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□No.3『欲しかったのは、その言葉』
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きっかけは・・・そう、ほんの些細なすれ違いだった気がする。
No.3『欲しかったのは、その言葉』
「小野寺」
「何ですか、高野さん」
「お前最近、ちょっと様子がおかしくねーか」
「いえ、別に普通ですけど・・・」
「嘘吐くんじゃねーよ」
「嘘なんか吐いていませんよ」
「お前、何か俺に隠してるだろ」
「だから、何も隠していませんって!」
「じゃあこの前、俺との約束を破ったのは何だったんだ」
「だからあれは、家を出ようとした時ちょうど武藤先生から電話が来て、その対応に追われていたんですって!」
「だったら、事前に俺に連絡くらいくれたって良かったじゃねーか」
「俺が連絡した時、高野さんは地下鉄に乗っていて電話に出られなかったじゃないですか!」
「そんなん知らねーよ。・・・もういい。お前がそういう態度をとるなら、こっちだって考えがある」
「な・・・何なんですか、その一方的な言いがかりは!ちゃんと理由を説明したのに分かってくれないのは、そっちの方じゃないですか!」
「はぁ!?どう考えても、悪いのはお前の方だろうが!」
「っ・・・分かりました!高野さんなんか、もう知りませんから!」
それだけ言い捨てて、小野寺はドアをバンッと思いっきり閉めて、その場を去っていった。
「チッ・・・何なんだよ、あいつは・・・」
一人残った部屋で、俺の舌打ちだけがやたら大きく響いた。
・・・・・・・・・*
次の日、俺とのいさかいがあっても、元から性格が真面目な小野寺なら、会社には出勤して来るだろうと思っていた。
ところが、その日の夕方になっても小野寺は会社に来なかった。
さすがに俺も気になって、トリに聞いてみたら
「高野さん、聞いてなかったんですか?」
今朝、小野寺から連絡があって、今日は風邪を引いたので会社を休むと言っていたんですが・・・
と、予想外な返事が返ってきた。
・・・そんな話、俺は聞いていないんだけど。
小野寺への怒りがふつふつと沸き立つと共に、言いようのない不安感が俺を襲ってきた。
まさか・・・な。
頭に浮かぶ最悪な思考を振り払うように、俺は足早に会社を出ていった。
・・・・・・・・・*
こんな時に限って、なかなか自分の部屋の階に着こうとしないエレベーターに苛立ちを覚えつつ、ドアが開いた瞬間、俺はいの一番に小野寺の部屋の前に立ち、何度もインターホンを押した。
・・・いつもみたいに「近所迷惑なんですけど」と嫌そうな顔をしつつ、小野寺が渋々ドアを開けてくれる事をどこかで期待しながら。
けれど、どれだけインターホンを押しても、小野寺は出てこなかった。
・・・寝てるのか?
そう思って、今度は携帯をかける事にした。
震える指で何とかボタンを押し、一縷の望みを託して、それを耳に当てた。
・・・が
「おかけになった電話は・・・」
鼓膜に響いたのは、無機質なアナウンスの声。
こうなったら、仕方がない。
近所迷惑を覚悟の上で、目の前のドアをドンドンとうるさくたたいたり、蹴ったりした。
それでも、小野寺は出てこなかった。
少し躊躇ってドアに耳を押し当てても、ドアの向こう側からは何の生活音も聞こえてこなかった。
「・・・くそっ!」
俺は、持っていた鞄を自分の部屋に放り投げると、自分の手を血が滲みそうなくらい強く握り締めながら、小野寺の捜索に向かった。
・・・・・・・・・*
書店、図書館、会社、父親のいる小野寺出版など、小野寺のいそうな場所は手当たり次第全て探した。
まさか、まさか、まさか・・・!
自分の中で膨らみつつあった焦燥感は、もう誤魔化しようがなかった。
「後は・・・実家、か」
そうはいっても、小野寺の実家がどこにあるのか俺は知らなかった。
それに、あちこち走り回ったせいで俺の身体は既に満身創痍で、頬を伝う汗は、いくら拭っても拭いきれず、だらだらと落ちていった。
俺が、その場でしゃがみ込んで何とか呼吸を整えていると、頭の中で10年前の記憶が蘇った。
「・・・もう離さないって決めたのに、俺はまた、同じ過ちを繰り返したんだな」
そう自嘲気味に笑って、今日はもう諦めようか、そう思った時
「・・・は?」
道路を挟んだ向こう側、反対車線の歩行者通路に、小野寺の後ろ姿が見えた。
・・・幻覚か?
