メルヘヴン 長編小説
□〜第一章〜 ギンタ 再びメルヘヴンへ
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「ふぁ〜あ…ん?…やっべ!遅刻だ!」
カーテンから差し込む朝日のまぶしさに目を細めながら、枕元にあった時計を手に取った一人の少年がそう叫ぶ
…彼の名前は虎水ギンタ
メルヘヴンでその名を知らない人はいないと言われる英雄だ
だが、今彼が目覚めた場所はメルヘヴンではない
「ほらギンタ〜小雪ちゃんがむかえにくるぞ〜」
「がああぁああっぁああぁああ!!!どうして起こしてくれないだよオヤジ!!!」
まるでギンタが起きるタイミングを計っていたかのように彼の部屋に足を踏み入れるダンナ…
もとい、ギンタの父親
「な〜に言ってやがる。将来のためにも自力で起きろ」
「だからって「おい!朝飯できてるぞ!早く食べてとっとと出かけろ!」
父親に反論しようとした矢先、爽やかな朝にはふさわしくない怒号がギンタの耳を突き抜ける
…今度は彼の母親だ
「へぇいへぇいまったく朝からうるせぇやつだなぁ〜」
「文句あんなら、あんたはメシ抜きで行きな!」
口笛を吹きながら飄々とメシの場に撤退する父親の背中を見ながら、ギンタは急いで制服に着替えその後を追うのだった
「ほら、ギンタ」
「サンキュー」
母親から山盛りのご飯茶碗を受け取り、あわてて食べ始める彼の耳に
'ピーンポーン'
さらに行動を急かす音が聞こえる
「はべっ!ほゆきはひた!!!(やべっ!小雪が来た!!!)」
「ちゃんと飲み込んでからしゃべれ!」
お約束のようなコントをしてから、ギンタは口の中のものを丸呑みし、カバンを引っつかんで玄関へと駆け出した
「い、行ってきま〜す!」
さらに靴に足を突っ込むのと同時に家のドアを開け放つ
…流れるような動作に慣れを感じるのは気のせいではなく、彼が遅刻を何度もしているのは明らかだった
「お、おまたせ…」
「ギンタ!早く早く!電車に乗り遅れちゃうよ!」
朝の挨拶もそこそこに、小雪がギンタのカバンを引っつかんで走り出す
…遅刻寸前の時間になると必ず迎えに来てくれるあたりに彼女の人の良さが表れていた
「ふぅ〜!!!ギリギリセーフ!!!」
家から駅まで全力疾走したかいあってか、予定どおりの電車に乗り込むことに成功した二人
「ふぅ…ふぅ…でも…ギンタ…ほんと…体力ついたよね…」
彼らの乗る電車は一般的にいう通勤ラッシュの影響を受けない方面に向かう電車なので、座席はがら空き
そのため二人は目的地まではゆっくり体を休めることができるのだ
「そうかな?…そうかもなぁ〜…これもきっと、メルヘヴンでの修行の成果だな!」
息が切れて肩で呼吸をしている小雪に対し、ギンタはいたって平然としている
…何も知らない人が見れば男女の違いだろと思うかも知れないが、彼らの過去を知る人物ならば少なからず驚くはずだ
なにしろギンタは中学二年生…つまりメルヘヴンに訪れる前までは体力、視力共にだめだめだったのだから
彼がメルヘヴンで積んだ訓練と経験が役立っているのは間違いない
一方小雪とて、体力に自信がないわけではない、むしろ同年代の女子と比べれば優れているぐらいなのだ
「…やっぱり…もう一度行ってみたい?」
「…あぁ…できることなら…な」
隣にすわり宙を眺め物思いにふけるギンタの横顔を見ながら、小雪もスノウとして過ごした記憶に思いをはせる
小雪とスノウがリンクしていたことはギンタも知っているのでその様子を不審には思わない
…すでにギンタが帰ってきてから2年の歳月が経過しているのだが、その程度の時間では彼らの胸に刻まれた思い出はまったく色あせることはなかった
「…ドロシー…元気にしてっかなぁ〜…」
ポツリとつぶやいたギンタの言葉に思わずクスッっと小さな笑い声をだす小雪
「ギンタ、最近ドロシーのことばっかり考えてるよね」
「そ、そんなことっ…///」
あわてて反論するギンタだったが、彼もそのことは自覚していたので言葉詰まりになってしまう
…ギンタの脳裏は、今でも彼女と最後に会話を交わしたシーンを鮮明によみがえらせることができる
「………」
自分を抱きしめてやさしくキスしてきたときのドロシーの悲しそうな顔…
門番ピエロに入る際、わざわざ遠くにいたドロシーが自分を呼ぶ叫び声…
瞳に涙をためながらも笑顔を見せてくれたドロシー…
今でも思い出すと彼は目頭が熱くなるのだった
「ほらほら!そんなにドロシーのことばっか考えてると、ジャックたちが嫉妬するぞぉ〜♪」
「…そうだな!ジャックたちも元気にしてっかなぁ〜…」
「…ふ〜ん…'ドロシー'は個人なのに'ジャックたち'は団体あつかいなんだぁ〜♪」
にやりとイタズラっぽく笑う小雪に、ギンタはからかわれていることを理解して頬を真っ赤に染める
「あ、あんまりからかうなよ小雪!」
「ドロシーもうらやましいよねぇ〜こんなに一途に想ってもらえるなんてさぁ〜」
「そ、そそそ、そんなんじゃねぇよ!」
これ以上の行動はますます深みにはまると判断したギンタは、目的地につくまで電車の揺れる音と小雪のクスクス笑いを聞きながら赤面するのを懸命に耐えるのだった
「そういえばさぁ、ギンタ」
「ん?なんだ?」
電車から降りて学校への道を歩くギンタ達
周りにもたくさんいる同じ高校の生徒達に混じりながら彼らは会話していた
「やっぱりメルヘンの夢は…もう見てないの?」
「あ…うん…」
その話題になると決まってギンタは悲しそうな顔をするので、そのことを知って以来小雪もあまり話題には出さないようにしていた
だが、最後に聞いたのは大分前だったのでもしかしたらと思い聞いてみたのだが…
「…そっか、ごめん…」
「…いや…」
ギンタにとってメルヘンの夢を見るのは毎日の楽しみだった
だがメルヘヴンから帰ってきて以来一度も見ていないのだ
もしかしたら夢の中でみんなに再会できるかもしれない
彼は当初こそそう思っていたのだが、やがてだんだんとあきらめていった
よく考えたらその夢を見たらギンタは自分に必ず報告するはずだと思い、自分の浅はかさを反省して小雪は気まずくなった空気を打開しようと必死に頭を回転させる
「…あ、そ、そうだギンタ!今日の宿題ちゃんとやった?今日はギンタ指名されるよ!」
「へっ…ああぁぁぁあああぁぁ!!!」
急な話題転換に驚いたギンタが大声をあげ、周りの通行人が何事かと振り返る
…気まずい空気は一気に晴れたが、ギンタの心の中までは晴れないようだった
今の返事から察するに、きっとギンタは宿題を終わらせていない
「こ、小雪っ!学校着いたら速攻で写させてくれ!」
肩をつかんで必死の形相でそういう彼に、小雪はあきれのため息を吐く
「はいはい…どうせそんなことだろうと思ったよ…」
どうせなら、頭もよくなって帰ってきてほしかったと思う小雪なのだった…