短編

□恋乞い
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「小野寺」

会社帰り、高野さんに捕まってしまった。

「な、何ですか。俺はもう帰りますよ」

「明日暇?」

「明日ですか。えーっと…」

企画書が終わっていない、用事がある、実家に呼び出されて…。

さて何て言い訳を言おうかと考えていたら、高野さんの顔がすっと俺の耳元に近付いてきた。

「ちょっ…!」

「明日、旅行行こう」

「りょ、旅行ですか…?」

戸惑いながら聞くと、高野さんがふっと耳に息を吹きかけながら俺から離れていった。

「ひゃっ…!」

「どうせ何もないんだろ?明日、9時までに出掛ける準備しておけ」

「どこに行くんですか?」

「内緒。あ、ついでに日帰りだから。まぁお前がどうしても一泊したいって言うなら考えが…」

「結構です!」

「あっそ。じゃあ決定だな」

「うっ…」

してやったりといった表情で颯爽と俺の横を通り過ぎた憎たらしい背中を睨み付け、俺は暗い街頭の下を憂鬱な気持ちで歩いた。

・・・・・・・・・*

翌日の朝は、寝坊するつもりが何故か朝早く起きてしまった。

これじゃあまるで、俺が高野さんとの旅行を心の底では楽しみにしているみたいじゃないか…。

そんな自分に頭を抱えたのは、言うまでもない。

身支度を整えていたら、玄関のインターフォンが無機質な電子音を響かせた。

不用心に開けてしまった事を悔やんでも、時すでに遅し。

高野さんに

「準備は出来てるな。よし、行くぞ」

と部屋の外に追い出され、俺は渋々鍵を掛けるしかなかった。

「どこに行くんですか?」

「秘密」

車の中ではずっとそんなやり取りが続いていたが、ふと窓から見えた景色に俺は驚いた。

「海…じゃないですよね。湖ですか?」

「そう、あれは諏訪湖だ」

「諏訪湖って…俺達、長野県まで来たんですか!?」

「偶にはいいだろ」

「はぁ…」

旅行とは言っていたが、まさか都内から外へ出るとは思わなかった。

取り敢えず前みたいに東北へ連れ出されるよりはましだったかなと、俺は前向きに考える事にした。

「着いたぞ」

高野さんが車を停めたのは、どうやら鰻のお店みたいだった。

「まだ昼食には早いけど、ここは時間をずらして行かないと混むからな」

「高野さん、やけに詳しいですね」

「昨日調べたから。ほら」

高野さんに促されるように助手席を開けられ、くすぐったい気持ちのまま車から出た。

「足元、段差あるから気を付けて」

「わ、分かってますよ…」

まるで女性にするみたいに俺をエスコートする高野さんに困惑しながら、俺は店の暖簾を潜った。

「いらっしゃいませ。お客様、2名でよろしいですか?」

「はい」

女性店員の目が高野さんを見て輝いているのには見て見ぬ振りをしながら、俺は高野さんの向かいにある席に座った。

「高野さん、ここって鰻しかないんですか?」

「そうだけど」

メニューで顔を隠しながらひそひそと話す俺に、高野さんはしれっと答えた。

「この暑い時期に鰻って、正直変だと思いませんか?」

「別に。俺、土用の丑の日に鰻食べなかったし」

「…そうだったんですか」

確かに、その日は高野さんは朝から会議やら何やらで忙しく、ほとんど編集部にいなかった気がする。

「だから、その分の埋め合わせっていう訳でもないけど、お前と鰻食べたいなと思って」

「でも、わざわざこんなところまで来なくても…」

「ここの鰻、美味しいって評判高いから。一度でいいからお前と来たかったんだ」

そんな甘い台詞を臆面もなく言うから、俺は急に恥ずかしくなって店員から出されたお茶をぐいっと一気に飲んだ。

「注文決まった?それとも、俺と同じやつ半分こにしたい?」

