□第一話
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教室。
彼女の周りには、誰も寄り付かなかった。

わいわいがやがやと、彼女を切り取った教室はとても賑やか。
その輪の中に入りたい彼女は、しかしそんなことなど出来るはずもなく、
気にしていないように窓の外を見つめた。





時々考えてしまうことがある。
最近は、以前よりも考え込んでしまうようになったと思う。


どうして付き合っているのだろう、と。


彼女が一人でいることは、日常の風景として教室に溶け込んでしまっているけれど、
彼氏の立場として彼女を一人ぼっちにするだろうか。

彼は、彼女のもとには来ない。目を合わせようとも、話しかけようともしない。
ただ、彼氏彼女と名前が付いているだけの、他人だった。








今日も学校が始まってしまうと、アラームの五分前に目を覚ましてしまい溜息をついた。
目だけを動かし、カーテンの向こうの様子を探る。
彼女の気持ちとは正反対に、お空は快晴のようだ。


ここで、もう一度大きな溜息。


学校に行きたくない。
そんなこと、いつもニコニコした母さんに言ったらどんな顔するかな。


別にマザコンという訳ではないが、心配はかけたくない。
というより、惨めな思いをするのが嫌で言えた試しがない。

起き上がると、古いベッドのスプリングがギギギ、と音を立てる。


恐る恐る開けたカーテンの向こうにはやはり晴々した空が広がっており、
薄暗かった部屋に光が差し込んだ。


「おはようございます、今日も一日頑張ります」


鏡の中の青い顔が、口だけで笑った。












「……おはよう」


小さな声で呟いただけの挨拶は、賑やかな教室に届くことはなく、いつの通りに自分の席に座る。


朝、ショートホームルーム前。
最近、ますます冷えてきたと窓から外を見れば寒そうな木々が寂しそうな彼女を見つめていた。
それがまるで彼女を憐れんでいるかのようで、木にまで同情されるような存在なのかと考え込んでしまう。


彼女の席は窓際の一番後ろで、彼女の周りにだけ分厚い壁があるように思う。
しかしそれを気にかけるクラスメートなんていないと彼女は知っているが、もしかして今日は。と、淡い期待を毎日のように抱いていた。


そんなこと、あり得ないのに。


珍しく遅刻せずに現れた彼を横目に見て、机に突っ伏した。















昼休み

いつもは体育館裏で昼食を取っているのだが、今日は彼が来ているのだから声をかけてみようと彼女は決心した。

彼氏彼女の仲と言っても、二人は他人だった。
挨拶もせず、目も合わせず、連絡先も知らない。

話したのは告白された時一度のみで、後は知らんぷり。
名前だけの関係には何度も疑問に思ったが、彼女にはどうしようも出来ないのでそのままにしていれば、一年以上の月日が経っていた。


そんな彼に声をかけるのはとても緊張することで、肌寒いというのに握った拳には汗が滲んでいる。


「……よし」

小さく声に出し、立ち上がる。そして彼の方を見るがそこには。
彼の姿はなかった。


あーあ。間抜けだ、私。



今日も、隠れるようにして食べなければならないランチタイムが始まるようだ。










放課後

ボーっとしていれば、教室には彼女しかいなかった。
彼女を見ないクラスメートがいない教室に、ほっとする。

開けっぱなしの窓から枯れ葉が舞い込み、頭に当たって机に落ちる。

私は、ちゃんとここにいるのだと瞳が潤む。
しかしその涙を溢さないように眉間に皺を寄せ、先ほどから賑やかな隔離された教室に耳をすませた。


オレンジ色と紫色が混ざった空が校舎を覗き込む時刻、Z組以外の生徒は彼女しかいないだろう。
グラウンドには部活活動をする生徒もいなかったし、吹奏楽部が演奏する音色も聞こえなかったから。


「高杉君も問題児なのに、どうしてあのクラスじゃないんだろ……」



Z組といっても、A組からZ組まであるわけではない。

ABC、そしてZ組だ。
Z組は、問題児と書類に判を押された生徒が詰め込まれるクラスらしい。


そこに、なぜ彼女の彼、高杉晋助がいないのか疑問を持っていた。


高杉晋助が朝からちゃんと登校するなんて数えるほどしかないし、煙草を平気で吸っている。
しかも、何やら悪いグループに属しているとの噂で、時々体や顔に傷をつくっている。



Z組の話に戻るが、全学年の教室が新校舎にあるのに対して、Z組だけは旧校舎にある。
Z組ではよく暴動が起きるし、何かが爆発するような音が聞こえるし、どこで誰が手に入れたのか
大きな鉛玉が旧校舎を無残に打ち抜いたことだってある。

あの時はもう旧校舎は取り壊されるものだと思っていたが、次の日、短い時間でどうやって修繕したのか
不明だが、完璧になおっていた。


「帰ろっと」

部活もしていなければバイトもしていない彼女は、だけれどすぐには帰宅しない。
一度、母に遊んで帰ってきてもいいのよ、あまり遅くならなければと言われたからだ。


それから、インドアな彼女は出来るだけ早く帰りたいのを何とか堪え、どこかで暇をつぶすようになったのだ。
今日は教室だが、クラスメートが教室に残っている時は自宅から離れた公園で時間を潰す。

冬は寒さを我慢さえすれば平気なのだが、厄介なのは夏だ。
暑いしべたべたするし、蚊に刺されるし。
それに、夏の公園と言えば若者のデートスポット。
そこに、制服姿の女子生徒がぽつんといれば、目立つものなのだ。


