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□異邦人
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「私は“ジプシー”…、一つの場所に留まる事はないわ。それは男に対しても同じ…」
彼女は胸ぐらを掴んでいたオレに手を重ね、朱を落としたような唇までをもオレに重ねる。
「!……」
仄かに香る甘い匂いと口吻けに、彼女の胸ぐらを掴んでいたオレの力が抜ける。
「……」
「……」
時が止まったかと錯覚してしまいそうなほど、長い一瞬だった。
「…私には世界各国にボーイフレンドが居るわ。…そして私は彼らすべてにキスをするの」
唇を離して彼女が言う。
「…一つに留まる事は出来ないけど、私は彼らを愛してる」
「……」
「…この空の下の何処かに、その人がいる限り…、ね」
そう言って微笑んで、何事も無かったかのようにオレをすり抜ける。
「……」
だから言えないとでも云いたいのか?
漆黒の巻髪と華奢な肢体を包む衣を風に靡かせ、遠ざかってゆく後ろ姿を引き留める事もできず、オレはただ見送る事しか出来なかった。
「……」
やがてその姿は人混みの中へと消え、微かに残った彼女の匂いだけがオレの鼻を掠める。
「……イタチ」
アンタもこうして彼女を見送ったのか?
そしてアンタも、彼女が愛し続けている男の内の一人なのか?
「……」
答えは分からないが、きっとアンタもオレも、この暗い闇の中で見つけた“ジプシー”という異質な存在に魅せられた事だけは確かなんだろう。
「……」
異国の地で見つけた“ジプシー”
再びアンタを見つけるのはオレか、それともイタチなのか…
オレがその答えを知るのはもう少し先の事だった―
END