「っ…この、梅ってやつがいいです!」

「はいはい」

だんと勢い良く湯のみを置いた俺にくすりと笑いながら、高野さんはせわしなく動き回る店員を呼び止め2人分の注文を告げた。

・・・・・・・・・*

「美味しい…」

出された鰻を箸で挟んだまま、俺はほぅっと息を吐いてそう零した。

「だろ?」

「はい。この鰻は身が厚くてたれがしっかり中まで染み渡っていますし、ご飯もほかほかで温かいですし…」

言っている内に自分だけが興奮して喋っていた事に何だか気恥ずかしさを感じ、俺は背中を小さく丸めた。

「どうやら、お前の口に合ったみたいだな」

「はい、それは…」

「やっぱり、お前をここに連れてきて良かった」

「………」

「手、止まってる。冷めない内に食べろ」

「…分かってますよ」

本当は鰻なんか食べたくないと散々文句を言うつもりだったのに、目の前に出された鰻を一口頬張るとそれだけで口一杯に幸せが広がって、溜めていた不満はいつの間にかどこかへ吹き飛んでしまっていた。

「ごちそうさまでした」

「お代は俺が払うから、お前は入り口の方で待ってろ」

「そ、それくらい俺が払いますって!」

「いいから」

高野さんは踵を返すと、「お愛想をお願いします」と店員に涼しい顔で言った。

「高野さん、もう帰りますか?」

「そうだな…」

高野さんは少し考える素振りをすると、にやりと口角を上げた。

な、何をするつもりなんだ、この人は…。

背中を冷たい汗が伝う中、俺は自然と身構えた。

「日もまだ高いし、もう少しお前に付き合ってもらうか」

直後、俺は自分の言った言葉を後悔した。

・・・・・・・・・*

その後、俺は高野さんに足こぎボートに乗らされたり、近くのカフェでごまみそのソフトクリームを半分ずつ分け合って食べさせられたりしていた。

足こぎボートなんて周りに見られるし絶対に嫌だと反抗したら

「何、こんなのも出来ないの?」

と高野さんはいつもの様に俺を挑発し、それに易々と乗ってしまった結果がこれだ。

もう帰りたい…切実に。

ボートを漕いでいると、すぐ近くに人が多く集まっているところがあった。

「高野さん、あれ何ですか?」

「あぁ、あそこは花火師の人達が打ち上げ花火の準備をしているんだ。今度ここで、大きな花火大会があるからな。あそこにある筒は、全部そのための花火だ」

「へぇ…」

「今年こそ、祭りでも何でもいいからお前と花火見に行きたいな…」

「…そんなの無理ですよ。仕事がありますし」

「死ぬ気で終わらせれば何とかなる」

「ふふっ…何だか高野さんらしいですね」

ボートに乗り終わる頃には、落ち着いた湖の景色も相まって穏やかな時間が過ぎていった。

・・・・・・・・・*

車でマンションに着いた後、すぐさま逃げようとした俺の腕を高野さんが掴んだ。

「なっ…!」

「旅行に付き合ってくれたお礼に夕食作ってやる。俺の家に来い」

「いいです!大丈夫ですから!」

「遠慮なんかするな」

高野さんは俺の腕を掴んだままエレベーターに乗り、高野さんの部屋に俺を押し込んだ。

バタンと大きな音を立ててドアを閉めると、俺を離さないとでも言うようにその腕に囲う。

「律…好き」

「知ってますよ、そんなの」

「うん。でも、いくら言っても足りないくらい好き」

「…そんなに好き好き言って、よく飽きないですね」

「昔お前が俺に必死に伝えてくれた分ちゃんと返したいし、それくらい好きだから」

「っ…!そ、そうですか…」

高野さんは俺がもういいと言ってもその言葉を何度も繰り返し、堪えきれなくなった俺が腰を抜かしてしまうまでそれは続いたのだった。

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