□第八話
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一緒に見たいものがあるのだと、そう言ってくれたのは
いつの時代のことなのだろうと、夢枕に立つ男にそう思う。


夜明けのまだ暗い部屋の中、はっきりと姿を現す男は血だらけだ。
どうして血が出ているのか聞けば、小指が欲しかったのだと言う。

どうして泣いているのかと聞けば、小指をくれた女が――






「はぁ」


また、あの夢だ。
起きるたびにそう思う花の溜息は、日に日に大きくなっていく。

体がどんどん重くなり、着信を知らせる携帯電話のぴかぴか光るライトに
気も重くなる。
相手は多分、いや確実に総悟だろう。

総悟は花が傍にいない間、頻繁にメールを寄こす。
一体何をそんなに知りたいのだろうと、頭を抱える。

ふと横を見れば、以前より少し痩せたように見える女が
全身鏡に映っていた。





「おはよ」


「おはよ、メール気づかなかった?昨日はやけに早く寝たもんだねィ」


「最近、何かと疲れててね」


家を出れば忠犬のように花を待つ、総悟の姿。
底冷えする寒さだと言うのに、必ずいつもそこにいる。

雨の日も風の日も、必ずそこにいる。
大変だから来なくていいとやんわり言えば、脅しのように
走る自傷行為。
手首に巻かれた真新しい包帯が、ちらりと見える。

青空の下それが異様に見えて、知らずに溜息が洩れる。


「どうしたんでィ、溜息なんかついて。
幸せが逃げちまうぜ」


「そうだね、ほんと、逃げちゃいそう」




総悟に気づかれないように振り向くと、少し向こうに
銀色が見えた気がした。







夢が最近、よりはっきりと見えるようになってきた。
それは起きれば忘れるものだったが、前とは違う。
少しだが、誰のことだかわかる。

あんな髪の色した男は、知人では少ない。
夢の中の男はその人ではないのかもしれないが、
花には何故か確信というものがあった。

着ている服や歳は違えど、その人と彼を間違えるはずはない。



「坂田君」


「あ、……よっ、なーにしてんの、こんなとで。
もしかしてナンパ待ち?」


放課後、晋助に一人で帰ると告げ、駅前を歩く。
この喧騒の中、眠りたくない男がいると思ったから。
案の定銀時はあのベンチに座っていた。

冷たい、石でできたベンチは座ると少しずつ体温を奪っていく。
こんなベンチに冷たさなんて気にしないように座っていられるなんて、
総悟とはまた違った異常さがある。


「そんな訳ないでしょ。……冷たくないの、このベンチ」


「んー……。俺、冷たいの平気なのかもしんねぇ。
冷てぇとか感じねーし」


「ふーん」


その割には、鼻が赤いよ。
そう思ったが言わなかったのは、やはり銀時が病人面のままだからだ。
前に、あんパンをたくさん食べた銀時、甘いものが好きなのだろう。
ここは、カフェで甘くて温かいものでも奢ろうか。

そんなことを考えていると、隣の男は立ち上がり花を見る。
その目がいつもの面倒そうなものではなく、はっきりとした意思のあるもので、
花はごくりと唾を飲み込んだ。


「夕焼け、見に行かねぇ?」


「……夕焼け?」


煩い駅前、銀時の声がやけにはっきりと聞こえる。


「おう、夕焼け。お前、好きじゃなかったっけ?」


そんなこと言った覚えはないと、答えはしなかった。
二人で日が沈む様子を見れば、何かを思い出せそうな気がしたから。


彼が差し出した冷たい手を取ると、銀時は少しはにかんだ。











夕焼け小焼けの赤とんぼ

赤とんぼは真冬の海辺にはいなかったが、さざ波の音色が耳に心地よい。
冷たい風が吹く砂浜には、銀時と花の二人しか存在しない。
遠くの方で、小さく船が見えるだけだ。

砂浜に座る、隣には銀時。
大きな赤い太陽が、少しずつ海に消えていく。

空は赤と青と、それに薄紫色。

この一日の内の僅かな時間帯、銀時といることは悪くないと思う。
それが晋助や総悟ではなく、銀時がいいと思うのは何故だろうと考える。

隣の銀時を見る。
彼は、沈みゆく夕陽を見続けている。何を考えているのかわからない。

総悟のことは好きだ、だけどそれが異性としての好きかと問われれば、
イエスとは答えにくい。
晋助にしても、同じことが言える。

しかし、銀時はどうだろうか。
すぐには、答えられない。

夢に出てくる、血だらけのあの人。
あの人は小指を、彼女を大切にしてくれたのだろうか。


「あの赤い花、名前なんだっけか。
忘れちまった」


「老いぼれが、大切に育てた冬の花」


あっという間だった。
銀時が立ち上がり、だけど一歩遅くて。
何かを取ろうと腰に手を当てた彼が、あ、と声を出す。
そこにない何かを取ろうとした手は何も掴めず、銀時の頬に夕陽のように真っ赤な液体が飛ぶ。






赤い花の名前は、椿だよ。

質問に対する答えは、叶いそうにない。
熱いと、そう感じた。
こんなに寒いのに不思議だと、赤い空が彼女を見下す。


だから、忘れさせたんじゃないか。


笑う夕暮れは、男の叫びに掻き消される。



次があるのなら……
次なんてあるのだろうかと、耳しか機能しなくなった体で考える。
でも、次があるのなら。
あの男を、泣かせはしない。



愛し君に全ての感情を捧げると、あなたは言いました。
一章 終わり。
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