庭球のお話

□二本目
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自分がこんなに臆病じゃったとは思わんかった。

カーディガンを返す。簡単なことなのに本人に手渡す勇気が出なかった俺は、カーディガンを彼女の椅子に掛けてこっそり返すことにした。なんと言って返せばいいのかわからなかったのだ。彼女の前で、彼女に向かって話すだなんて、声が震えて言葉が詰まる自分が容易に想像出来て、直接返すのは諦めた。でも、彼女がせっかくくれたキッカケを無駄にするのも惜しかったから、カーディガンのポケットに『カーディガンありがとう、助かった。仁王より』と、ノートの切れ端に書いた素っ気ない手紙を入れておいた。返事は期待しなかった。いつか勇気が出ればカーディガンを話のネタにして話しかけよう。そう思っていた。

カーディガンを返した次の日。机の中に手紙らしきものが入っていた。表には『仁王くんへ』と書かれている。自分宛ての手紙。ラブレターではなさそうだ。だって、ノートの切れ端に書いてある。告白するのにこんな味気ないものに書かないだろう。普段ならこんな手紙、たとえラブレターらしきものであっても目を通さず捨てるのだが、今日は違う。手紙の『仁王くんへ』を見た瞬間から心臓がうるさい。もしかして彼女からの返事だろうか。あんな手紙に返事なんてしないと思っていたのに。教室で読むのが嫌だったので、手紙を持って屋上へ。屋上に誰もいないのを確認してから、ゆっくりと手紙を開くと、小さな切れ端に、綺麗な文字が並んでいた。『あんなところで寝たら風邪ひくよ。名無しのより』。名無しのの文字を認識した途端、自分の口許が綻ぶのがわかった。教室で見なくて良かった。手紙を見て一人で笑っているのを彼女に見られなくて良かった。あまりに嬉しくてなかなか顔が戻らず、結局教室に戻ることが出来たのは一限目が終わってからだった。

その日から彼女との文通が始まった。最初は一言づつだったやりとりも、日に日に行数が増えていった。手紙の余白に某ゆるキャラの絵を書いた時は、よほどその絵を気に入ったらしくいつもより返事の行数が多くて、それから余白に何か絵を書くのが決まり事になった。最近のお気に入りは猫とチューリップの絵だ。
文通をするようになってから中庭には行かなくなった。冬になって外で過ごすには寒くなってきたし、幸村に「いつまでもサボってたら怒るよ」と言われたからだ。あの鼻歌を聞けなくなるのは寂しかったが、彼女に盗み聞きしているのをバレたくはなかったし、文通もしていたから、特段不満を抱くことはなかった。

基本的に手紙の内容は、今日の数学難しかったとか、購買のコロッケパンが美味しいとか当たり障りのないものばかりだったが、自分が返事を書くときは必ず最後に疑問符がつくようにした。その方が彼女も返事を書いてくれると思ったからだ。その甲斐あってか彼女から返事が途切れることは無かったし、色々質問に答えてくれたおかげで今まで何も知らなかった彼女のことを知ることが出来た。たまに向こうから、仁王くんは数学得意?とか、好きな食べ物は?とか聞かれると彼女も自分に興味があるのだろうかと、嬉しかった。

手紙の中の彼女との距離は縮まっても、現実の彼女との距離は変わらなかった。教室で会っても話しかけないし、話しかけられない。相変わらず、彼女を見つめてはいたけれど、目も合わなかった。何度か話しかけようと試みたことがあったが、その度に自分の手が無様に震えているのを感じて最後の一歩を踏み出すことが出来なかった。

ある冬の晴れた日。その日は幸村が検査通院の日だと言うので、いつもより早めに部活が終わった。彼女はまだ残っているだろうかと、久しぶりに中庭に足を向けた。あの鼻歌か、もしくは姿を一目見たかったのだが畑の方には人影が無く、もう帰ったのかと落胆しながら中庭を去ろうとした時、少し離れた所から彼女が歩いて来るのを見かけた。大量の藁を両手に抱えてゆっくりと歩いてくる。これは声をかけるチャンスじゃないか。大変そうじゃな、持つぜよ。そう言えば彼女と話せるんじゃないか。こんなチャンスもうないかもしれない。震える足を諌めながらゆっくり彼女に近付く。俺が近づいてるのに気づいた彼女がキョトンとした顔で見つめてくる。彼女の目に自分が写っている。心臓が激しく打って、手汗まで出てきたが悟られてはいけない。テニスで鍛えた詐欺師の技でいつも通りの飄々とした自分を演じろ。

「大丈夫か?大変そうじゃな」
「うん。持ちすぎちゃった」
「貸しんしゃい。持っちゃる」
「わ、ごめん。ありがとう」

断られなかった。それがひどく嬉しくて泣きそうになった。受け取った藁の匂いを胸一杯に吸い込んで深呼吸を繰り返してどうにか涙を抑え込む。ゆっくり歩いて畑へ。

「ここでえぇか?」
「うん。ありがとう、助かったよ」
「ん」

初めて自分に向けられた彼女の笑顔。この場を離れたくない。それだけが頭を支配して気が付けば口が勝手に動いていた。

「手伝う」
「え?」

首を傾げる彼女を見てハッとした。何を言うとるんじゃ。慌てて取り繕おうとしたが、彼女がパッと笑顔になった。

「本当?」
「え」
「手伝ってくれるの?」
「う、ん。名無しのが迷惑じゃなかったら…」
「迷惑なんて!助かるよー!私一人で今日中に出来るか心配だったんだ!」

にっこりと歯を見せて笑う彼女。歯と髪の毛が夕日を反射させてキラキラ光っている。心臓がギュゥッと締め付けられる。苦しいはずなのにずっと見ていたくなるような綺麗な笑顔だった。

それから彼女の手伝いをした。この大量の藁を畑に敷いて土を寒さから守るそうだ。黙々と作業をしたので特別何か話したわけではなかったが、彼女の側にいれただけで特別な存在になれた気がして、心臓の辺りがフワフワした。

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