P3P 〜異邦人の願い〜
□壁
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誰にでも、死は訪れる。ただ、それは早いか遅いかの差だと、あれは誰の台詞だっただろうか。
桐条御用達の病院(?)辰己記念病院。病室のベッドで点滴に繋がれた夏帆は、うろ覚えの記憶を頭の中で反芻していた。
初めてのタルタロス探索から何日過ぎたのか。壁に掛かった時計によれば、早朝5時30分。夏帆は意識を取り戻した。
ベッドの傍では、店主が椅子に腰掛けて眠っている。普段は滅多に眼鏡を外さない店主は、ワイシャツの胸ポケットに眼鏡をしまって穏やかな寝息を立てていた。
……生きていた。自分は死んでいなかった。安堵もあるが、夏帆の胸の内を占めるのは、安堵感以上の疑問だった。
あの時の痛みと諦めは、忘れようがない。この程度の力しか無かった、と諦めてしまったのだから、助かる要素は皆無の筈。
(――アストライア)
店主を起こさないよう、意識だけで半身を呼ぶ。
夏帆の意思を汲み取ったアストライアは、召喚時よりも静かにベッド脇へと姿を見せた。
(なんで、うちは……生きてる?)
本来なら喜ぶべきこの問いも、今は夏帆の気分の問題であって意味は無い。半身は変わらず無言で、いつも通りスルーされて終わるのか、と特には気に留めない。
しかし、今回は違った。アストライアは一度視界から消えたかと思えば、備え付けのチェストに置かれた夏帆の携帯電話を差し出してきた。
「携帯? てか、あんた物に触れたのか……」
純粋に驚く。だが、刈り取る者との戦闘から桜達を逃がす際を思い出して納得がいった。
オルフェウスやイオ、ヘルメスが自分達の主を連れて逃げたのだから、そう難しくないかも知れない。
「ま、こんな仮説は置いといて、だ。メール来てる?」
頷いたアストライアから携帯を受け取り、待ち受け画面を開いた。メール5通、着信3件。
「桜に順平、ゆかりからか……。ん? 真田先輩からもだ」
着信履歴は、桜達からだった。
メールの内容は全て、刈り取る者との戦闘から逃げた事に対する謝罪と、怪我の心配。真田からは、無謀な行動を起こした事への叱責と心配。
末尾には追伸があり、“退院したら美鶴と説教だ”と書かれていた。
「謝るのはお門違いだってーの……お馬鹿。後、説教はなるべく断りたいです」
疑問についてははぐらかされた気がしたが、追及する気は失せていた。ここまで心配を掛けては、いよいよもって彼らに顔を合わせられない。
最後に開いた5通目は、差出人が不明かつ件名も無いメールだった。
「差出人不明……? アドレスも無し、件名も無いって、不気味にもほど…が……」
迷惑メールかと思い、内容を確認した夏帆は、文面に目を通した瞬間に携帯を取り落としかけた。
そこに書かれていたのは、たった一言。
“ご無事でなによりでございます、高野夏帆様”
(……怪しい!!)
布団に携帯を叩き付けたい衝動を抑えて、もう一度文面を読み直す。しかし、何度読み返しても内容はその一言のみ。
(何だコレ! 新手の嫌がらせか! 宗教勧誘かっ!)
今度こそ我慢しきれずに、携帯を握ったまま拳を何度も布団へ叩き付ける。とはいえ、よほど長く眠っていたらしいこの体は、動かす度に鈍痛を訴えてくる。
「――ン、夏帆? 目が覚めたのかい」
「あ、姐さん。えーっと、その……」
眼鏡を外した状態の店主と会話するのは、実はこれが初めてだった。
普段とは違った雰囲気に若干戸惑いつつ、“お早うございます”とぎこちなく挨拶する。
「良かった。心配したんだよ、1ヶ月も昏睡状態だったんだからね」
「すみませ……って、1ヶ月!? そんなん長く倒れてたんですか、うちは!?」
思わず跳ね起きれば、“ああ、長かったよ”とあっさり肯定された。
「タルタロスでの事は、あの子達から直接聞いた。随分無謀な事をしでかしたもんだね」
「ぅ……」
「その上、私があんたの事を聞いた時は、リーダーだって子が何度も謝罪してきた。ついでに、毎日見舞いに来ている」
「ぇ」
「で、こっからは私の勘だよ。あんた、何か隠してないかい?」
「――――」
息のつく暇も無い、怒涛のラッシュ。最後の問いと共に、店主はすうっと目を細めた。
瞳にいつもの暖かさは微塵も無く、夏帆を見定めるような眼差し。それは夏帆の知らない、店主の一面だった。