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どれくらいそうして泣いていただろうか。灰崎が未だに止まらない涙を流しながら鼻をすんすん鳴らしていた時だった。
再びドアがバァン!と凄まじい音を立てて開いて。
「テッちゃん!祥ちゃんは!?」
高尾が息を切らして飛び込んできたのは。
「高尾君…」
「カズ…ナリっ…」
二人が呆然として高尾に目線を向けていると、彼は黒子と、黒子に抱きついて泣きじゃくる灰崎の姿を見て顔を歪ませる。
「―――ッ!」
そして靴を蹴飛ばすように脱ぎ捨てて、灰崎達に駆け寄り、力強く灰崎に抱きついた。
「……っ」
黒子と高尾に前後から挟まれるような形になった灰崎は二人の痛いぐらいの力強い抱擁と、熱いくらいの体温に安堵して、少しずつ意識に落ち着きを取り戻していった。
そして更に数分が経ち、ようやく泣き止んだ灰崎の涙と鼻水でグチャグチャの顔を、黒子がハンカチで綺麗に拭いてくれて、台所に行った高尾が砂糖とミルクをたっぷり淹れたコーヒーを差し出してくれた。
黒子も高尾も何も言わず、静かで、痛みを堪えるような瞳で、泣きすぎてぼうっとしてしまった灰崎を見守っている。
のろのろと顔を上げ、高尾の差し出したコーヒーを受け取り、口に運ぶ。
「……」
いつもならば不快に感じたかも知れない温めの温度と濃い甘さが、今はひどく心地よくて…。
「ふはっ…、すげぇ甘いや…」
「「!」」
灰崎が少し笑ったのを見て、黒子と高尾が安堵したように息を吐いた。
「でもテツヤ、カズナリ、なんで…?」
コーヒーをちびちびと啜りながら訊ねた灰崎の言葉足らずな問いを、黒子と高尾はきちんと察して答えた。
「昨日から携帯が通じなくなったので心配になったんです」
「祥ちゃん家電ねーし、パソコンのメールも見てないっぽいからさぁ」
「あ…」
そう言えばここ2、3日仕事でも私情でもバタバタしていて全然パソコンを見ていなかった。
チェックしなければ、と思っていたのだが、未だ頭の一部は真っ白で体も上手く動かない。
「で…、何があったんですか?」
俯く灰崎に黒子がそっと問い掛ける。
「………………………虹村さんと別れた」
長い沈黙の後、絞り出すようにそう言った灰崎は黒子と高尾をそっと見上げた。
「「…………」」
二人は真剣な表情で灰崎の言葉の続きを待っていて、それに背中を押されるように灰崎はボソボソと昨日から先程までの出来事を全て話した。
虹村に会いたくて、保健室に行ったこと。
赤司が虹村を訪ねていて、二人は以前関係があったこと。
赤司に"お前は虹村さんには釣り合わない"と言われたこと。
赤司も虹村が好きなこと。
赤司に勝手に決めつけられて、中学の時のことを思い出し、言い争いになって彼を殴ってしまったこと。
虹村にそれを咎められて、彼が赤司と同じ、自分と黒子を切り捨てた帝光の理念に賛同していたことを思い出して――…、別れたことを。
全てを話し終えて再び俯く灰崎の頭を、黒子の手がそっと優しく撫でた。
「……!」
慣れた優しい感触にまたじわりと涙が溢れそうになるのを、灰崎は歯を食い縛って必死に堪える。
「…よく、頑張りましたね祥吾君」
穏やかな黒子の声にゆっくり顔を上げる。
「諦めないで、自分を大切にした君は本当に強くなりました。…中学の頃の泣いていた君に見せてあげたい。きっと信じられないってびっくりするでしょうね」
「テ…ツヤ……」
ずっと、成りたかった。
諦めて荒んでいた中学の頃、自分が酷く憧れていた、黒子のような真っ直ぐで強い存在に。
…成れて、いるのだろうか?
少しは、彼に近づけたのだろうか?
