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□遠い貴女へ
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切原赤也にとって今日という日は不運に塗れているように思えた。

昨日ゲームに夢中になり夜更かしをしてしまったのがそもそもの原因なのだが、それによって今朝は寝坊、朝練には遅れ真田に朝から説教をされた。そしていつも眠たい英語の授業はいつも以上に眠く感じ、居眠りをしたところものの数分で教師に見つかり、いつもやっていない分だ、と放課後用の課題を大量に出され現在に至る。

元はといえば自業自得なのだが、それでも部活に遅刻しまた真田に説教をされるのだと思うとさらに気が滅入る。そもそもこの課題の量は切原の実力では部活に行けるかはおろか、今日中に終わらせることができるかさえ怪しい。

「あー……、マジうぜえ」

気だるげに言葉を口にして切原は廊下を歩く。ただでさえわけの分からない問題ばかりだというのにこれもまた今日は運悪く辞書も家に忘れてきてしまっていた。なので普段近寄りもしない離れの図書室に足を運ぶことにしたのである。

少し乱雑に図書室の扉を開けば閑散とした空気が切原を包んだ。それもそうである。放課後の図書室を利用する人間などほとんどいない、そもそも放課後に図書室が開いていることを知っている人間はいるのだろうか。切原自身も今日初めてそれを知った人間なのである。

図書室内へ足を踏み入れれば古びた本の匂いが鼻孔をつく。嫌いな匂いではない、と思いながらも本棚を見ていった。図書室は静かで切原の足音も自然と小さくなっていた。ただ本棚が多すぎて中々目的の物が見つからない。

「……どこだよ」

さまざまな本がある。それでも中々辞書は見つからなかった。寝不足もあり若干の眠気と本が見つからないことへの苛立ちを感じながら、図書室内を忙しく歩き回る。すると不意に声が掛かった。

「探し物?」

人がいたのかと切原が驚いて振り向く。そこには地味ではあるが、明らかに美人と呼ばれる部類に入るであろう女子生徒が微笑みを浮かべて立っていた。

「……ええ、まあ」

突然の登場とその女子生徒の容姿に、切原は戸惑いながらも何とか返事を返す。そんな切原の様子に申し訳なさそうに彼女は眉根を下げた。

「ごめんなさい、珍しく放課後に人がいたものだから気になって……。私は図書委員会副委員長を務めている佐野美代子です。だから分からないことがあったら聞いてくれたらいいかなと思ったのだけれど、余計なお世話だった?」
「いや……俺、英和辞書探してて」
「辞書ね、それじゃ向こうのコーナーよ」

行きましょう?と美代子は切原に微笑む。そのほほえみがあまりに綺麗で先ほど感じていた眠気も苛立ちもどこかへ行ってしまっていた。ぎゅっと胸が掴まれたように痛くなる。
迷いなく本の森を歩く美代子の後を追いながら切原は彼女の後姿を見つめる。

そして彼女は目的の本棚の前に立つと、その白い手で少し高い場所にある英和辞典へ手を伸ばした。その顰めた横顔も綺麗で切原は思わず心を奪われる。ぼんやりと美代子の顔を見つめ、可笑しな胸の痛みを感じていた。

「切原くん?」

呼ばれた名前にはっと我に帰れば、ぼうっとしていた切原を不思議に思ったのか美代子が首を傾げて切原を見上げている。慌てて辞書を受け取ろうとすると、切原は自分の名前を彼女に教えていないことに気が付いた。

「何で、俺の名前……」
「あら、だって有名だよ? テニス部の2年生エース切原赤也くん。……それよりはい。察するに先生に課題を出されたんだよね、早くやらないと部活に行けなくなるよ」

ぐっと切原の手に辞書を押し付けてふわりとほほ笑む。その笑顔も自分を知ってくれていたという事実にも思わず顔が熱くなるのを感じた。

「あ、ありがとうございます。あの、課題ここでやっても良いっスか……?」

そんなつもりは無かったのに口を突いて出た言葉に、言った切原自身も驚いた。それでも美代子はもちろんと切原を先導する。テーブルに付属している椅子を一つ引いて美代子は切原を見つめた。

「どうぞ、何かあったらカウンターにいるから声掛けてね」
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