「あんた、こんな遅くまで残って何してんだィ?」」


母と入学前に一緒に選んだ革の鞄に荷物を詰めていると、この学校で……いや、近所でも有名な、
Z組の問題児が廊下からこちらを覗いていた。
とてもカッコイイがかなりの毒舌で、告白する女子はあまりいないとのこと。


「え、別に……何をしてるって訳じゃあ」


久しぶりの会話に、声のボリュームがわからなくなる。


「あんた、有名人だぜ。あのヤンキーの彼女だって」


有名人に有名人と言われ、何だか不思議な気持ちになる。
しかしそれよりも、彼女は自分以外に高杉晋助と付き合っていることを知っている人物がいることに、
驚きを隠せなかった。


「どうして知って……だって、私誰にも言ってないし、あの人だって言うはず――」


「出所なんてどこだっていいだろィ。と言うことは、噂は本当だってことか」


はぁーあと溜息をついた彼、沖田総悟は頭を掻くと、


「別れて損はねーぜ」


確かに、そうだろう。
しかし、彼女にとっては、例え会話がなくても、仲間……知り合いは、彼しかいない。
別れるという選択肢は、彼女にはない。




愛し君に、全ての感情を。










帰り道はもしかすると極楽浄土への道なのかもしれないと、先ほど沖田にもらったチロルチョコを見つめ、笑う。


茶色い包装に包まれた一口サイズのそれは、中にヌガーが入った駄作(沖田談)とかで、
いらないからと無理やりに近い形で手渡されたのだけれど。
しかし花は、迷惑なんてこれっぽっちも感じていなかった。

初めて、携帯電話のアドレスを交換できた!

未だにガラパゴス携帯を使っている花に沖田は笑い、週末に機種変更をしに行こう
とまで約束してくれた。

友達が本当にできた、お母さんに嘘の話をしなくて済むんだ、今日は。


自宅へ続く黒いアスファルト。
赤い夕暮れが全てをきらきらと輝かした。









「あのね、お母さん。お年玉使ってないでしょ私。だからさぁ……」


「何?おねだりかしら。珍しいこともあるものね」


言いにくそうに身がなくなったエビフライのしっぽを箸でつつきながら、
週末について母に相談する花の表情はいつもより柔らかく、お母さんと呼ばれた女性は
くすりと笑う。

「うん、クラスメートじゃないんだけど、あの、知ってる?公園前のコンビニでバイトしている沖田君って男の子」


「知ってるも何も、あの子有名よ」


話を聞けば何でも、沖田総悟という男はママさん達のアイドル的存在なのだとか。
本性を隠しさえすれば、あのルックスだ。モテるに間違いない。


「沖田君がね、私のケータイ古いし、機種変しに付いていってあげるって」


えへへ、と恥ずかしそうに笑う娘に、口に入れるはずだったプチトマトを皿に戻し、にやり。


「もしかしてあなた……彼氏ができたのね!しかもあの沖田君!お母さん鼻が高いわ〜」


それから残業が長引き遅くなった花の父親が帰ってくるまで、誤解は解けることはなかった。









週末


Tシャツにジーンズ、それにカーディガンを羽織って準備を完了した花に、しかし母はうんとは頷かない。


「本当にそれで行くつもり?もっと、こういう感じにしたらどう?」


「お、お母さん……もしかしてそれ、買ったの?」


洗面所で髪を梳かしていると、ハンガーにかかった真新しいワンピースを持って登場した母は、
娘の服装にがっかりしたようだ。


「だってその服、中学生の頃から持っているじゃない。
花にはこういう服が似合うと思うんだけど」


そんなの似合うはずないじゃん、とは言えない。
着ていかないとも、言えるはずがない。


言ってしまえば、母親の酷く傷ついた顔を見なくてはならないから。(その表情は、彼女にとって苦手なものの一つだ)
しかし花は知らない、その顔が演技だということを。


「わかったよ、でも……はー、沖田君に笑われないと良いんだけど」


「笑うはずないじゃないの、ほらほら早く着替えて行ってらっしゃいな。
夕飯は外で済ますんでしょ」


「お、おい母さん。夕飯って、まだ昼前だぞ。それに花は高校生だって言うのにそんなに遅く」


「もー。あなたったら頭が堅すぎるわよ。今の子わねー」


日々の残業疲れにやっと寝室から出てきた父をまた寝室に押し入れていく母の後姿を見ながら、
花は溜息をついた。










午前十一時、駅前集合


携帯電話で時間を確認すると、まだ十分前。
到着したのが十分前。

少し、早く来すぎたかもしれないと、人の多い駅前に早くもリタイア寸前。


秋晴れの空の下、友達同士の買い物や映画デートをしたのだろう、最新映画のパンフレットを
持ったカップル。
あまり外に出ない彼女は、休日の人の多さに圧倒されていた。


母がワンピースと一緒に買ってきたキャメル色のブーツを見ていると、男物のスニーカーが
花の前で止まった。
顔を上げると、キャップを被った沖田総悟。
制服姿しか見たことない私服姿の沖田は、知らない男の人に見えた。


「早ぇじゃねーかィ。待った?」


「あ、う、うぅん。全然……待ってない」


どうしよう、話が続かない。


そう、と言ったきり携帯電話を見始めた沖田に、来なければよかったかもと
思い始める。
周りはわいわいと楽しそうなのに、ここだけシンと静か。


「昼飯食べてねぇだろ、ここでいい?」


大きい画面に映し出された画像の店は、今、ティーンズに人気のレストランだ。
この間、夕方の情報番組でやっていたのを思い出し、うんと頷く。


「ここ、飯もうまいけどデザートもうまいらしいぜ」


暇になって携帯電話をいじっていたのだと思っていたけど、お店を検索していたのか。


ほっと胸を撫で下ろした花に、沖田は見られないようにくすりと笑った。



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