それなら、すごく嬉しい…。
黒子の友に、相応しい人間にずっと成りたかった。
生徒達の手本になると決めた。
例えもう…、虹村と話すことは出来なくても、彼に恥じない自分でいたかった。
赤司に、周りの決めつけに負けない自分になることを、ずっと目標にしていた。
成れたのなら、それは嬉しい。本当に嬉しくて、さっきとはまた違う涙が溢れそうになった。
その時――…。
ピリリリリッ。
ピリリリリッ。
「!?」
響いた機械的な電話音に驚いて音のした方を見ると、床に置いてしまっていたスマホが、初期設定のままの着信音を鳴らしていた。
反射で手を伸ばして買ったばかりのスマホを手に取る。
番号はまだ誰にも教えておらず、来るとしたら携帯会社からのお知らせメールだけの筈なのに、何故知らない番号から電話が掛かってくるんだ?と疑問に思った瞬間、ゾクリと背筋に寒気が走った。
「……っ」
きっと同じことを考えたのだろう、スマホを掴んでいる灰崎の腕にそっと黒子の手が添えられ"ボクが出ましょうか?"と目で問い掛けられる。
だけど灰崎は首を左右に振り、その申し出を断る。ドクドクと高鳴る心臓の音を落ち着かせる為に深く息を吸い込んで、覚悟を決めてスマホを耳に当て通話ボタンを押した。
『…やあ祥吾。この僕を10コール以上も待たせるなんて、いい度胸をしてるじゃないか?』
「普通10コール鳴っても出なかったら一旦切るのが礼儀だと思いますけどね?赤司サマァ?」
予想通り聞こえた冷たい声に、精一杯の嫌みで返した。
『言うようになったじゃないか。遅れてきた成長期かい?』
「あぁ。有り難いことに、お前の身長と違ってまだ伸びる余地があったみてぇだわ」
『…本当に変わったね。まぁ喜ばしい限りだよ。お陰で虹村さんがフリーになった』
「…!」
皮肉に皮肉を当てて言い返せば、赤司の口から今一番聞きたくなかったことを言われた。その瞬間に息が止まったが、それを相手に悟られないよう懸命に耐えて口を開く。
「…そうだな」
『僕も浮気や寝とりは趣味じゃないのでね、これで安心して彼を口説けるよ』
「わざわざンなこと言う為だけに電話してきたのか?随分と暇なんだな?赤司サマは」
じわりと鈍い痛みが心に広がるのに気付かないフリをして、あくまでも気丈を振る舞って会話を続ける。
『いや?別れたのは賢い選択だったと伝えたかっただけだよ』
涼しげな声が平然と言った言葉に、胸がきりきりと痛んだ。
『だって祥吾と虹村さんでは色々と違いすぎる。やはり二人は釣り合わないだろう?』
「……ッ」
やめて。やめて言わないで…!堪えた涙と悲鳴が溢れそうになる寸前に…――。
「確かに祥吾君と虹村さんは釣り合いませんね」
『!』
「え」
黒子が灰崎の手からスマホをひったくり、彼らしくない、吐き捨てるような口調で言った。
「虹村さんごときにボクの可愛い祥吾君を任せたのがそもそも間違いでした」
『…相変わらずテツヤは祥吾に対しては甘いな。過大評価とは思わないか?』
「全く思いませんね。というか君が祥吾君を随分低く見積もってくれてますから、ボクがバランスを取ってるんです」
『…そんなことは』
ない。と言おうとする言葉を遮るように黒子は会話を続ける。
「別にそれは構いません。人間なんですから人の好き嫌いはあって当然です。正直ボクも祥吾君の事は可愛くて大好きな親友ですけど、赤司君が大事に思っている虹村さんの事は今すぐにでもぶん殴ってやりたいくらい腹を立てていますから」
『………』
「それより勝手に人のアドレスや番号を調べるのはやめて下さい。プライバシーの侵害は犯罪です。いい加減にしないと怒りますよ。というかもう既に怒ってますよ。激おこぷんぷん丸です」
『…なんだそれは?』
「解らないならググって下さい。解らないことは他人に聞く前にまず自分で調べるのが礼儀です。老化防止にもなりますよ」
『…以後気を付けるようにするよ。で…、祥吾に代わっては貰えないんだね?』
「分かってるなら聞かないで下さい。後、法律とプライバシーはきちんと守って下さいね?」
『…分かったよ。それじゃあまたね。テツヤ』
プツッと電話の切れる音がして、黒子はぺこりと灰崎に頭を下げる。