春うらら.

□第六十三話
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仁王さんが倒れたらしい。部室で詰め将棋をしていたら「仁王が倒れた!」と丸井さんが知らせてくれて、慌てて保健室に向かったら幸村さんがいたので、走り寄る。

「ゆ、幸村さん!あの、仁王さんが倒れたって聞いて…!」
「あぁ、ブン太から聞いたの?」
「はい。で、あの、」
「そんな焦んなくても大丈夫だよ」
「えっ」
「ただの寝不足だって」
「ね、寝不足…?」

呆れた視線を向ける幸村さんにつられるようにベッドを見たら、スヤスヤ眠る仁王さんがいた。顔色も普通だし、うなされている様子もない。本当にただの寝不足だったようで気持ちよさそうに眠っていた。

「な、なんだ……良かったぁ……」
「良くないよ。もうすぐ全国だっていうのに体調管理も出来ないなんてバカじゃないの?」

ホッと胸をなで下ろす私とは裏腹に幸村さんはお怒りのようで、眠っている仁王さんの耳をギュッとつまんで顔を揺さぶっている。
せっかく寝てるのにそんなことをしたら起きちゃうんじゃ、とハラハラしたが意外にも眠りは深いらしく起きる気配はない。

「チッ。全然起きない」
「たぶん、疲れてるんですよ」
「コイツだけ倒れるほど疲れてるとかありえないんだけど。みんな同じ練習してるんだからさ」
「そ、そうですよね……」

幸村さんの言うこともわからなくはない。確かに練習はハードだろうけど、丸井さんも幸村さんも柳生くんもみんな同じ練習をしているはずだ。なのに仁王さんだけ寝不足になるほど疲労困憊するのは少し変な気もする。……まぁ、夏だし、暑さが苦手な仁王さんだからいつもより疲れやすくなってたのかな。
そんなことを考えていたら幸村さんに声をかけられた。

「名無しのさん」
「?」
「俺、そろそろ練習に戻らないといけないから起きるまで一緒にいてやって」
「え、あ、はい」
「先生は職員会議なんだって。先生が戻ってきたら帰ってもらっても大丈夫だけど…」
「起きるまで待ってます」
「そう?…じゃ、よろしくね」

ヒラヒラ手を振る幸村さんを見送って、ベッドの横にある丸椅子に腰掛ける。
それにしても焦ったなぁ。本気で心配したよ。寝不足とか…体調不良じゃなくて安心したけどさ。ちゃんと寝ないとダメだよ。
声をかけるわけにはいかないので心の中で呟きながら仁王さんのほっぺをつつく。さっきあれだけ幸村さんが揺さぶっても起きなかったのだから、プニプニするぐらい大丈夫だろう。
私みたいに丸顔なわけでもないのにこんなに柔らかいとは…。相変わらずまつげは長いし、鼻筋は通ってるし、口元にあるほくろはセクシーだし。ほんとイケメンだなぁ…………あ、なんか、ドキドキしてきた。
パッと手を離したが遅かった。さっきまで平気だったのになぜかドキドキが止まらない。セクシーとか、イケメンとか、考えるんじゃなかったと思いつつ、仁王さんの顔を見たら唇が目に入って、慌てて目をそらしたが、さっきより激しく心臓が反応し始めた。
微かに開いた湿った唇に、セクシーなほくろ。目の前にある実物と、この前のキスの雨のことを思い出して、無性にキスしたくなった。
うわぁぁ…!私ってばなんて変態なんだ。ダメダメ。仁王さんは倒れたんだってば。キスしたいなんて考えちゃダメ。寝かせてあげなきゃいけないの。ダメダメダメダメ。
そうは思うのに、アレだけ揺さぶっても起きなかったんだからコッソリしちゃえばバレないんじゃね?、という邪な考えも浮かぶ。チラリと仁王さんを見れば、さっきと変わらずスヤスヤと眠っている。もう一度、プニプニとほっぺをつついても、目の前で手の平を動かしても、ピクリとも動かない。
パッとしてパッと離れればバレないかな…?寝込みを襲うなんて人としてどうかしてると思うけど、こんなチャンスもうないだろうし…………

気が付けば、ソッと枕元に手をついて、顔を近づけていた。ドキドキし過ぎて自分の心臓の音で仁王さんが起きてしまいそうだ。ギリギリまで近づいて、どうか起きませんように、と心の中で呟いて目を閉じようとした瞬間、仁王さんの目が、開いた。


「………」
「…………名無しちゃん?」
「うわあああ!ごめんなさいいぃぃぃ!」

飛び退くようにして離れる。ヤバい。起きた。自分変態過ぎる。恥ずかしい。死にたい。色んなワードが脳内を飛び交うが、何一つこれぞという言い訳は思いつかない。何してたって聞かれたら私もうお終いだよ…!

