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□禁断の果実
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「イブはどうして知識の実を食べたのかな?」

掌に乗せた赤々とした艶のいい果実を見つめて美代子が呟いた。その言葉に椅子に座ってノートに何やら書き込んでいた柳が怪訝そうな顔をしてちらりと美代子に視線を寄せる。

「その前に俺は何故今お前が林檎を持っているかがわからないな」

ここは紛れもなくテニス部の部室で、リンゴとは無縁の場所のはずなのだが。柳の表情を見て美代子がクスリと笑みを零すと柳の問いに答える。

「貰いものだよ、柳くん食べる?」
「いや、美代子が貰ったのなら美代子が食べるべきだろう」
「そうだね、さすがに全員分は均等にわけられないもの」

荷物が増えるのは嫌だという理由で林檎を食べようと美代子は「いただきます」と呟いて一口林檎を齧った。そしてりんごを咀嚼したのち、柳に再び問いかけた。

「それで、さっきの質問どう思う?」

興味津々に美代子が柳に視線を向けると柳はふっと呆れたように笑みを漏らし、ぽつりと小さく呟く。

「今のお前のようなものではないか?」
「……興味、ってこと?」

軽く首を傾げながら美代子が問い返した。さらりと彼女の肩から黒髪が流れ落ちる。
柳は美代子に歩み寄るとその髪を彼女の耳に掛け、ああと頷いた。

「イブは蛇に唆されて好奇心からその実を食した。神のようになれる、そう言われてな。その後イブはアダムにも知識の実を勧めた。その結果男は労働と死せる運命を女はお産の苦しみと男性への服従を課せられ、エデンの園を追放された。聞いたことはあるだろう?」
「うん。……そっか」

納得したようにうなずいた後、美代子は何故かしゅんと項垂れた。不思議に思った柳は美代子の顔を覗き込むとどうした、と優しく声を掛ける。

「んー、何で神様の言いつけを守れなかったんだろうって……。ダメだって言われたのに」
「欲が出たんだろうな、何一つ不自由ない楽園で神ほどの力が得られればますます暮らしが楽になると考えたんだろう。人間だれしもが持っているような傲慢さだ」
「でも……」

ルールを破ることが嫌いな美代子はイブがそんな理由で神の言いつけを破ったのがショックだったのか、美代子の表情には先ほどの元気はない。

「欲があるのは人間の摂理だ。
きっと神が与えた苦しみは人間が背負うべきものだったんだろう」

それに、一息おいてから柳が言葉を続ける。

「俺にはイブの傲慢さが分かるような気がする」
「え……?」

その声に反応して思わず美代子が柳を見上げると彼は両手で美代子の頬を包み込み、顔を近づけた。え、と声を漏らし美代子が身を固める。

「たとえ神の命を破り、この先如何なる刑罰が待っていようとも俺は果実に手を出すことを厭わない」

そう囁くように美代子に告げるとそのまま美代子の唇に口づけを落とした。驚きのあまり美代子は目を剥いたが柳を引き離そうとはせずに呆然とキスを受け入れる。

美代子の手から一口齧られたりんごが滑り落ちて部室の戸を叩いた。

「好きだ、美代子。
たとえこの楽園を追放されようとも俺はお前を想っている」
「……やなぎ、くん」

刹那開かれる部室の扉、立っていたのは冷めた微笑を浮かべる神だった。
 

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