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□お囃子は遠く
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「久しぶり、侑士」
そう言いながらキャリーバッグを転がし美代子は改札を出た。8月下旬といえどやはり残暑が厳しく、また涼風など吹く気配など微塵もなく日本特有のじっとりとした暑さが新幹線のエアコンで冷やされた美代子の肌を包んだ。声を掛けられた忍足侑士はというと眼鏡の奥に微笑みを浮かべて澪を迎える。
「そんな久しぶりやないやろ、全国の時会うたやん?」
「そういやそうだったね」
確かに美代子は全国大会の時東京に来ていた。それは双子の兄である忍足謙也の応援の為であったがもちろん従兄弟の侑士に会わなかったわけではない。
「謙也とは一緒に来んかったんか?」
「謙兄は今日部活の最終ミーティングがあるんだって。だから晩には到着するんじゃないかな」
全国大会が終わったことにより四天宝寺中も3年生は例外なく事実上引退である。学校行事の為か引退直後に新キャプテンを決め、後輩たちへの引き継ぎを行わなければならないのが四天宝寺テニス部にとって今日であった。
「一人旅は危ないやろ、謙也もよう許可だしたな」
謙也と美代子は双子でほんの少し先に生まれたのが謙也だったのだが、美代子は謙也を双子ではなく兄のように慕っている。また謙也も美代子のことを妹のように可愛がっていて侑士もまたそれと同じように美代子を妹のように接してきていた。
そのためか、美代子が1人で大阪から東京に来たことにあまりいい顔はできないようで先ほどと比べて表情を曇らせている。
「だって今日、こっちで祭りがあるんでしょ? 行きたかったし」
「別に焦らんでも夜行けばええやん」
「あ…それもそうだね」
そうはいった美代子だが実際そう思っているわけではなかった。ただ、少しでも早く侑士に会いたかったのだ。幼いころから彼女のある小さな恋心、従兄弟だからと恋愛対象では見られていないかもしれないがそれでも美代子はそんなことで諦める気もなかった。また彼女の片割れである謙也もそれを知っていたからこそ、美代子を先に来させることに同意したのだが。
「ほな、とりあえずうちにいこか。荷物もったるわ」
「ありがとう」
美代子の手から侑士が荷物を受け取る。
侑士の長い指が軽く触れてどきりと美代子の胸が大きく高鳴った。
* * *
祭囃子が普段と違う雰囲気を作り出す公園は出店で賑わっていた。いつもは閑散としている公園は祭りに参加する人々によって華やかに飾り付けられている。いつもの夜闇は提灯の灯りによって明るく演出されていた。
「侑士と一緒に祭りに来るのなんて、凄く久しぶり」
「せやなあ、互いに部活もあったし小6ん時が最後かもな」
何時になく浮き浮きした気分で美代子が人ごみの中を歩けば、迷子になるで、と侑士に軽く手を握られる。その仕草に驚いて侑士を見上げれば、優しく微笑みを返される。それが嬉しくて美代子は思わず頬を染めて俯いた。
「浴衣、何で着んやったん?」
「ん、荷物に入らなかったから」
女1人の長旅、荷物があまり多くなるのは美代子にとって好ましくなかったのだ。決して侑士のため浴衣を着るのを渋ったわけではない。
「見たかったんやけどな」
「……そっか」
しかし彼がそう言うのなら持って来ればよかったな、などとそう思うのだ。火照った頬も繋がれた手も熱くてこのままの時間が続けばどれほど幸せだと思う。
だが、その温もりが消えるのにそう時間は掛からなかった。