□第三話
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短い秋は駆け足で駆けて行き、冬が訪れた。


教室の窓は暖房で曇り、外の様子を窺うことはできない。
総悟が体育でグラウンドに出ているとのことで、
見事に決まるだろうシュートを見ておけと言われたのだけど、
これなら仕方ないだろうと諦め、黒板に目を移した。

あれから、登校下校、昼食、休み時間……全て、総悟と同じ時間を
過ごしている。

一度、クラスメイトから付き合っているのかと尋ねられたけれど
否定すればそれからはまた何も言われない、花に無関心
な日々が続いた。

静かな教室に、カツカツとチョークを黒板にた叩く音が響く。
風で、窓が小さく揺れている。


冷たい目をした生徒が一人、曇った窓ガラスを見上げていた。




昼休み

「なあ、どうして見ててくれなかったんでィ。五回はシュートしたんだぜ」


焼きそばパンに齧りつきながら不服そうな顔をする総悟に、早く機嫌をなおしてと
お母さん流秘伝のタレ付き唐揚げを勧めてみた。

あーんと口を開けて待っている総悟にやれやれと、フォークに刺した唐揚げを彼の
口に運ぶ。

青海苔が口に付いているがなんのその、おいしいとにっこりとほほ笑む総悟にほっと
胸を撫で下ろす。


「ごめんね、窓ガラスが曇って外が見えなかったから」


「そんなこと。拭けばいいだけだろィ」


そんなことと簡単に言うけど、授業中にいきなり窓ガラスを拭き始める
生徒を、クラスメイトはどんな目で見るだろうか。

そう言えば、あんたは気にしすぎと笑われてしまう。


「ここ、寒くねーかィ?これからは教室で食べねー?」


寒くなってきて、屋上で昼食をとるのは二人だけになった。
見上げれば、寒々しい青空が広がっている。

確かに寒いけど、この雰囲気は嫌いではない。
あの暖房ががんがんの、溶けてしまいそうな教室よりも
凍えそうな屋上の方が落ち着くからだ。


「ま、花がいいなら付き合うけどねィ」


「ん、ありがと」


ハンカチで口を拭ってやると、にっこりと笑う総悟がなんだか、いないはずの弟のような存在に感じた。












教室



「痛……」


授業中、ぼんやりしてしまったらしい。
配られたプリントで指を切ってしまい、ぽたりと白い紙に赤が落ちた。


ハンカチをポケットから取り出すと、ピンクのハンカチに青海苔。
思わず笑ってしまったけど大丈夫、誰も気づいてないみたいだ。


さっきの、沖田君の青海苔かぁ。


また、一人で小さく笑っていると、いつもは絶対に目が合わない人と
視線がぶつかる。

普段横顔しか見ない彼の顔はやはりとても綺麗だったけど、花を見るその目に宿るものは憎しみだと、そう感じる。



ど、どうして……。


教室は変わらずチョークの音が響いているというのに、クラスメイトが何人もいるというのに。

まるで、真っ暗な世界に二人だけが存在しているような。


え……何?


その世界の中、男は静かに女を睨むように見続けている。
しかしその静けさとは正反対に、内にある燃え盛る炎のような感情に花は後ずさった。


二、三歩下がった時、彼の、形の良い唇が動く。何かを伝えようとしているのだろうか、何故だか目を離せない。





ゆ る さ な い




「っ……」




そう、言っているように感じた。


真っ暗の世界の時間が、ぴたりと止まる音がした。
静けさが耳に痛く、ぎゅっと握った拳の中爪が刺さる。





「はい、ここ試験に出るぞ」


えーと、生徒の声が真っ暗な世界を元に戻し、ハッとする。
見渡せば教室がそこにあり、きちんと授業を受けているクラスメイトの姿。

夢でも見ていたのだろうか、晋助に目をやれば堂々と眠っている。
ほっと息を吐き、汗を拭う。


切ってしまった指先を見る。
傷口はピッと短い一本線で、そこから玉の
ような血がぷくぷくと溢れている。

と、その時だった。

ブブブと、スカートのポケットの中で携帯電話のバイブが鳴る。
以前の彼女ならば授業中に携帯電話を見るなんて行為はしなかったが、
(受信メールは家族のみで、こんな時間にメールが来ることはあり得ないが)
そのメールが誰からのものか確信めいたものがあり、先生にばれないように
こっそりと取り出す。


