短編
□切り傷
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ピッ
「った!」
「小野寺、どうした?」
「あ・・・いえ、ちょっと紙で指を切ってしまったみたいで・・・」
・・・・・・・・・*
周期明けの月曜日の朝、エメ編にはまだ俺と高野さんしかいなかった。
てか、みんな早く来いよ・・・。
そう思いつつ、俺は先程まで作家さんから預かっていた原稿を一枚一枚丁寧にチェックしていた。
けれど、近くにあったボールペンを取ろうと手を伸ばした時、積み重なっていた書類をちょうど自分の指が掠め、その拍子に小指の付け根を浅く切ってしまった、というわけだ。
「は、だせーな」
「だ、ださいって何ですか、ださいって!」
「どれ、見せてみろ」
そう言うと、高野さんは俺の手を自分の元へと近付けた。
「ちょっ・・・!」
「ほんとだ。少し赤く滲んでるな」
「だからさっきそう言ったでしょう!もう離してください!」
「やだ」
そう言うと、高野さんは何故か、俺の小指を自分の口元にだんだん寄せていった。
ま、まさか・・・。
そして、
ペロッ
「っ・・・!?」
「・・・鉄の味がする」
「あっ、当たり前でしょう!何て事してんだあんたは!」
「何って・・・消毒?」
「そ、そんな消毒の仕方があるわけないでしょう!今のどこが消毒なんですか!」
「どこって・・・何、お前言ってほしーの?」
「そんなんじゃ・・・!と、とにかく離してください!俺は仕事がしたいんです!」
「うるせーな。仕事したいって言っても、お前そのままだと大事な原稿が汚れるだろーが。ちょっと来い。洗ってやるから」
高野さんは俺があたふたしているのを気にせず、給湯室まで俺の腕を強引に引っ張っていった。
・・・・・・・・・*
給湯室に着くと、高野さんは水道の蛇口をひねり、ザーっと勢いよく水を出した。
「っ・・・!」
「・・・しみるか?」
高野さんが、心配そうな顔で俺に聞いてきた。
「いえ・・・大丈夫です」
・・・確かに、傷口を流すと冬の水の冷たさと相まってちょっとだけしみるけれど・・・むしろそんな事より、大丈夫でないのは俺の心臓の方。
今も高野さんは俺の腕を掴んだままで、そのせいか知らないけれど、心臓の音がさっきから五月蝿いくらいばくばく言っていて、蛇口から流れる水の音なんて、全然自分の耳に入ってこなかった。
・・・・・・・・・*
「もういいな」
少し経って傷口が綺麗になった事を確認すると、高野さんは蛇口の水を止め、近くにあったティッシュを使って、滴が垂れる小指をそっと拭った。
「ちょ・・・高野さん!それくらい自分で出来ますって!」
「少しは黙ってろ。・・・はい、終了。後は絆創膏だな」
そう言うと、高野さんはいつの間に持って来たのか、救急箱から絆創膏を取り出し、俺の指にくるりと巻き付けた。
し・・・心臓が壊れそうなんだけれど・・・!
「ほら、出来た」
「あ・・・ありがとうございます・・・」
「どーいたしまして」
満足した顔でそう言うと、高野さんは俺の指を引き寄せ、わざとらしくリップ音を立ててちゅっとキスをしてきた。
「ちょっ、何て事・・・!」
俺が羞恥心で顔を逸らすと、高野さんは
「お前の全てが大切だから、お前を形成する物何一つとして傷付けたくないんだよ。たとえ、それが指であってもな」
まるで愛しい我が子を見つめるかの様な眼差しを、俺に向けてきた。
「えっと・・・」
「だから・・・これからは気をつけろよ」
「わ、分かってますよそんな事。高野さんにわざわざ言われなくても、そうするつもりです」
「あっそ」
まぁ・・・また怪我でもしたら、俺を呼べよ?
去り際に、高野さんがニヤリとした笑みを浮かべながらそんな事を言い出したものだから
「ちょ・・・調子に乗らないでください!」
と、俺は廊下にいる人にも聴こえてしまいそうな程大きな声で、高野さんに言い返した。
けれど・・・結局それから1週間後、俺はまた指を切ってしまって、高野さんに今日みたく手当てをしてもらうはめになる事を・・・この時の俺は、まだ知る由もない。