスターがにやりと笑った。

「こいつに手、出したら、いくらマスターでも容赦しないですから」

敢えて挑発的な態度を取ると、マスターは怖いなぁとへらへらしながら言った。

チリンと軽快な音が鳴り、ドアが閉まる。

「さて、これからどうするかな…」

取り敢えずこいつとは話し合いが必要だなと、俺は夜の帳がおりた街を見ながら思った。

・・・・・・・・・*

俺はまず、自分の住むマンションへと帰った。

バーでの仕事と合わせてしていたバイトで、ここの家賃は払っている。

明かりを付けると、俺は律が起きるのを待った。

程なくして目を覚ますと、「こ、ここここどこですか?」と律は慌てた口調で部屋中をきょろきょろと見渡した。

「俺の部屋」

そう言うと、一気に青ざめてこの世の終わりみたいな顔をした。

本当、よくそんなにくるくると表情が変わるもんだな。

思えば昔もそうだったかと思い返し、ついくすりと笑みを零した。

落ち着いて話をしてみれば、何て事はない、ただのこいつの勘違いだったと分かった。

偽名を使っていたのだって、正直驚き半分、呆れ半分だった。

何か、こいつって…

「馬鹿だな」

「っ…!」

一言ばっさりと言うと、そいつはぎりぎりと歯噛みしながら拳を握り締めた。

変わったところもあるけど、俺は今もこいつが好きで、それはきっとこいつも…。

その答えが聞けたのは、俺がマンションを引き払い、そいつと同居し始めた頃だった。

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