「名無しちゃん」
「ごめんなさいいぃぃぃ!」
「いやいや、何謝っとんの」

寝込みを襲ったからですごめんなさい、とは言えない。仁王さんに、なぜ俺はここにいるのかと聞かれたので、どもりながらも説明する。

「に、仁王さん、部活中に倒れたんだよ。先生は寝不足だって言ってたみたいだけど…」
「…あー…」

なるほど、と納得したような返事?声?が返ってきた。寝不足の原因に心当たりでもあるのだろうか。と考えていたら、名前を呼ばれて思わずビクッとしてしまう。

「さっき何しとったん?」
「えっ」
「俺が寝とった時、何しとったん?」

ああああ…!ヤッパリ聞かれるよね…!そうだよね…!あーもー、どうしよう。正直に言うしかないけどドン引きされたら泣くかも…!
自分でも顔が真っ赤になっているのがわかる。仁王さんは観察するかのようにこっちを見ていて、怒っているのかどうかわからないから、すごく不安だ。でも黙っているわけにもいかないので、ゆっくりと口を開く。

「ま、丸井さんから仁王さんが倒れたって聞いて」
「うん」
「慌てて保健室に来たら、ただの寝不足だって言われて」
「うん」
「一安心して、仁王さんの寝顔見てたら…」
「うん」
「そ、その、………したくなって…」
「うん?ごめん、聞こえんかった」
「うっ。……あの、その、ちゅ、ちゅー、をし、したくなってしまって、ぼんやり見てたら、無意識に顔を近づ、け……う、うわあぁぁ!ごめんなさいいぃぃ!」

恥ずかしさの限界に達して土下座せんばかりに謝ろうとしたらグイッと腕を掴まれ、抱き寄せられた。突然のことに困惑していたら視界いっぱいに仁王さんの顔が広がって、あっという間に唇が塞がれていた。

「んぅ…!」

声が出たが塞がれているため、うめき声にしかならなかった。自分が想像していたキスとは違う、激しいキス。どうすればいいのかわからないから、されるがままだ。心臓がドキドキして苦しい。息の仕方もわからない。でも、すごく幸せな気分。人の唇ってこんなに柔らかいんだなぁ。

「…ふ、……ぅ」

どうにか息をしたくて、少し唇が離れた瞬間に息を吸おうとするけど、すぐにまた塞がれてしまって、変な声が漏れるだけ。その声に反応するように仁王さんのキスもどんどん激しくなってくるから、本気で酸欠状態になってきた。少し名残惜しいけど離してもらおうと肩をタップするも仁王さんは気が付いていない様子。ヤバい…。このままじゃ死ぬ…。仕方ない、ごめん、仁王さん…!

「いたたたた!」
「っぷは!…ハァ、ハァ」

肺いっぱいに酸素を吸い込む。肩で息をしていたら仁王さんと目が合ったので、髪の毛を引っ張ったことを謝ろうとしたら、真っ青な顔の仁王さんに逆に謝られてしまった。

「ごめん!ごめん名無しちゃん!ほんまごめん!」
「えっ」
「ごめん!こんなことするつもりじゃ…ほんまごめん!」
「………えっと、何について謝ってるの?」
「え、いや、何って……」
「ちゅーしたことで謝ってるなら、それは謝らないで」

え、とびっくりしたような顔をされた。やっぱりキスのことで謝ってたのか。でも、そんなことで謝らないで欲しい。だって……

「私も、したかったから…」
「!」
「へへへ、嬉しい…」
「う、え、でも、髪の毛…」
「え?…あぁ!ごめん!痛かったよね?息が止まりそうだったから、つい…。仁王さん肩叩いてもやめてくれなかったから…その、ごめんね」

嫌だったわけじゃない。むしろ嬉しかった。息さえ出来ればまだまだしてたかったんだよ。と言いたいけれど、それはさすがに恥ずかしいので、ごめんね、の一言に色んな気持ちを込めた。

その後、なぜかスイッチの入った仁王さんにひたすらキスされて大変だった。いつまでもキスしてたがる仁王さんをなだめて練習に送り出したが、コートのそばで般若の顔をした幸村さんが仁王さんを睨みつけるのを見て、あぁ今度は練習のし過ぎで倒れるな、と思った。

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