短編

□奴はヒキコモリ。2
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奴はもう二ヶ月も学校に来ていない。

クラスの連中は、もう奴のことなんて気にも止めてなんていない。

もう二ヶ月も経ってしまっていたからだ。

普通なら、奴のことなんてもう忘れてしまっているクラスの連中の中にオレも換算されるだろうが、

たぶん、

ーいや、きっと、

クラスで奴のことをこれほど忘れていない、ましてや気にかけているなんてのは、オレだけだろう。

クラスの連中は絶対に知らない、

ーオレと奴との関係。

オレがあの日、無理矢理奴の家に行かせさせられたわけだから、クラスの連中は、オレが奴の家に行ったことは当然に知っている。

あの日後、クラスと先生はオレに嵐のように質問攻撃をぶちまけてきたわけなのだから。

奴について色々聞かれた。

聞かれることに淡々と答えると、連中は分かっていたというかのような反応だった。

それを見た時、オレは`奴´という存在はやっぱりこれくらいのものなのかと改めて思わされた。

何だか妙に苛ついた。

ちょっと前までオレも、奴のことなんてどうでもいい、みたいな態度をあからさまにとっていたくせに。

だけど、妙にすごく苛ついた。

こんなことを思ったことなんて今まで一度もなかったが、その時は、オマエらなんて一回くたばっちまえ、だなんて思ってしまった程。

それくらいオレは奴に囚われていた。

その時に、嫌という程思い知らされたのだが。

オレは今奴にすごく依存してしまっているのだ。

それも、認めたくない程。

クラスの連中は知らない、

ーオレと奴との関係。

それは、ずばり、

オレは、奴の家に初めて行ったあの日から、奴の家に毎日(と言っても平日だけ)通っているということだ。

奴がもう二ヶ月学校に来ていないのならば、

オレは奴の家に通い続けて、もう一ヶ月が経ったということになる。

オレはもう一ヶ月も奴の家に通っているのだ。

そして、それは今日も実行するし、これからだってきっとそうだろう。

自分でも驚く。

ーオレは、

一体何をしているのだろうかー。









奴はヒキコモリ。2
作・太太郎k









[あら、坂野君、いらっしゃい。]

[おじゃまします。]

今日も当たり前のように、オレは奴の家に堂々と来てしまっていた。

もう何だろうか、これは、うん、日課ってやつだな、うん。

奴の母ももう当たり前かのように、オレを笑顔で迎え入れる。

そして、やっぱりコーラを当たり前のように出してくれる。

何だ、これは。

[本当に、いつもいつもごめんなさいね。坂野君も忙しいだろうに…]

[いえいえ、全然大丈夫ですよ。オレだって…好きで来てるんで。]

こんなやりとりも、いつも通りだ。

奴の母は、いつもオレに申し訳なさそうな顔をする。

だけど、オレが来た時の奴の母の顔は、いつもものすごく笑顔なので、オレは逆にこの家に来ないということがとてもしにくい。

それも、とても。

頼られてると思うと、放っておくことはできないし、なんせ、頼れるのはオレしかいないのだ。

もう、これは、来るしかないだろう。うん。

[ーで、今日配布されたのはこのプリントです。もうじき文化祭なんで、それのお知らせです。]

そう言って、オレは鞄から一枚の紙を取りだし、奴の母に差し出した。

[ああ、文化祭ね。この時期のメインイベントはやっぱり文化祭よねぇ。]

プリントを受け取った奴の母の顔が少し濁った。

予想はしていたけど。

[…あの…文化祭来れますか…?やっぱり、学級委員としては、クラスのみんなで参加してほしいので…]

こういう時、学級委員というワードはとても役立つ。

好きでなったわけじゃないけど。

[…そうよね…文化祭は大切なイベントよね…]

奴の母の顔がどんどん濁ってくるので、オレは何だか無償にかわいそうに思えてきてしまった。

やっぱり言わない方が良かったのだろうか…でも、言わないのもおかしいし…

[ーでも、坂野君は出るから、私行こうかしら。坂野君のクラスは何をするの?]

オレが少し困った顔をしてしまっていたのだろうか。

奴の母に気を使わせてしまったようだ。

[あ、えっと、オレらのクラスはダンスをするんです。これから練習するんで、今からでも全然間に合うんで、来ていただきたいな…と思って…]

こんなことを言っているオレだが、奴が文化祭なんかに参加しないであろうことなんか分かりに分かっていた。

それは、きっと、

奴の母も同じだろう。

もう二ヶ月も学校に来ていないのに文化祭に来るだなんて、そんなことできるわけがない。

今から来れば、ダンスの振り付けを覚えることはできるが、そういう問題ではない。

精神的にキツいのだ。

いくら何でも、キツすぎる。

そんなことを分かっていても、オレが奴を勧誘するのは、ただのここに来るための理由にすぎない。

こう言っていれば、今日オレがここに来た意味が証明されるわけなのだから。

[そうよね。今日もわざわざありがとうね、坂野君。]

奴の母は、優しい笑顔でオレに笑いかけた。

この笑顔を見ると、オレはほっとする。

本当に、ほっとするんだよな。

[では、ちょっと二階へ上がらせてもらいます。]

[…ごめんね。本当に、ありがとう。]