さきほどまでの寒気なんてどこに行ったのか、今の花は満面の笑みだ。
メールを読み、その表情が一層明るいものになる。


あ、やっぱり沖田君だ。
ん?今日の放課後かー。特に何もないよ……っと。


今までボタンをぷちぷちと押していた花にとって、
スマートフォンは使いにくいものだったが、毎日メールを
送信するようになってすぐに慣れた。


今日の放課後、用事はないかって……。
またどこかに連れて行ってくれるのかな、楽しみ!

指をぐっと吸い上げると、血は止まったが傷は残った。




愛し君に、仄暗い感情を。



放課後 駅前

「わ、こんなところにクレープ屋さん出来たんだね」


「フルーツが新鮮で、生地もクリームもうまいって評判なんだぜ」


へえと相槌を打ち、女の子たちで賑わう列に並ぶ。
移動式のクレープ販売店、車がそのままお店になっていて、ちょい悪風のおじさん二人が
手慣れた様子でクレープを焼いている。


「何がいいんでィ?俺はー、やっぱ王道のチョコバナナかな
あ、バニラアイス入れて、チョコソースかけてもらお」


「う、何だか沖田君慣れてるね」


もうすぐ彼女たちの番だというのに、未だに注文が決まっておらず、焦り始めた花に総悟はぷっと吹き出した。


さっきからそわそわとカーディガンの裾を掴む
彼女は、男から見れば庇護欲が湧くものだろう。もちろん、総悟だってその中の一人だ。


「どうしたの……って、」


「おー、可愛らしいアベックだねー。注文決まったかい?」



とうとう、花たちの番がやってきてしまった。(この表現に当てはまるのは彼女だけであって、総悟はやっと順番が来たと満面の笑顔)


この世の終わりでも来たかのような顔をする花にまたしても吹き出し、やんちゃをしてきたのだろう店員を見て、


「アベックって、死語だぜおっさん」


「かっかっか!いーねー坊主。若い奴はこんくらい活きがねーとな」


大きく口を開けて笑う男たちを前にしても、花は固まったまま動かない。
早く注文しろなんて言ったら慌てふためき、最後にはいらないと言い出しかねない。


この間、ベリー系のパイを食べていたし、イチゴでいいだろう。
それにカスタードとホイップクリームを増量してっと。
あ、チョコソースは必須アイテムだな、ストロベリーアイスクリームも追加かな。


代金を払う時に、一緒に割引券も渡す。


一年の、名前も知らない女の子に誘われたこの店だが、手にしていた割引券だけ頂戴してきた。

どうして初めて見た、知らない女とクレープを食べなくてはならないのか。

彼女は総悟が割引券を引っ手繰って背を向けた後、泣いていた様だがそんなことは関係ない。

大事な人以外、どうなろうが関係ないのだ。
そう、花以外、例え目の前で死んでしまったとしても「迷惑だな」と思うだけに違いない。

自分に自信がなくて、独りぼっちのかわいそうな花。
大事にしてきたからこそ言いだせなかった言葉を、あの男に言われたことが許せなかった。

と同時に、花のことも許せなかった。
どうして、断らなかったのかと。

どうして俺がいるのに、よりにもよってあの男なんだと、狂いそうになった。
いや、狂いそうになったのではない。
最初から狂っているんだ、俺達は。




「うあー、おっきすぎるよ食べきれないよ」


先ほどからぶつくさ文句を言う花だがしかし、口の端にクリームをつけながらそんなことを言ったって説得力がない。

それにそんな笑顔を見せられたんじゃ、自分の分までどうぞと差し上げたくなってしまうじゃないかと、チョコバナナクレープを齧りながら笑う総悟に、花は頬を膨らませながらも、その頬が落っこちてしまいそうなほど美味しいクレープをぱくぱくと食べ続けた。








