bear sweet fruit

□9.甘い果実
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 就業後、俺達は他愛無い話をしながら夕食を共にした。
そして着替えを取りに行くという朝倉を一旦自宅へ送り届けた後、己のマンションへと彼女を迎え入れ現在に至る。


「朝倉…俺と、正式に付き合って貰えぬだろうか。
その…中途半端だと、そう思われることは承知の上だ……だが。
俺はあんたを好いている。俺のものにしたい…その気持ちは紛れもない真実だ」


 誠心誠意、胸にある想いを込めて伝えたつもりだ。

今度こそ彼女に先を越されぬよう、こちらから伝えるのだと些か意気込んだ部分もあっただろう。
部屋に着くなり、二人はまだ荷物も手にしたまま。


 しかし、このまま曖昧にしておくのは好ましくない。
確証を得たくそう告げれば、朝倉は一瞬目を見開いて息を飲み…
それからくしゃりと泣きそうに顔を歪めて、「はい」と頷いてくれた。


 己の胸からほっと安堵の息が吐き出されると同時に、頬の強張りが解けてゆくのを感じる。

いくら言葉で確かめたところでまだ実感などとても沸かないが…
たった今、俺のもの…に、なってくれたということなのだろうな…。


 朝倉は頬を染めたまま目を下方へ彷徨わせていた。
指先が迷うように握られ、また開かれては手を組み…落ち着き無く動く様は、彼女もまた戸惑い、緊張しているように見受けられる。

軽い気持ちで頷いたのではないのだろうと伺える仕草に、胸が甘く疼いた。


 向こうのぎこちなさにも背を押され、そっと彼女の背に腕を回してみると…
引き寄せる力など全く使わずとも、その身体は当然のように己の胸に寄り添い収まった。

優しく背に触れてきた小さな掌はとても温かく…
朝倉が安心したように深く息を吐いたのを胸元に感じ、胸の詰まるような愛おしさが込み上げてくる。


「…触れても、いいだろうか」


 隙間無くその身を抱きしめておきながらそう尋ねると、朝倉は顔が見える程度に身体を離してこちらを見上げた。

尋ねたかったのは口付けのことだ。

やや足りなかったと思われる言葉を補うべく、俺は壊れ物を扱うかの慎重さで彼女の色付いた頬に指先を触れさせた。

僅かに息を飲み、同時に力が込められた彼女の唇。

その端を解すように親指で撫でると、彼女の大きな目は何故か驚いたように見開かれ、次いでじわりと潤んだ。


「…はい、触れて…欲しいです」


 仰向いたままそっと長い睫毛が伏せられ、俺に触れられるのを待っている……

それを理解した瞬間大きく鼓動が跳ね、僅かな躊躇いなど消え失せた。


 惹き寄せられ、触れ合わせた唇は甘やかに食むように吸い付いてくる。

度重ねて肌を合わせた彼女との、初めての…口付けだった。


 腰を抱き寄せ唇を合わせると、身長差から覆い被さるような体勢になってしまうが、彼女は首を仰向けたまま懸命に俺を求め、また受け止めてくれる。

もっとと強請るように彼女の腕が首に回され、応えるべく口腔に滑り込ませた舌は柔らかく迎え入れられ絡め取られた。


 長く、深い口付けに互いの息が上がってゆく…

徐々に緩慢な動きになり、唇を離しざま薄目を開くと、同時に彼女の瞼が押し上げられ熱を帯びた瞳と視線が絡まった。


 吐息を纏いながら、己の率直な望みが低く零れる。


「───あんたが、欲しい……」


 我ながら何の飾り気もない台詞だ。

しかし、口を突いて出たそれは真っ直ぐに朝倉へ届いたようで、彼女は口許にふわりと笑みを浮かべると瞳を潤ませたまま小さく頷いた。


「…私も。先輩が欲しい…です」



* * *



 ベッドで抱き合う間も互いに唇を求め合い、離せずにいた。

愛撫に応えて零される甘い声すら、貪欲に絡めとり飲み込んでゆく。

これまでとは違う…そう感じるのは今日初めて交わす口付けの所為かと思っていたが、不意に別のことに気付いた。


 ───瞳が、潤んだままじっとこちらを見つめているのだ。


 思わず唇を離して見入っていると、浅い息を繰り返しながら朝倉が不思議そうに瞬いた。


「先、輩…?」


「…いや。今日は、目を…逸らさぬのだなと……つい」


「あっ…!…目を合わせなかったこと…気付かれていたんですね…」


ばつが悪そうに眉尻を下げる朝倉に、思わず憮然として返してしまう。


「気付かぬ筈がないだろう」


俺はそこまで鈍いと思われているのだろうか。
眉を僅かに顰めて見下ろしてしまい、朝倉がおろおろと言い募った。


「…あ、あの、嫌な気分でした…よね?ごめんなさい!でもしょうがなくて…」


「しょうがない?」


「はい…!だって、目が合ったらばれてしまうと思って…!」


焦って訴える朝倉に、俺は益々眉間の皺を深め首を傾げる。


「なにがだ」


「…せ…先輩のことが、好きだって…」


 返ってきた答えが余りにも想定外ですぐには理解が追いつかず…俺は再び会話の流れを反芻した。

───まず、目を逸らしていたことに気付いていたのかと朝倉は尋ねた。
俺は当然だろうと応えた。
すると、仕方なくそうしていたのだと彼女は言う。
理由は、目を合わせれば俺を好いていることが隠しきれないからだと…───


「…は?……何故隠す必要が……いや、それより、そもそもあんたは大学時代の先輩とやらを想っていたのではなかったか…?」


「…それは嘘です、ごめんなさいっ!」


 もしも横になっていなかったら、思い切り腰を折って頭を下げていたに違いない勢いで朝倉ははっきりと声を上げた。

こちらとしてはその突然の勢いに押され戸惑ってしまう。


「う、嘘…だと?」


「はい…嘘です…!斎藤先輩は、近付いてくる女の子が嫌いでしょう…
でも、どうしても先輩に避けられたくなくて…あの屋上で、沖田先輩との会話を聞かれてしまった時に…咄嗟にそんな狡い嘘を吐きました…。
卑怯なことをして、本当にすみませんでした!」


一息にそう言うと、呆気に取られて言葉を返せずにいる俺に怯えたのか、朝倉は泣きそうな顔で震える声を絞り出した。


「私の想うサイトウ先輩は…初めから、斎藤一先輩…唯一人なんです…」


 そういえば……そのようなこともあったな…。
すっかり記憶から抜け落ちていたが、確かにあの時、屋上で初めてその話を聞いたのだった。


 嘘を吐くことは好ましくない。それにより騙されるなど以ての外。

しかし、彼女に対する憤りなどは微塵も湧かなかった。寧ろ……

呆然と彼女を見返す間も、都合の良い俺の耳には、“唯一人だ”という甘い台詞だけがいつまでもたゆたっていた…。


 
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