bear sweet fruit

□1.花嵐の出逢い
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改札を出ると、花嵐に煽られて一生懸命セットした髪が縦横無尽に踊る。


(あぁぁ酷い、社会人第一日目の記念すべきこの日に…!!)


後で会社のトイレで直すとしても、エントランス入るまではこのまま風に煽られて行くしかないのね……!


スーツはプリーツスカートにしなくて本当に良かったよ。
私は甘めのスタイルが好きだから、新生活に備えて買い揃えたものも裾がなびくタイプのスーツが多い。
…まぁ、趣味はともかくそもそも背が低いからパンツスーツはどうしても似合わなくて持っておらず…止むを得ず、強風対策として今日はタイトスカートを身につけてきた。


これから毎日通うことになる通勤路。

そこには大きな大学病院があって、植えられたたくさんの桜がその桃色を振り撒いている。
ーー私が十五の時の春……母が若くして亡くなった病院。
病が発覚してから亡くなるまでのあっという間だったこと……


あれから七年ーー
もうここを通っても泣いたりしないよ。


(ここが毎日の通勤路になるけど……きっとお母さんにも見守って貰っているんだって前向きな気持ちで通るから…安心してね)


なびく髪の隙間から薄桃の大樹を見上げ気持ちも新たに息を吸い込むと、私は進行方向へ向き直った。


ーーと、そこで視界の隅に捉えた真っ白な病院と明るい緑にそぐわない黒い人影が気になり、私はもう一度病院の方へ視線を戻す。


病院の敷地内、桜を見上げ佇む一人の男性が目に映った。


病院の中に入っている……ということはお見舞いかな…?
真っ黒なスーツに身を包んだその人は、入院患者にはとても見えないから。


(…それにしても、どうしてあんな所で一人桜を眺めているんだろう…?)


同じく桜を見上げて母を思い返していた私は、ほんの少しそんな興味を抱いてその男性をよく見てみた。


すんなり長い手足、細身のスーツを綺麗に着こなし、とにかく第一印象はとても姿勢のシャンとしている人だと思った。

…多分格好良さそう、髪が顔を覆っていてよく見えないけど…仰向く鼻筋や顎はとても色白で綺麗…。

じっと佇むその姿が明るい桜と対照的であまりにも際立っているから、ほんの数秒の間だろうけど…私は目が外せなかった。


その時、不意に強風が彼の長めの前髪を巻き上げ、その覆い隠していた横顔を私に見せてくれる。

…意外にも、彼の目は閉じられていた。


(桜…見上げていたんじゃないんだ…?じゃあ尚更、何をしていたんだろう…)


こちらに右半身を向けていたその人は、左手に何かを持っていたらしい。
紙らしき物…写真くらいの大きさかな?…ていうか、写真かもしれない。
体の横に垂らしたままだった左手を持ち上げ、その物を眺めるために彼は目を開いた。

切れ長の目、静かなその視線は一心に手元のそれへと注がれている。


ーーうわぁ…!

格好いい…!やっぱり格好いい人だ!

ていうか綺麗…!あんな綺麗な人初めて見た…!


誰かが素敵だってだけでときめいちゃう私はミーハーかな…!?
でもあんな綺麗な人をTV以外で見たのは初めてなんだもん、仕方ないよ…!!


つい息を詰めて視線が吸い寄せられていた私は、彼の携帯が鳴る音にビクリと身体を震わせた。

突然現実に引き戻されて、胸ポケットから携帯を取り出す彼に見ていたことを悟られないよう、慌てて視線を逸らし足を動かす。


い…いけない…!!
勝手に盗み見て逃げるとか変態みたい!

ーーていうか、会社!
始業30分前には余裕で着くよう出てきたけど、今私はどのくらい時間を浪費していたんだろう…!?

時間の感覚がさっぱり分からないけど、髪を直す必要もあるのにまずいわ…!


素敵な人を見てしまったドキドキと、見つかっていたらどうしようと焦る気持ちで早鐘を打つ心臓を抑え、私は足早にその病院脇を立ち去った。


すると、その横を私とは比較にならないくらいの早足で通り過ぎる黒い影。


「…分かっている、ソウジ。今ーー」


通話しながら通り過ぎたその影。

淡々とした口調でありながら響くような甘い低音に……

私は息を詰め立ち止まってしまった。思わず口元を抑えて声を飲み込む。


(ーー何それ、何それ…!!
そのルックスで、その上そんなにいい声とかアリ…!?)


はっきり言って一目惚れというか、言うなれば一耳惚れ……?
とにかく一瞬で心を奪われてしまった。


…どうしよう…すごく格好いい……!
あの人も、ここが通勤路なのかな…?
じゃあもしかしたら、明日もこのくらいの時間に会えるかもしれないのかな!?


忙しない心臓を宥めながら、風になびく猫っ毛のような黒髪を眺め、その後ろ姿を目に焼き付けていると……

不意に彼の方から何かが私目掛けて飛んで来た。


「…うわっっ!?」


風に飛ばされ、私の胸元に音を立てて張り付いたそれを取り上げると、一枚の写真だった。


そこには、物っ凄い美少女が一人……!

すっごく色白、ハーフみたいな顔立ちの女の子…年は18〜20くらい…?
セミロングの緩いウェーブヘアは私と似たような感じだけど、こんなに綺麗な子と髪型が似てるって……
勝手に比較して複雑過ぎる気分……!


相変わらず煩い心臓が、さっきとはまた違う騒がしさで私を苛んだ。


(多分さっきの人が……眺めてた写真だよね…これ…?)


目の前を向くと、もうその人は視界の何処にも捉えられなかった。


(写真……どうしよう。
あんな風に眺めていたくらいだもの、大切な物なんじゃないのかな……)


返す手段も見つからなくて、私はまたしても時間を忘れて呆然と佇んでしまう。


この子は……彼の大切な人…かな……?
まさか妹…には見えないよね……全く似てないし……。


一瞬で心を奪われたかと思ったら…私は同じくらい瞬殺で失恋したらしい……


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