そう思って何度も目を擦ったが、間違いなく、小野寺はそこを歩いていた。
「・・・ったく、あいつは!」
俺は近くにあった横断歩道を駆け足で渡って、その背に向かって
「おい!」
と、呼び掛けた。
すると、小野寺はビクッと肩を震わせ
「た・・・高野さん・・・」
と、明らかに怯えた表情を俺に向けた。
「お前、どこに行ってたんだよ」
「え、どこって・・・会社ですけど」
「お前、今日風邪引いたんじゃねーのかよ」
「いえ、確かに風邪引いたんですが、一日中寝ていたらすっかり良くなかったので、今日出来なかった分の仕事を今さっき会社から取りに行っていたところです」
「お前、今日会社を休む事をどうして俺に言わなかった」
「そ、それは、昨日の今日ですし、ちょっと気まずかったというか・・・。それに、羽鳥さんには連絡しましたし、別にいいじゃ・・・」
「いいわけねーだろ!」
自分でも驚く程、大きな声が出た。
すると小野寺は、しばらく固まった後、唇をわなわなと震わせ
「いい加減にしてください!」
と、俺に向かって怒鳴った。
「高野さん、あんた本当に何なんですか!?最近、俺に色々と文句や疑いの言葉ばかり言ってますけど!昨日にしてもそう、今日にしてもそう、俺は何にもしていないのに!やましい事があるのは、そう言う高野さんの方なんじゃないですか!?」
「・・・だから!」
そこで、俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。
違う、こういう事が言いたかったんじゃない・・・!
こんなくだらない言い争いがしたかったんじゃなくて、俺がお前に会ったら、真っ先に言いたかったのは・・・。
・・・・・・・・・*
小野寺は何も言おうとしない俺を一瞥して、踵を返し、再び歩き出そうとした。
「・・・悪かった」
多分、行き交う人々の雑踏の中では簡単にかき消されてしまうような、そんなか細い声だったと思う。
けれど、小野寺はそんな俺の声に気付いてくれたのか、ぴたっと立ち止まった。
「そんなつもりで言ったわけじゃなかった。ただ、お前がまた俺から離れるんじゃないかって心配で・・・」
「・・・どうしてですか?」
小野寺は背を向けたまま、俺に聞いてきた。
「お前と付き合い始めてもお互いすれ違ってばかりで、その事に対し、俺はずっとイライラしていた。そんで、今日はお前が風邪引いて会社休んだってトリから聞いて、会社から急いで帰ってお前の部屋に行ったのに、どこを探してもお前は見つからなくて、知らないうちに、お前がまたどこか遠くへ行ったんじゃないかって、本気で焦った・・・」
「・・・高野さん」
小野寺は、ゆっくりと振り返って言った。
「俺は、高野さんの事が好きです」
「小野寺・・・」
「高野さんは・・・俺の事、好きですか?」
小野寺から投げ掛けられたそれは、あの時と全く同じ質問。
けれど俺はもう、同じ轍は踏まないから
「あぁ、好きだ」
率直な気持ちを小野寺に伝えた。
「だったら」
少しは俺の事を、信じてください。
そう言って、小野寺は俺の右手をとって、そっと両手で包み込んだ。
「確かに、付き合い始めてからも俺達は何かとすれ違ってばかりですが、それでも、俺が高野さんを好きな事に変わりありませんから」
それは、再会してからずっと小野寺の口から聞きたかった言葉だった。
・・・今までは、どれだけ言っても拒み続けていたのに。
「お前が好きすぎて」
怖いんだ。
気付いたら、自分の中の抱えきれない想いが、口を衝いて出ていった。
「こんな事を言ってもお前を困らせるだけだって分かってはいるんだけど、もう二度と、お前を手離せないんだ」
「・・・だったら」
どうか、俺を手離さないでください。
そう言って、小野寺は両腕を俺の背中に回した。
「そもそも、俺がまた10年前と同じ人に恋に堕ちてしまったのは、全部高野さんのせいなんですからね」
責任、とってください。
顔を真っ赤にしながら、小野寺は言った。
そして、小野寺のそんな姿を見ていたら、自分一人で悩んでいたのが何だか馬鹿らしくなってきた。
「分かった。責任はちゃんととるし、お前の事も信じる」
「・・・分かればいいんですよ、分かれば」
そうもごもごと小野寺は言って、俺から身体を離すと
「ほら、帰りますよ」
俺の左手をとって、ずんずんと進んで行った。
「そんなに急がなくてもいーんじゃねぇの?」
未だに顔が真っ赤な小野寺に、笑いながらそう言った。
「俺が恥ずかしいんです」
「お前から手を握ってきたくせに」
「そ、それは高野さんが寒いかなと思って、仕方なく握ってあげているだけです」
「へぇ。俺は寒いなんて一言も言っていないんだけど」
「・・・あぁ、じゃあ訂正します。俺が寒いので」
「寒いなら今日、俺の部屋来いよ。あっためてやるから」
「けっ、結構です!やっぱり俺、熱くなってきたので!」
「・・・お前さ、結局どっちなんだよ」
・・・・・・・・・*
これからも、益々お互いがすれ違う日々が増えていくかもしれないけど、俺はもう、迷わない。
誰よりも何よりも、小野寺の事が好きだから。
俺がお前の事、どれだけ好きなのか分かってんのか知んねぇが・・・
もう、離すつもりなんてないから。
覚悟しとけよ?