オレはソファから立って、慣れているように、ひたひたと廊下を歩いて、とたとたと階段を上って、奴の部屋のドアの前に立った。

一ヶ月前、初めて奴の家に来た時から、オレは奴の家に来たら、必ず奴の部屋のドアをノックすることを決めた。

一ヶ月間ノックし続けたが、返事が返ってきたことは、まだ一度もない。

返事が返ってきてほしい。

ーとは、思ってはいるが、そんな日が来るとは、正直みじんも思っていない。

奴が奴の母に対して返事をするならまだしも、ただのクラスメイトでしかないこのオレに返事などしてくれるだろうか。

してくれるはずがない。

オレらは、本当にただのクラスメイトなだけで、話したことがあるかどうかも分からないくらいの無関係なのだから。

そんな無関係なオレに対して、奴は返事をするどころか、逆にこんなオレに対して無償に腹が立っているに違いない。

友達でも何でもないヤツがなぜ毎日毎日自分の家に来るのだろうか、とオレを疎ましく思っていることだろう。

それでも、オレが奴の家に毎日毎日足を運ぶのは、さっきも言ったが、正真正銘オレが奴に囚われてしまっているからだ。

オレは奴に依存してしまっている。

そんなことは、分かっている。

分かりきってしまっているのだ。

オレは、いつもするように、一回深呼吸をしてから、目の前のドアに手を伸ばした。

右手で拳をつくり、ドアをこんこんと二、三回叩いてやる。

こんこんこんっ

[………。]

当然のように、ドアからは返事など返ってこない。

ー奴は何も言わない。

それを確認してから、オレはドアを離れ、階段に足を踏み入れた。



[………ねぇ、]



確かに聞こえた。

微かだが聞こえた。

小さな小さな声だったが、

それは、確かにドアから聞こえてきたものだった。

その瞬間、オレの体からはぶわっと大量の汗が一斉に滲み出た。

オレは、もうとにかく訳が分からなくなって、取り敢えず階段を下りるのを止め、奴の部屋のドアの前へと戻った。

手足がぶるぶる震えていた。

口の中では、上下の歯と歯がお互いにがちがちとぶつかり合っていた。

どうしていいか分からない意味不明な気持ちが溢れ出してくると同時に、絶えずオレの体からは汗がだらだらと溢れだす。

オレは、もう汗でべとべとだった。

シャツに汗が滲み込んで、オレの肌がほんの少し透けていた。

オレの目や鼻や口の上も、もう汗で濡れていた。

目が廻った。

訳が分からなかった。

今、自分に置かれている状況がまったく理解できない。



[……何で…毎日…来るの…?]



また聞こえた。

ドアの向こうから。

奴がしゃべったのだ。

今、現に今、

奴は返事をしたのだー。

ーこのオレに。

[…………、]

何か言おうとはするが、口が動かない。

口はただただパクパクしている。

手足だって震えたままで。

汗は溢れ出してくる一方で。

オレは、何だか吐き気がしてきた。

がちがち震えている口の奥から何かが出たがりそうにしている。

こんな気分を味わったことなんて一度もないから分からない。

どうすればいいかなんて、オレには分からないのだ。

しゃべれない。

何かを言わなければならないと思い、必死で頭の中で台詞を考えてみたが、肝心な口が動かない。

オレは、ただただその場で立っておくことしかできなかった。

しばらくオレと奴の間に沈黙が降った。

とてつもなく奇妙な沈黙だった。

しばらく経ったので、オレも大分落ち着いて、今置かれている状況だけでもきちんと把握できた。

ふう、と小さく息を吐き、オレはゆっくりと口を開いた。

しゃべれるくらいには冷静になった。



[………ありがとう。]



またもや聞こえた。

しかも、それは今しゃべろうとしていたオレの声ではなかった。

聞こえるはずのない声。

正しく、

ー奴の声だった。

`ありがとう´

はっきりと、

はっきりと、そう聞こえたー。

その瞬間、オレはもうこの場から逃れたくなった。

オレはとっさに階段を降り、玄関へと無我夢中で走った。

そんなオレを見て、奴の母が、どうかしたの?、と心配そうに聞いてきたが、オレは適当に、大丈夫です、と言って、靴を履いて、ドアを開けた。

[…また、来ます。]

それだけ言って、オレは奴の家を飛び出した。

一体何が起きたのか分からない。

何だか無償に変な気分だ。

とにかくオレは走り続けた。

このまま足を止めると、考えたくないことまで考えてしまいそうだったからー。

とにかくオレは走って走って、走った。






家に着いたオレは、とっさに自分の部屋へと飛び込んだ。

そのままベッドにダイブした。

オレはシーツにうずくまった。

そうでもしないと、何かにすがりつかないと、オレは自問に殺されてしまう。

ーそう思ったから。

走ってきたオレの心臓はまだバクバクいっていて、呼吸もままならない。

オレはしばらく、ぼうっとした。

[………。]

ぼうっとしていると、オレの目辺りが無償に熱くなってきた。

あ、と思った時には、それは溢れ出た。

今、オレの目からは涙が溢れ出しているのだ。

オレは今泣いていたのだ。

なぜ泣いているのかを考えようとすると、それはポロポロと溢れ出た。

オレの頬を伝い、オレの拳の上にポタリと落ちた。

それがしばらくずっと続いた。

オレは泣いた。

ものすごく泣いた。

その日は、無償に泣き続けた。
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