「おいしかったねー、クレープ」


「花が男並みに食うっていうのもわかったし、いい機会だったと思うね俺は」


「あ、またそんなこと言って」


寒くなるにつれて、日が落ちるのが早くなった。
午後六時三十分、辺りは真っ暗で、公園にいるのは二人だけ。

以前ならばベンチに座るのは花だけだったが、今は総悟がいてくれる。

クレープを食べて冷えたはずの体だが、隣に総悟がいてくれるだけでとても暖かかった。


「今日ね……うぅん、やっぱりいいや」


「なんでィ、中途半端なやつは好かねーぜ」


「もう」


ぎゅっと鼻を抓まれる。
きっと変な顔になっている。


「あのね、」


言うまでやめてくれそうにないので、話し始めると
やっぱりすぐに鼻を抓む手を放してくれた。


「今日……」


高杉晋助は、花とは関わらないが、恋人だ。
晋助は彼女が一人ぼっちでも、何も関心を示さなかった人。

綺麗だとは思うが、好きとか、そういうのではないと思う。
告白された時だって、あまりに驚いて断る暇がなかっただけ。
総悟と出会った後の花ならば、きっと断っていたはずだろう。


「沖田君と同じクラスだったら、楽しかっただろうなって思って」


本当のことは言えなかったけど、嘘ではない。
総悟と同じ教室にずっといられれば、今よりもっと楽しいはず。

授業中でも総悟の背中を見ていれば、例えクラスメートが花を
見なくても寂しいなんて感じないだろう。


「俺は三年になってもZだろうからねィ、あんたが来たらいいじゃねーか」


「ははは……」


簡単に言うけれど、Z組と言えばヤンキー達の集まり。
しかし、総悟を見ていればそんなことないのではないかと思う。

総悟はとても優しいし、よく気がつく。花を決して
一人にはしない。


「あ、手が冷えてる」


そう言って、彼女より大きな手で優しく包み込んでくれる。
じんわりと、手も心も暖かくなっていくのがわかる。


「それに、鼻も真赤だぜィ」


「沖田君のせいでしょ」


本当は、晋助のことを相談したかった。
相談して、別れるのにはどうしたらいいか、聞いてみるのも
いいと思った。
総悟はあまり、晋助のことを良い風には思っていないようだが、
別れ話となれば乗ってくれるだろう。


「明日も迎えに行くから」


そう言って立ちあがる総悟の背中は、とても大きく見える。
こんなに頼ってしまっていいのだろうか、だけど。
この人から離れるなんて考えられない。

これは恋心ではない、友情なのだろう。


「でも、明日は雨だよ。横殴りの雨って言ってたし」


「雨だからって、それがどうしたって言うんでィ。関係ねーだろ」


迎えに来る本人が関係ないと言うなら、関係ないのだろうが。
外にいる時間が長いだけ、雨に濡れてしまうじゃないか。
今は冬、濡れれば凍えてしまうのでは?
そう言うと、背中を向けていた総悟がこちらに向き直った。


「雨に濡れたって病気になんざならねーやィ」


ふぅん、そう。と、その話はここで終えることにする。
総悟は、あまりしつこくされることは好きではなさそうだし、
彼がそう言っているのだから、好きにさせることにした。


「ところで、」


手を引っ張られ、総悟の隣に並ぶ。
真っ暗な公園にひっそりと佇む街灯が、総悟の瞳をキラキラと輝かせる。
その瞳の中に吸い込まれて行きそうで、ごくりと息をのんだ。


「あいつはいつまでついて来るんでィ」

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